余yoteki滴(2020年4月5日「週報」掲載)

「いかに幸いなことでしょう。

勝利の叫びを知る民は」

(詩89篇16節)

 

4月3日(金)の「ローズンゲン」の旧約日課。

詩89篇は、詞書(ことばがき)に「エズラ人エタンの詩」とある、ちょっと変わった詩。少し、神と詩人との間に距離がある。

その、両者の間の微妙な関係を感じさせるのが、16節以下。

エタンは謳う。

「いかに幸いなことでしょう。

勝利の叫びを知る民は。

主よ、御顔の光の中を彼らは歩きます」。

そう、エタンは、神の御顔の栄光の内を歩み行く「彼ら」、イスラエルの人々を、少し離れて観察する。

そしてエタンは、18節で「あなたは彼らの力の輝きです」と、神に告白する。

 

エタンは、神の栄光の外にいる。神の栄光からもれている。

そういう自分の立ち位置を知っている。

エタンはエズラ人。「私は、神の御光の中を歩む民に属していない」、と知っている。

その意味では、彼は「勝利の叫びを知る民」ではない。彼は、勝利する側にはいない。彼は、イスラエルが勝利する時に、排斥され、敗走し、略奪され、故郷を追われ、闇の中を、輝かしい勝利の叫びを挙げ、追い迫る彼らから逃げ惑う、そういう者であると、自己理解している。

イスラエルの勝利、全能の神の勝利は、ここに一つの限界を示す。聖書の限界を示す。詩篇が編纂された時代、神の救いはその民の救いでしかない。

 

しかし、キリストの到来を知り、再臨を待つものたちがこの聖書の御言葉に出会う時、イスラエルの民が読んできたのとは違う感慨を、この詩篇に抱く。

そう、ちょうどキリストの十字架を見つめ続け、十字架の勝利を確信する女性たち(ヨハネによる福音書19章25節以下)と、十字架の最も近くでキリストと出会い、短いがはっきりとした信仰の宣言をする百人隊長(ルカによる福音書23章47節)とを思う。今や、「あなたは彼らの力の輝きです」(詩89:18)という者が、最も十字架の近くにいるのだ、と知る。そのように「十字架以外に知るまい」、と心決めたものたちは、読むことを得る。

 

この箇所、文語訳では

「よろこびの音(おと)をしる民は幸福(さいはひ)なり、

エホバよ彼らは聖顔(みかお)の光のなかを歩(あゆ)めり」。

「勝利の叫び」とは「よろこびの音」。そして新しい「聖書協会共同訳」では「幸いな者、喜びの叫びを知る民は。主よ、彼らは御顔の光の中を歩みます」と訳出されている。「勝利の叫び」とは、「よろこびの音」。喜びの叫び。それはキリストが近づいて来られる音。それは、主が、私に近づいて来られる時の音。キリストが、私に話しかけてこられる声。それこそが「よろこびの音」。

 

そしてそのことを「知る民」である教会は(だから私たちは、キリストの御声を、「知らない」、と言ってはいけない!)、私たちは、礼拝に集う群れは、キリストの到来の音を聴き、キリストの到来の喜びを語らなければならない。キリストの十字架、その恵み、あえて言えば十字架の勝利、その喜びを、私たちは、「知っている」、と語らなければならない。

なぜなら、私たちは、知らないままに主の十字架の真下まで歩み行くことを許され、キリストの十字架の真下でキリストの死を見つめ、キリストの十字架の死の意味を悟らせていただいたあの百卒長同様、後から呼び集められた者、「野生のオリーブ」に過ぎない者、エタンの裔なのだから。

 

【 余 yoteki 滴 】

主よ、わたしから離れてください。

(ルカによる福音書 5 章 8 節)

 

2019年9月のキ保連(「キリスト教保育連盟」)の主題聖句は、ルカによる福音書5:1-11の、いわゆる「弟子の召命」の記事からです。

 

イエスさまは、「ゲネサレト湖畔に立って」おられます(1節)。

そのイエスさまのところに、神の言葉を聞こうとして群衆が押し寄せてきます。

イエスさまは、湖畔から、じりじりと、水面の方に追いやられてしまいます。

そして、イエスさまは、「二そうの舟が岸にあるのを御覧にな」ります。

不思議ですが、まず目を留められるのは「舟」でした。それから、この「舟」の関係者がイエスさまの目に飛び込んできます。「漁師たちは、舟から上がって網を洗っていた」(2節)。

 

彼ら、漁師たちにとって、「舟」は、生活の根幹です。

その「舟」に、3節ではイエスさまは勝手にお乗りになり、あまつさえ、「岸から少し漕ぎ出す」ように言われます。更に、「腰を下ろして」群衆を教えられたイエスさまは、今度は、「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」と言われるのです。

さすがにシモンも、それに対しては、「先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何も取れませんでした」とまず反論します。

それでもシモンが、「しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」と応じたのは、横でイエスさまのお話しをずっと聞いていて、心に響くものがあったからなのかもしれません(4節)。

 

シモンは、“真っ昼間の漁”をします。

常識的には考えられないことです。

そして、彼らの常識が覆される出来事が起こります。

「おびただしい魚がかかり、網が破れそうに」なったのです(6節)。

彼らは、「もう一そうの舟にいる仲間に合図して」助けてもらうことにします。それでも、大漁過ぎて「舟は沈みそうになった」(7節)、とルカは記します。

なんと、イエスさまを乗せたまま、「舟は沈みそう」なのです。

 

そうなのです。

キリストの弟子となる、ということは、そのような生き方を選び取る、ということは、この世の常識から見たら見当はずれの、そして、イエスさまといっしょに転覆する、そんな「キケン」な、ワクワクするような歩み出しなのだ、ということなのです。

どうです、ちょっとあこがれませんか?

(「園だより」9月号に掲載したものを加筆訂正しています)

余yoteki滴

良い土地に蒔かれたものとは

(マルコによる福音書 4 章 8節)

 

2019年10月のキ保連(「キリスト教保育連盟」)の主題聖句は、「新約聖書」の「マルコによる福音書」からとられています。

イエスさまがなさるたとえ話です。4つの場所に「落ちる」種のお話しです。

そしてイエスさまは、やっと4番目の種が、「良い土地に落ち、芽生え、育って実を結」んだ、とお話しなります(ちなみに、マルコによる福音書4章1節には、イエスさまは、湖のほとりで「たとえでいろいろと教えられ」た、と書かれています。9月も湖のほとりでした。湖畔は教えを聞きうる場所として新約聖書の中ではイメージされていることがわかります)。

また、マルコによる福音書4章13節以下には、イエスさまご自身が、このたとえを「解説」してくださっています。

そこを読んでみますと、「良い土地に蒔かれたものとは、御言葉を聞いて受け入れる人たち」のことであることがわかります(4章20節)。

つまり「良い土地」とは、御言葉を聞く心の準備ができている、ということを示しているのだ、と思えてしまいます。そして、教会生活を長くしていると、「そうなんだよね、わかる~」、と思ってしまうのです。

でも、本当にそうでしょうか。

イエスさまの「解説」の言葉を、注意深く聞いてみると、イエスさまは「御言葉を聞いて受け入れる人」、とおっしゃっているのであって、〈御言葉を聞いて受け入れる心の準備ができている人〉、と言っておられるのではないのです。

私たちは、聖書の御言葉が「理解」できる、そのような心の準備(あるいは信仰的なトレーニングとか)が必要である、と思ってしまいがちです。

ですが、イエスさまがこのたとえで示しておられるのは、ただ無心に御言葉を聞く、ということなのです。私が、私の頭(のレベル)で理解するのではなく、イエスさまの言葉を、私の心の内にそっと受け取ること、そういう単純素朴なままでの在りようこそが、御言葉を聞く姿勢なのだと言われているのです。

つまり、鎮まって、素朴に、聖書に聞く、というのが一番難しい、ということなのでしょう。

(2019年9月23日幼稚園「園だより」のために)

余yoteki滴

幼児洗礼

 

今日、教会は、その責任として幼児洗礼を執行いたしました。

古代の教会では、幼児の洗礼は稀でした。

むしろ、洗礼は、成人した個人が、それぞれの責任と自覚によって洗礼を受けるものでした。

 

しかし、4世紀になってキリスト教が公認宗教になるに従って、中世までの間に幼児の洗礼が主流になって行きます。それは、特に中世以降、(カトリック)教会が、洗礼を受けずに(また終油を受けずに)生涯を終わると天国へと至れない、との信仰を強固にして行く中で、(つまり、幼児の死亡率が高い社会の中で、)幼児の洗礼は定着をして行くのだと言ってよいと思います。

また、カトリック教会が、洗礼とともに、堅信、結婚、終油などの人生の折り目の出来事を教会の範疇におさめて行ったのも幼児の洗礼が主流となって行く上で重要な要素であったと思います。

 

やがて、キリスト教会が大航海時代以降、キリスト教世界以外との接触を深めて行く中で、成人の洗礼は見直され、その重要性を認識されて行くこととなって行きます。

とはいえ、伊勢原教会の歴史を振り返ってみると、特に、伊勢原美普教会時代には、幼児の洗礼が多く執行されていることが確認されます。

この傾向の背景には、戦前の日本列島の社会の幼児の死亡率の高さもあると思われますが、同時に、メソヂストの系譜に立つ教会が、家族の信仰というものを強く意識していたからではないかと思われます。

つまり、テモテへの手紙(2)に「信仰は、まずあなたの祖母ロイスと母エウニケに宿りました」(1:5)とあるように、教会は、家族のうちに信仰が継承されることを願ってきたのだと言ってよいと思うのです。

 

幼児の洗礼を教会が執行する時、私たちは、ですから教会の信仰の「試し」の時にあるとともに、教会が家族としての信仰を受け継ぎ続けて行くことができるか、という「試し」の前にも立たされているのだと言ってよいでしょう。そして、すべての主による「試し」は、教会を、またその群れに集う私たちの信仰を強めて行くものであると、そのように私たちは信じるのです。

(2019/07/14週報掲載)

余yoteki滴

七夕

 

本日、七夕です。

星を信仰の対象とするのは、古代社会で普遍的なことです。新約聖書でも、東方の占星術の博士たちは、星に導かれてキリストの元に来ます。

星の輝きは、いつでも不思議なことなのだと思います。

 

そして、去年は、西日本を豪雨が襲いました。

私が、教区の問安使として岡山・倉敷を訪れたのは7月の末でしたが、本来であれば稲刈りを迎えていたと思われる水田が、干からびた土砂の中に埋もれていました。

備州は江戸時代には既に有数の穀倉地帯です。ですからその光景は、この列島に生まれた者としては、何とも言い難い、悲しみに満ちた光景でした。水田の再建は難しいかも知れません。

そして、その水田と共に、多くの建売住宅なのでしょうか、新しい雰囲気の家が、二階まで水没した様子がありありと伺える状況でした。その中で、大庄屋なのでしょうか、古くからの家が、高く土塁を組み、その上にさらに屋敷の周りに白壁を巡らして水害を免れているのは象徴的でした。古くからの土地の人たちが持っている見識が受け継がれていなかったことにも、残念な気持ちが強く押し寄せてきました。私たちは、「文明」という名の下に、何を失ってきたのか、考えさせられる時でした。

 

それにしても、都会の空は星を見分けることもできないくらいになってしまいました。

世界の全てを作られた全能の神を信じる私たちにとって、神さまは、星をも作られた方ですから、もう少し夜空の美しい生活を取り戻しても良いのではないかな、と思います。さて、でも今日、彦星、織星は輝いてくれるでしょうか。天気は御手の内です。

(2019/07/07週報掲載)

 

余yoteki滴

(2019年度の聖句と標語)

○聖句  主御自身があなたに先立って行き、

主御自身があなたと共におられる。 (申命記31章8節)

○標語  主なる神が、いつでも共にいてくださる恵みに生きる。

(2019年3月17日総会議決)

 

2019年度、伊勢原教会は、上記の聖句、標語を掲げて歩みたいと願っています。

上記の聖句は、モーセがヨシュアを呼び寄せて語る言葉の一部です。

 

モーセは、出エジプト以来の「全イスラエル」の前で、「もはや自分の務めを果たすことができない。主はわたしに対して、『あなたはこのヨルダン川を渡ることができない』と言われた」と語り始め、そしてヨシュアがこれからは「全イスラエル」を率いて行くということを語り、ついでヨシュアに語りかけます。「強く、また雄々しくあれ」と。

 

つまり、ヨシュアも「全イスラエル」もぜんぜん、強くも雄々しくもないのです。

むしろ、モーセが“もう私は無理”と語ることに恐々とし、前途への不安や、将来への暗い予想に打ちのめされようとしています。モーセの「強く、また雄々しくあれ」は空手形のようにしか聞こえません。

 

でも、モーセの「元気」、「安心」、「笑顔」の根拠は主なる神にのみあるのです。

大丈夫、いつでも神さまは一緒だから、とそう言うのです。

神さまが一緒、ということは、では、どういうことなのでしょうか。

モーセは、「主御自身があなたに先立って行」かれる、と語ります。神さまが一緒、というのは、私の前を主が先立って歩まれる、ということなのだとモーセは語るのです。

 

私が大変な時に、私のかたわらにそっと来てくれる、とかいうような、なまやさしいことではない、とモーセは言います。

神さまが一緒ということは、時に、神さまのスピードで、神さまのペースで行くことを要求される、とモーセは語ります。神さまの後を、一所懸命、追いかけるような、そういう大変さを伴うのだ、と言うのです。

 

私たちが、まだまだだ、とか、これから準備をして、とか、じっくり計画を立てて、とか語り合っている時に、神さまはすでに出発された、と私たちは聞かされるのです。

そして私たちは、とるものもとりあえず、まさに「押っ取り刀」で先立たれる神さまを見失わないように追って行くのです。

 

主の恵みは、いつでも私たちに先行します。

恵みの足は速く、神さまは先へ先へと進み行かれるのです。

ですから、私たちは、驚愕します。

そして人間の、自分の、私の、予定や計画や打算が打ち砕かれるのを見ます。でも、モーセは言います。「主はあなたを見放すことも、見捨てられることもない」と。主がどんどん先に行かれても、「恐れてはならない。おののいてはならない」のだと。

 

2019年度、私たちは、ここ伊勢原教会をお用いになる神さまの人知をはるかに超えた恵みに驚愕しましょう。

困難や、分裂や、悲しみの只中で顕(あれわ)される神さまが先立たれる恵みに気付きましょう。

そして祝福の満ち満ちていることの喜びを、孤独、無理解、中傷、挫折のその痛みの中で深く知りましょう。

キリストの十字架は、私の、教会の、弱さ、痛み、悲しさのうちにこそ打ち据えられ、高くしっかりと掲げられるのですから。

(2019/05/05週報掲載)

余 yoteki 滴

  • 長老任職式について

 

日本キリスト教団の『口語式文』(1959)「役員任職式(就任式)」のルブリック( – 一種のト書きのこと – )には,

「教会役員に選挙された時,任職式(就任式)を行わなければならない。任職式か就任式かの選択は,各個教会に委ねられる」(p.192)

とあります。

伊勢原教会は、メソヂストの系譜に連なる教会です。よって、メソヂスト教会のもってきた職制理解であれば、教会役員は「執事」ないし「幹事」と呼ばれます(日本メソヂスト教会であれば「幹事」)。

 

しかし、現在、私たちは、「長老」を擁する教会として、メソヂスト的な伝統の中を歩んでいます。

では、「長老」とか「執事」とかの違いは何でしょうか。教団の『新しい式文』(1990)の解説には次のように記されています。

役員を長老と呼ぶ教会では「任職式」が用いられてきた。

教会の職制として長老職に任じられ、最初に長老になる時には、長老の按手がなされた。

これは生涯長老であることを意味し、長老として選出されなかった時も、現職と休職の相違はあっても、長老であることは変わらない。そこで、再選の時には報告だけで特に式はしない。

「執事」「幹事」の場合には、長老のように終身その職につくのではないので、「就任式」と呼ぶのが正しい。

 

つまり「任職」とは、その任(務)への召命を意味する,と考えられ,就任( – 一時的にその役割りを担うこと – )とは区別して理解されて来た、ということです。

教会役員を、「長老」と呼ぶか、それとも「執事」「幹事」と呼ぶかは、些細なこと、ではなく、教会論というものによって示されている職制理解というものが、その内側にある、ということです。

 

そして『式文』では,その「任職の辞」において,牧師は,教会とキリストとを代理して,選ばれた役員(長老)にこう確信をもって宣言するのです。

「あなた(がた)は,キリストの召を受けてこの務に聖別されたのでありますから,(主は)これから後も,必要な恵みと知恵とを与えてくださいます」と。

私たちは、2008年以来の長老任職式に今日、立ち会います。

(2019/04/21週報掲載)

 

余 yoteki 滴

「価値があるものではないか」

(マタイによる福音書6章26節)

 

上記の聖句は、3月22日の「ローズンゲン」新約日課。

キリストは、マタイによる福音書6章25節で、「思い悩むな」と教えられ、そして続けて、あなたは「鳥よりも価値あるものではないか」と語られる。

この言葉に、人々は驚く。

鳥よりも価値がある、と言われたことはなかったから。鳥は獲って食べることができる。でもお前は穀潰しで役立たずではないか、と言われていたから。領主であれ、地主であれ、村長であれ、収穫の役に立たないものを不要な存在、無用な存在として扱う。私はそう扱われて来た。無為徒食である。無駄である。「働き」のない私は、それに抵抗できない。

 

しかしキリストは、自分の命のことで、自分の体のことで思い悩むな、と今日、私に言われる。

そのままの私を、キリストはご覧になる。飾ることではなく、言い繕うことではなく、そのままでキリストの前に歩み出しなさい、とキリストは言われる。あなたには「価値がある」、キリストはそう私に語りかけられる。

(2019/03/24週報掲載)

 

余 yoteki 滴

「主の祈り」を祈る

 

「キ保連」(キリスト教保育連盟)の3月の聖句は、マタイによる福音書の最後の言葉です。ご復活のキリストが弟子たちに告げる、マタイによる福音書におけるイエスさまの最後の言葉です。

そこでイエスさまは、お弟子さんたちに「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」(28章20節)と言われます。でも、イエスさまはご復活から40日後に、みんなの見ている前で天に上げられ、私たちには見えなくなってしまいます。

 

その時、天を見上げていた人々に、天からの使いはこう告げます。「ガリラヤの人たち、なぜ天を見上げて立っているのか。あなたがたから離れて天に上げられたイエスは、天に行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになる」(使徒言行録1章11節)。この天使の言葉は驚きです。イエスさまがもう一度おいでになる、とはどういうことなのでしょうか。この時、集まっていた人たちもやっぱりこの言葉に驚いたと思います。

 

そして、驚いた人々はどうしたのかというと、「彼らは皆、婦人やイエスの母マリア、またイエスの兄弟たちと心を合わせて熱心に祈っていた」(使徒言行録1章14節)と聖書は記すのです。

では、この時、彼ら彼女たちはどう祈っていたのでしょうか。

私は、この時、彼ら彼女たちが、「これだ!」と思い出し、祈っていた祈りは、「主の祈り」だと思うのです。イエスさまが、いつでもこのように祈りなさい、と教えてくださった「主の祈り」が、この時、彼ら彼女たちの祈りの生活の中心、信仰の中心となったのです。そしてそのことは、今でも変わらないのです。

 

*「主の祈り」は、聖書の中では、マタイによる福音書6章9節以下とルカによる福音書11章2節以下に出ていますが、年長組が覚えるのは、そして教会で祈られ続けているのは、祈りの形として整えられ、教会が継承してきた「主の祈り」です(「讃美歌21」に、また「こどもさんびか改訂版」にも載っています。ご参照ください)。

(「園だより」3月号より、一部修正)

(2019/03/17週報掲載)

 

余yoteki滴

喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。

(ローマの信徒への手紙 12 : 15 )

 

ローマの信徒への手紙は、パウロがまだ会ったことのないローマにいるキリスト者たちに宛てて記した手紙です。

受け取り手は、ローマにいるキリスト者たちですが、彼らが「ローマ人」であるとは限らないわけです。むしろ、ローマの教会は、いろいろな国や地域の人たちが集う、文化も、言語も、肌の色も、多様な、さまざまな人たちの集まりだったのではないかと思われます。

そういう人たちに向かって、パウロは、この言葉を書く前に「愛には偽りがあってはなりません」とまず語ります(12章9節)。

 

あえてパウロがそう記す、ということは、「愛」には偽りがあるのだということです。

文化や育ってきた環境が違えば、「愛」についての、概念にも、理解にも、違いがある、ということなのでしょう。そして、私たちが「愛」だと思うものは、しばしば私の利己心の投影でしかない、ということがある、ということです。

ですから、「愛する」、ということは実は難しいことなのでしょう。

 

パウロは、キリスト者として、そういう難しい「愛」を生きるために、「たゆまず祈りなさい」と奨めています。

「愛を生きる」とは、たゆまず祈ることの内でしか実現できない、とパウロは実感していたのでしょう。ですから、私たちは、どれだけ他者のために祈っているだろうかと、ふと、振り返ってみる必要があるのでしょう。

ところで、喜ぶ人と共に喜ぶことと、泣く人と共に泣くことと、どっちがより難しいことなのでしょうか。私たちは、そのこともこの2月に、深く考えてみたい、と思うのです。

(2月の「園だより」から)

(2019/03/03週報掲載)

余yoteki滴

主よ、わたしの言葉に耳を傾け つぶやきを聞き分けてください

(詩 5 篇 2 節)

 

詩人は、嘆きの内にある。

嘆かざるを得ない内容はわからない。詩人は深い嘆きの中にあるので、「朝ごとに、御前に訴え出て」(4節)祈らなければならない。詩人は、朝ごとの祈りを、神殿での祈りを、「わたしの王、わたしの神よ」(3節)と始める。

 

詩人は、「わたしの王、わたしの神よ」と祈る。

古代の詩編の編集者は、ヤハウェにこのように祈り得るのはダビデその人に違いないと思い、この詩に「賛歌。ダビデの詩」という詞書を与えたのだろう。

でも同時に、詞書に、「指揮者によって。笛に合わせて」と記されているように、この詩は、神殿で、朝の礼拝毎に歌われたのかも知れない。もしそうであるならば、この詩は、神殿で祈るものは、誰でも、ヤハウェを「わたしの王、わたしの神よ」と呼びかけることができる、と私たちに示す。

 

つまり、神の前に立つ者は、深い嘆きを抱えて、朝ごとに神の前に立とうと願う者は、誰でも、地上の王、権威、位階を越えて、ただ神のみを「王」とする神の秩序のうちに生きる者なのだ、とそのよう宣言されている。

そして私も、この世の秩序ではなく、神の秩序のうちに歩むのだと確信し、そのように歩み出す時に、神を「わたしの王、わたしの神よ」と呼ぶことができる、そのように招かれる。

 

詩人の祈りは、「つぶやきを聞き分けてください」というもの。

「つぶやき」は、口語訳では「嘆き」。文語訳では「わが思(おもひ)」。月本先生は「呻き」と訳すことを提案しておられる(「詩編の思想と信仰Ⅰ」)。

詩人の祈りは、明瞭な形にならない。

嘆きが深く、その祈りは、心の思(おもひ)は、十分に吟味された思索には程遠いまま口から出されて行く。思いは乱れ、よって言葉もまた「つぶやき」にしかならない。「呻き」にしかならない。

ハンナが「主の御前に心からの願いを注ぎ出しておりました」(サムエル記上1 章 15 節 )と言うように、心の思いを注ぎ出すような祈りは、「つぶやき」、声にならない「呻き」。

 

そして詩人は、そのような乱れた祈りに、神は耳を傾けてくださると、信じている。

そう、神は私の心の呻きを一番よく知っていてくださる。語り得ない、言葉にしないと決めた、声に出すことのできない「つぶやき」を、「呻き」を、主は聞いてくださる。

そしてハンナにエリが言うように、私たちは、私に語られる主の御声を聞く。「安心して帰りなさい。イスラエルの神が、あなたの乞い願うことを叶えてくださるように」(サムエル記上1 章 17 節 )。キリストは、そのように必ず語りかけてくださる、私に。

(2/1(金)の「ローズンゲン」の旧約日課から)

(2019/02/03週報掲載)

 

余yoteki滴

あけましておめでとうございます。

主の降誕2019年を主が御手の内においてくださり、その豊かな恵みの内を歩むことができますように!

 

伊勢原教会で湘北地区の新年合同礼拝がもたれるのは2011年以来のことだと思います。地区の牧師先生方にもずいぶんと変化がありました。また、教会・伝道所を取り巻く状況も、変わってきています。日本キリスト教団の教勢はずっと右肩下がりです。2019年度の教団予算は、とうとう収入が(伝道資金負担金を含んでなお、)3億円を下回ります。

 

そして、それぞれの教会・伝道所の財務的な内実も厳しい状況です。

でも、私たちの内に不安はありません。だって、教会はもっと大変な時代を経験してきました。教勢が伸び悩む、それどころか落ち込む、ということを、大なり小なり体験して来ました。そしてそれでもなお、教会は、御手の内を歩んで来たのですから。

 

今日、1月1日は12月25日から8日目です。

聖餐式の中の「特別序唱(特別叙唱)」には、「ことに、聖霊の働きによって,御子をおとめマリアから生まれさせ,まことの人としてくださいました。これは御子がその汚れない人性をもって,私たちのすべての罪をきよめてくださるためです」との祈りがあります。まだ、生まれて8日目のイエスさま、でも、無力なこのお方こそが、「私たちのすべての罪をきよめてくださる」方なのです。

 

私たちが信頼し、唯一と確信しているこの方は、今日、まだ命の8日目を歩んでおられます。

でも、その方は「私たちのすべて」なのです。この方が、のちのち偉大なお方になるから私たちは信頼しているのではないのです。

この方が、この方であるから、私たちはこの方に信頼をよせるのです。そのことの素晴らしさに気づいて行けたらと、今日、思うのです。

 

教会には、争いや分裂、悲しみや痛みがあります。でも、そういう全てを私に預けなさい、と言ってくださる方は、まだ生まれて8日目の赤ちゃんなのです。

そして、ここに真理があります。

私たちが誰かの庇護を得たいと思う時、その人は大きな力を持っている、と私たちに感じられる人なのでしょう。でも、本当に私たちが唯一頼りにする方は、無力の極みにおられるのです。

そうです。

私たちの人間としてのモノサシ、基準、判断を、私たちが知恵だと思っているものを、私たちが打ち捨てた時、私たちは、無力の極みにおられるこのイエスこそが、「私のすべて」なのだと気づくのです。人の思い、人の願い、人の思考によって霞んでる視野を、それらを打ち捨てて視界を開いていただく時、私たちは十字架以外何も知るまい、と祈る自由を与えられるのだと思うのです。

 

2019年、私たちが無垢な信仰を歩み、キリストを信じる真理へと深く、確実に、主によって招き入れていただく事を願って行きたいとこそ思うのです。

(2019/01/01湘北地区新春聖餐礼拝用書掲載)

余yoteki滴

求める心、探す勇気

求めなさい。そうすれば与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。

(マタイによる福音書7章7節)

「園だより」1月号より

 

1月のキ保連(「キリスト教保育連盟」の略称)の主題聖句は、マタイによる福音書7章からとられています。イエスさまは、まず私たちに「求める」心を持つように、と教えられます。

私たちは、苦労や、大変なことばかりだと、どうしても下を向いてしまいがちです。

うつむいてしまっている時、目線を上げて高く天を見上げて「求める」ということは、なんだかとても難しいことのように感じられてしまいます。目を上げたって無駄だと思ってしまいますし、そんなことに時間を使っている暇なんでない、と思ってしまいます。

でも、イエスさまは、困難な時、下を向かざるを得ない時に、そういう時にこそ、顔を上げなさい、首を伸ばしてごらんなさい、とおっしゃるのです。そして、山を越えてその向こう側を見ようとするかのように、神さまを訪ね求めなさい、と教えられます。

「求めなさい。そうすれば与えられる」(マタイによる福音書7章7節)。

なんと確信に満ちた言葉なのでしょう。求めるものは、必ず与えられる、と。

でも、現実の日々は決してそんなに甘くはありませんよ、と私たちは知っています。神さまにどんなに祈っても、私の願いは聴かれない、そういう経験を、私たちは積み上げて行きます。そして、ゆっくりと諦めて行きます。それが、「大人なのだ」、と思うようになります。そしてエスさまは、そういう私たちに、だからこそ、頭を上げなさい、と言われる。

「探しなさい。そうすれば与えられる」

イエスさまは続けてこう言われます。「探す」ということは、探すために動き回る、ということです。「捜す」ために出立する、ということです。「捜す」ものは、真理です。私たちの生き方の根幹です。本物の生きる指針を「捜す」ために、さあ、立ち上がって旅立ちなさい、とイエスさまは言われるのです。

(「園だより」に服部能幸教師が書いているコラムから。一部修正しています)

(2018/12/16週報掲載)

余yoteki滴

救い主を探しに

(マタイによる福音書2章1節以下)

「園だより」12月号より

 

キ保連(「キリスト教保育連盟」の略称)の12月の聖句は、マタイによる福音書2章からとられています。この個所は、東方の博士たちが、「ユダヤ人の王としてお生まれになった方」(マタイによる福音書2章2節)を礼拝するためにはるばるやって来たところです。

東方の博士たちは、ただ「星」だけを頼りに、まだ見たことのないイエスさまを尋ねる旅に出ました。もちろん、彼らの行動には、彼らなりの論理がありました。でも、周囲から見れば、それはものすごく無謀なことと映ったことでしょう。遠くユダヤまで? 生涯をかけて? 今での積み上げてきた名声も、権威も投げ捨てて? どうしてそこまでするの? その旅に意味はあるの? そう、周りは思い、博士たちの行動を止めようとしたかもしれません。でも博士たちは、親しい人たちの反対を押し切って、旅に出ました。「星」だけを頼りにして。

ところが博士たちは、ユダヤに入ったあたりで、自分たちを導いてくれていた「星」を見失ってしまいました。そこで、彼らはヘロデの王宮に行き、「王としてお生まれになった方」はどこにおられるのか尋ねることにしました。彼らの決断は勇気のあるものでしたが、同時に、大変危険なものでした。彼らは、現職の王であるヘロデに、地上の権威者であるヘロデに、未来の、そして本当の権威である王はどこにおられるのか、と尋ねたのです。

マタイによる福音書2章は、「これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった」(3節)と記しています。救い主が来られるということが、王を、エルサレムの人々を「不安」にさせる、のです。

東方の博士たちは、キリストのご降誕に出会うために、そしてそのお方を礼拝するために、生涯を傾けて、キリストとの出会いを求めている人たちです。イエスさまに出会う、ということは、私たちの人生が、それまでの私の歩みが、根底から覆って行く、そういう出来事です。クリスマスという出来事に出会うということは、私たちを、今までとは違う生き方へと招くのです。

(「園だより」に服部能幸教師が書いているコラムから。一部修正しています)

(2018/12/16週報掲載)

余 yoteki 滴

バタバタと忙しい。会議、ミーティング、打ち合わせに沢山の時間を使っている。そういう日々で与えられたみ言葉。「そのころ、イエスは祈るために山に行き、神に祈って夜を明かされた」(ルカによる福音書6章12節)。11月7日のテゼの日課。日課自体は、6章12節から19節まで。イエスが弟子を選び、その弟子と共に「山から下りて、平らな所にお立ちになっ」(17節)て癒しの御わざをなさるとこと。しかし、それらのすべての前にイエスは祈るのだ、と記されている。さて、では私は、と深く思う。

(2018/11/11週報掲載)

余yoteki滴

「あなたがたはキリストのもの、キリストは神のものなのです」

(コリントの信徒への手紙 (1) 3 章 23 節 )

 

上記の聖句は、10月6日(土)のテゼ共同体の日課。

この日、私は幼稚園の運動会を見ながらこの聖句の意味について思い巡らしていた。パウロは言う。「(あなたがたは)だれも自分を欺いてはなりません」(コリントの信徒への手紙 (1) 3章18節)。

私は、(何とか自分だけは)欺きたい、と思ってしまう。自分の事を鏡で見ないで、自分の事を客観的に見ないで、私は、私が理想とする自分であると(何とか自分だけは)欺きたい、と思ってしまう。

だって、周囲は、私に欺かれないから。等身大の私しか見ていないから。でも私は、(何とか自分だけは)欺きたい、と思ってしまう。

パウロだって、いっぱしの学者になりたいと精進した自分を知っている。博学を誇りたいと願った自分を知っている。でも、キリストと出会った時に、そんな自分の小ささを認めざるを得なかった、という事を知っている(それでも書簡は、充分に衒学的だけれども)。

神の前に何者でもない自分を見つけてしまった。いや、知ってしまった。

だから彼は、「めしいて」しまう。キリストはご覧になっている。傲慢な私も、自分勝手な私も、人との競争に打ち勝つことにのみ価値を置いている私も、セコくて、みっともなくて、失敗だらけの私も、キリストはそのままご覧になっている、と知ることになる。だから彼パウロは、そんなキリストのまなざしに耐えられないと思い、「めしいて」しまう。

そして、キリストを信じるという生き方は、「自分を欺かない」という生き方なのだ、と気づかされた時に(時間はかかったと思うけれども)、「目から鱗」の経験をする。キリストは私を受けとめていてくださっている、既に。あとは、私を、私が受けとめる事、と気づく時に、パウロは「目から鱗」を経験する(そこに至れるのは、すごいことだと思う)。

簡単なことなのに、本当に簡単なことなのに、この道は遠い、と気づく。「まっすぐな道」を行けば簡単にたどり着けるのに、私は、その道を行こうとしない。だから「まっすぐ」にキリストにたどり着けない。本当に簡単なことなのに。

パウロはその事を何とかして伝えたいと願う。

人生は単純で、キリストがご覧になっている私を、そのありのままの私を、キリストの前に受け入れる。「まっすぐな道」を歩む事なのだ、と。

次の日(10/7)の主日日課で、イエスさまは私に言われる。「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである」(マルコによる福音書10章14節)。そう、私が、私を、妨げている。私がキリストのところに行く事を、私が、妨げている。

運動会は、午前中のクライマックスに差し掛かっていて、年長の子どもたちが旗体操をしている。

子どもたちがグラウンドに登場した曲が終わって、子どもたちは、それぞれの場所にじっとしている。そして次の曲までの「間」が静かに続いている。音楽はなく、子どもたちは動かない。時間だけが流れて行く。緊張した良い時間。不安になっているのは、大人たちであって、練習をしてきた子どもたちではない。そして、楽曲の始まりとともに、子どもたちの演技が始まる。大人たちの、ほっと息を吐く気配が続く。

私は、子どもの無邪気さを生きられない。だから、「まっすぐ」に歩むことは、難しい。

でも今日、私は、「まっすぐ」に歩むことの難しさを知っている、という歩みへと踏み出させてもらえる。「あなたがたはキリストのもの」と、パウロが招いている言葉によって。「わたしのところに来なさい」とのキリストの招きによって。大人の心配をよそに、じっと「間」を待つ子どもたちの姿によって。

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*引照していない聖句は、使徒言行録9章1節以下に記されているパウロの出来事です。新共同訳は「直線通り」ですが、口語訳は「真(ま)すぐ」、文語訳は「直(すぐ)という街(ちまた)」という訳です。

(2018/10/14週報掲載)

【 余yoteki滴 】

「床を担いで歩きなさい」

(ヨハネによる福音書 5 章 1 – 18 節)

 

キリストと出会う人は、「38年も病気で苦しんでいる人」(5節)と紹介される。

ヨハネ福音書は、彼が「38年も」ベトサダの池の畔にいた、とは書かない。彼についてヨハネが知っているのは、ただ「38年も病気で苦しんでい」た、ということ。

だから、どういう経緯があって、いつ頃から、彼が、ベトサダの池の畔にいることになったのかは、もはや判らない。

彼には頼るべき人は、誰もいない。

だから彼は、「主よ、水が動くとき、わたしを池の中に入れてくれる人がいないのです」(7節)という。

彼には、介護するものも、介助するものもいない。それが「38年」、という年月なのだ、とヨハネは私たちに告げる。

いわゆる「長血の女」が、「財産を使い果たし」、今や、供もなく、たった一人でイエスに後ろから近づくように(マルコによる福音書5章25節以下)、彼はただ一人、ベトサダの池の畔にある。

キリストは、この「38年も病気で苦しんでいる人」に、「良くなりたいか」と問われる。

実は、私は、この「お話し」が嫌い(よく考えてみると、福音書の中の「お話し」は、嫌いなものばかりだ)。特に、イエスさまが、「良くなりたいか」(6節)とお尋ねになるこの個所が嫌い。

「健(すこやか)にならんことを欲するや」(永井直治訳「新契約聖書」)との言葉をイエスさまの口の中に入れる、ヨハネによる福音書を残した信仰共同体が持っている、“病気は治った方がいい”、という思想が嫌い。「病気」はそんなに簡単に治らない。そう、昔も今も。

「病気」は、私の一部。というよりも「病気」である私が、私。

付言しておくが、私は、病気である状況を達観しなければならない、と言っているわけでも、思っているわけでもない。病気の進行を止められないのは、もどかしいし、進んで行く状況を納得するのは本当に難しい。

それでも、「なんぢ癒えんことを願うか」(文語訳)という発想のうちにある健康至上主義が、私は嫌い。

「起き上がりなさい。床を担いで歩きなさい」(8節)とキリストは命じられる。

ヨハネ福音書研究の先生方がどうおっしゃるのか、私には判らないが、キリストは、この人に確かにこう言われたのだと思う。イエスは、「38年も」病いと共にある人に、「よくなりたいか」などとは言われない。自明のことだし、無神経でもある、そのようなことを。

キリストの言葉は、むしろもっと直接。キリストは、私に、「起きよ、汝の床を取り上げよ、且つ歩め」(永井訳)、そう言われる。

キリストが私に命じられるのは、「起きよ」ということ。健(すこやか)になったからなのではない、癒やされたから歩みだせ、というのではない。

キリストは、私に、あなたのそのままで、今のままのあなたのままで、「起きよ」とお命じになる。

変化は、病状や体調ではない。

変化は、キリストの命令を聞いて、それを行う、ということ。

ぶざまな、不甲斐ない、劣悪になりつつある状況のままで、「起きよ」との御言葉に従う、ということ。

彼は歩き出す。

「この人はすぐに良くなっ」たとヨハネは記す。何度も言うが、「良くなる」ことが歩き出すことの前提だと思っているヨハネ福音書が、私は嫌い。そういう「健康な発想」が、私は嫌い。

ところで、どうも、6月中のあれこれの疲れが、どっと来て(教区総会もあって、慣れない“仕事”をしたので。“仕事”がちゃんと出来るようなら、牧師にはなってはいない。あっ、これは私の場合であって、世の中の牧師先生方は違います。念のため)、こりゃあ、ちっと休まないと無理かな、と思っていたら、どうしても幼稚園に顔を出さなければならなくなって、「お預り」で残っていた子たちと折り紙をして遊んでしまった。そうしたら、治りかけていた気管支炎の上に、彼ら彼女らから鼻が出る風邪までちゃんといただくこととなってしまった。

確かに私も生まれた時からの病いを抱えてはいるが、でも、「38年」も病いと共にあるこの男性と私は、全然違う。彼の苦しみを、私は十全に理解することができないし、彼の悲しみを言い表す言葉を持ってはいない。

私がわかるのは、この人は、歩き出したのだ、ということ。彼は歩き出す。「床を担いで歩きだした」。

彼は、どこに向かって「歩きだした」のだろうか。「長血の女」に、もはや財産も家も家僕もないように、この人にも、家も、友も、帰るべき処も、もはやない。彼は行くべき目的地を思いつかない。そして、彼にあるのは、「床」だけ。

彼に命じられているのは、彼が持っているものの全てである「床」を担いで歩み出せ、ということ。彼が抱えている病いを、そのまま傍らに抱きかかえたままで、歩みだしなさい、ということ。それでは、彼は、“どこに”、向かって歩み出すのか。

彼は、ヤケになって歩く。「ユダヤ人たち」と接触し、自分がどうして歩いているのか、その意味を考えさせられる。そして彼は、自分が歩み出すきっかけになったその人を知らない、と気づく。「だれであるか知らなかった」(13節)。

知らないのだ。私たちは。

キリストに出会っている、ということを知らないのだ、私たちは。

床を担いで、ベトサダの池(つまり自分を健康にしてくれる「何か」)と決別して、“どこか”に向かって歩みだしたのに、私がそのように始めたのは、自分で決断したからだと思っているので、「その人」に依拠した結果なのだ、と気づくことができないのだ、私たちは。

彼は、“どこに”、行くのか。

彼は、キリストを求める歩みへと踏み出して行く。

彼は、同胞である「ユダヤ人たち」がキリストを知らない、ということを見極める。「律法」は、自分が行く“どこか”ではない、と気づく。

彼は、キリストと出会うまで歩む。そして神殿で出会う。正確には、キリストは彼を見つけてくださる。「イエスは、神殿の境内でこの人に出会って」くださる(14節)。

そして、彼の生き方が変わる。

彼は「この人は立ち去って、自分をいやしたのはイエスだと、ユダヤ人たちに知らせた」(15節)。

彼には、今や、“どこに”行くのか知っている。

彼が行くのは、「自分をいやしたのはイエスだ」と知らせるため。

その知らせを必要としている“どこか”に向かって歩みだす。

そのために、今いる場所を「立ち去って」行く人へと変えられる。

彼は、自分の床を担いだまま、変えられる。彼は、私が床を担いで歩いているのは、私を癒してくれたのはイエスだ、と告げ知らせるためなのだ、と語る人へと変えられる。

そして私は、床を担いで歩く勇気もなく、園児たちにいただいた「風邪」を持て余して布団に入り、体温計がピピッと鳴るのを待っている。

 

【 余 yoteki 滴 】

どうしてそうなるのか、その人は知らない。

(マルコ福音書 4 章 26 – 27 節)

 

「人が土に種を蒔いて、夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長する」( マルコ4 : 26 – 27 )と、キリストはいわれる。ある意味、投げやり。昼も夜も、畑の様子を見ては、一喜一憂する、という方が、「百姓」の姿ではないのだろうか、と私は思ってしまう。

キリストが、「百姓」の苦労を知らなかった、ということではないと思う。むしろ日常の事としてよく知っていた、と思う。日照りにおびえ、冷夏を嘆き、イナゴの大軍の前に藁を焚いて抵抗する、そういう「百姓」を見てきた。ご自身は土地を持たない、嗣業の地を失った手間仕事をするテクノーン(通常「大工」と訳されるギリシア語)であったとしても、村で、旅先で、そういうさまざまな「百姓」を見てこられた。

だから、「そうしてそうなるのか、その人は知らない」などとは、一片も思ってはおられない。「百姓」の苦労をご存知でなお、キリストは、ある日芽を出し、収穫まで育つ作物の不思議を語られる。

最後は、神のみ旨であるから、と。

神の御国は、そういうものなのだ、とキリストは言われる。

人の思い、努力、予定をはるかに超えた形で、あなたの前に「神の国」はある、と。も知っておられる。

(2018年7月1日の「週報」掲載)

余 yoteki 滴

「イスラエルの人々は主の命令によって旅立ち、主の命令によって宿営した。雲が幕屋の上にとどまっている間、彼らは宿営していた」

(民数記9 章 18 節)

 

先日、ドクターに「体重をはかりましょう」と言われた。

はかってみたけれどもそんなに体重は減っているわけではない。ドクターは、まじまじと私の顔を見て、「やつれているわね」。

確かにアトピーはかなりひどい。これ以上ひどくすると、面差しが変わってしまう。その自覚はある。しかし、やつれていると、言われるとは。

 

で、民数記9:18(5月29日(火)のローズンゲンが上記の聖句)。

「イスラエルの人々は主の命令によって旅立ち、主の命令によって宿営した。雲が幕屋の上にとどまっている間、彼らは宿営していた」。

 

「旅立ち」とは、“始まり”であろう。

人生にはいろいろな“始まり”(旅立ち)がある、と思う。

入学、社会人一年生、婚約、転職。時には「献身」などという“始まり”もある。

 

そして「宿営」とは“ひとつの終わり”であろう。

あるいはそれは、“休止”であるかもしれないし、“終止符”であるかもしれない。ちょうどそれは、「卒業」が次の「入学」や、あるいは、「就職」などの「始まりへの終わり」なのだとすれば、「宿営」もまた、始まりを内に含んでいる終わり、ということになろうか。“終わり”と“始まり”とは、だから、実は同義なのだ、と私は知る。

 

話しはもどるが、先日の血液検査の結果は優等生。

基準値のうちに収まっている。

中性脂肪なんて表彰されてもいい。

でもドクターは続けて言う。「本人が鏡で見るよりも、実際はもっとやつれているわよ」。

そうなのだ。最近続けざまに、疲れてませんか、とか、早く帰ってください、とか言われてしまう。明日一日潰れているのと、一ヶ月入院されてしまうのとでは、明日一日潰れている方がいいです、とか、言われてしまっています、とドクターに言うと、ほら、という顔をされた。

そして「能力で仕事をせずに、肌の状態で仕事しないと無理ね」、と言う。

 

そんなに一所懸命、あれこれとやっているのだろうか私は。

そう、すべての出来事が、“始め”であるとともに“終わり”であるのだとすれば、一つの“終わり”に向かって、つまり次の“始め”に向かって進み続けて行けばよい、それだけのことであろう。

 

民数記は、続く19節をこう記す。

「雲が長い日数、幕屋の上にとどまり続けることがあっても、イスラエルの人々は主の言いつけを守り、旅立つことをしなかった」。

だから、始まりの時も、始まりに至らない日常も、私ではなく主なる神がお決めくださるのだ、と確信して歩みたい。

余yoteki滴

「あなたがたは、キリストにおいて満たされているのです。

キリストはすべての支配や権威の頭です」

(コロサイの信徒への手紙2章10節)(その2)

 

この聖句を一年間かかげて、伊勢原教会は、2018年度をはじめます(3/18の総会で年間聖句として決議。なお、年間標語は、「主こそが私たちの信頼の源泉(みなもと) - 神とともに。喜びのうちに -」)。

2018年度、伊勢原教会は「厳しい」出発をします。現住陪餐会員は、80名を割り込みました。高齢化の波は教会を飲み込もうとしています。日本キリスト教団がゆっくりと長期低落傾向を続けて来たのと同じように、伊勢原教会もまた、困難な右肩下がりの時代を歩もうとしています。予算規模も、年々縮小しています。教会の「実力」というものを示す数字は、おしなべて小さくなってきています。では、それらの事実は、教会が「衰退」している、ということを現している、ということでしょうか。もちろん、教会の現実は「厳しい」です。☆

日本の教会は、何度も「衰退期」を経験してきました。明治20年代以降の国粋化の時代、第二次世界大戦後のキリスト教ブームが去った時代、70年代の「万博・東神大問題」で大きく揺れ疲弊した時代を歩みました。いつの時代も、今までにない危機でした。もちろん解散し、消滅した教会も多くあります。合併し福音の証しを続ける道を選んだ教会も、幾つもあります。分裂し、別々の道を歩む選択へと至った教会もあります。

では、衰退し、危機にある教会は、何をしたらいいのでしょうか。新しい人を教会に誘う、イベントを打って集客する、広告を出す、どれも打つべき手なのかも知れません。でも、それらは教勢を回復させる一時的なカンフル剤にはなるでしょうけれども、永続的な打開策とはならない、と思われるのです。例えば、「ひとりがひとりを誘う」というフレーズを掲げたとしても、たぶん、礼拝出席の増加は、目に見えるほどではないと思います。むしろ、“誘わなければいけない”という呪縛が、教会員を縛ってしまう、そのような悪影響の方が大きいかも知れません。

パウロがシラスと共にフィリピで投獄されていた時、彼らは、ただ、「真夜中ごろ、…賛美の歌をうたって神に祈って」いました(使徒言行録16:25)。パウロたちには、この時、一緒に牢にいる人たちに福音を告げ知らせよう、という積極的な意図はなかったのです。むしろ、パウロとシラスは、困難の只中にあって、全てのことを主にゆだね、主の栄光を讃美することだけを目的として歌い、祈っていました。周りの日人々の為ではなく、もちろん、自分たちの為であるわけもなく、ただひたすら、神の栄光と恵みに感謝をして、歌い、祈っていました。だから、その神への讃美の純粋さのゆえに、「ほかの囚人たちはこれに聞き入っていた」(同節)のでした。

ルカはその時「突然、大地震が起こり、…たちまち牢の戸がみな開き、すべての囚人の鎖も外れてしまった」(26節)、と記します。本当に真心から神の栄光を歌う時、その祈りを主は無になさらない、とルカは記すのです。

私たちは、ここで伝道の不思議さとでもいうものを視ることになります。というのは、この時、パウロたちの有りようを、見て、洗礼を受けたのは、静かにパウロたちの歌と祈りに「聞き入っていた」囚人たちではないのです。「聞き入っていた」囚人たちではなかったのです。むしろ、パウロの祈りと讃美を聞かずに寝入っていて、地震が起こってはじめて「目を覚ました」(27節)看守とその家族でした(33節)。看守が救いへと入れられて行くのです。実に神さまのご計画は不思議です。

実に神さまのご計画は、私たちには悟り得ないものです。パウロたちは「聞き入って」もらう為に祈り、歌っていたのではありません。パウロたちは、聞こうとしない看守の救われることを、もちろん願っていないわけではないと思いますが、でも、第一として、いたわけではないと、そのように言うことができると思うのです。そして、そのような一思いを超えて、神さまの御旨はなるのだ、と使徒言行録は語ります。そのような神さまにのみ信頼する旅が、教会の旅なのだと。

私たちが、この「厳しさ」の中で、いえ、「厳しさ」の中であるからこそ、神さまに信頼して旅し続けるという信仰の本質を深く思って行くことができるとすれば、その時、この「厳しい」時こそが、深い主の恵みと時であると知り得るのだと、思うのです。

(2018年4月1日の「週報」に記載)

 

余yoteki滴

「あなたがたは、キリストにおいて満たされているのです。キリストはすべての支配や権威の頭です」

(コロサイの信徒への手紙2章10節)(その1)

 

この聖句を一年間かかげて、伊勢原教会は、2018年度をはじめます(3/18の総会で年間聖句として決議。なお、年間標語は、「主こそが私たちの信頼の源泉(みなもと) - 神とともに。喜びのうちに -」)。

伊勢原教会は、決して、この世、社会に対して大きな影響力を持つことのできるような集団ではありません。むしろ、無力で、無名な小さな信仰者の群れです。

でも、私たちは、小さくても、この世において無力でしかなくても、「キリストにおいて満たされている」という恵みによって私たちも満たされている、ということを知っています。そしてそのように知らされている者として、キリストこそが「すべての支配や権威の頭」である、との福音をこの世に対して明瞭に宣べて行く教会でありたい、と主に願っています。

何かをすること、何かを成し遂げること、何かであろうとすること、が目的なのではなく、教会は、キリストの満ち満ちておられるところであるから、キリストこそが私たちを器として用いて、この世の中に福音の良き香りを語らせてくださるのだと、そのように信じ歩む一年間でありたいと、2018年度を始める前に、私たちは切に神の前に祈って、そして歩み出したいと願っているのです。

(2018年3月25日の「週報」に掲載)

余yoteki滴 四旬節黙想(2)

「あなたは獣をも救われる」(詩 36 篇 7 節)

 

3月18日のローズンゲンから。

 

詩人は見ている、というよりも、囲まれている、と言うべきだろうか。

床の上で悪事を謀り

常にその身を不正な道に置き

悪を避けようとしない(5節)

人たちに。

詩人は、そのように生きる人たちの「生きやすさ」を知っている。

モラルとか倫理とかに従うことをしない生き方の安易さを知っている。

でも、そしてそれは、「不正な道」を歩むことだということも。

 

で、詩人は、ひとり空を見上げる。

謀議の席、不正な、偽りにみちた密議がなされている席を抜け出して、空をあおぐ。夕であろうか。それとも、朝であろうか。

詩人は、

主よ、あなたの慈しみは天に

あなたの真実は大空に満ちている(6節)

とうたう。

謀略を巡らす席で、顔を寄せあい、低い声で、高く視ることなく、自分の利益のみを計算し、都合の良いことだけをささやき、下へ下へと降って行くだけの思考を振り払うように、詩人は空を見上げる。

 

そして「虚」でしかない、「無」でしかない大空に、神の真実が満ちているのを知る。

詩人は、地の底に隠れて密議しようと、

恵みの御業は神の山々のよう

あなたの裁きは大いなる深淵(7節)

である以上、神からは逃れ得ないのだということを深く思う。

詩人は、今や自分の心が、エデンの園で木陰に隠れる「人」のように、神が歩むのを聞いて畏れて逃げ出す「獣」のようであると知る。

 

その上で詩人は、

主よ、あなたは人をも獣をも救われる

と覚悟する。

神の慈しみと真実とが大空に満ちている以上、いつでも主が私をご覧になっておられるのを、私は知らなければならない。詩人はそう悟る。

策略の間(ま)に座っていても、奥深い一部屋で利権を操っていても、神が見ておられない、ということはないのだ、と知る。

そして神は、そのことを深く思う私の、獣の心さえも救われるのだ、と詩人は悟る。

では、私は…。

余yoteki滴

「あなたがたの中で病気の人は教会の長老を招いて、主の名によってオリーブ油を塗り、祈ってもらいなさい」(ヤコブの手紙5:13)

 

私は、いつでも不思議な思いに捉われる。葬儀の諸式に出席しないと、その人の死というものを実感できない気がする。

人は、“死”を経験することはできないから、他者の“死”をもって、“死”を、いわば“擬似的に”体験する。

だから、“死”は、通知をもって始まる。“亡くなりました”という一報が、その人と私とが、死と生という区別によって隔てられたのだ、と知らせる。

ヤコブは、「病気の人は教会の長老を招いて、主の名によってオリーブ油を塗り、祈ってもらいなさい」と記す。ここで語られる「長老」という役職は、聖職位としての、のちの「司祭」なのだろう。そして、「塗油(終油)」という「秘跡」(サクラメント)は、ここから導き出されてゆく。

もちろん、プロテスタント教会は、「聖礼典」(サクラメント)を「洗礼」と「聖餐」の2種としたから、「塗油(終油)」を「聖礼典」(サクラメント)として行うことはない。それでも牧師は「枕辺の祈り」を祈る。そしてそれは、「教会の長老」としての“機能”なのだと聖書は、私に教える。

「教会の長老」は、他者のために祈る、という“機能”を負う者。ペトロは次のように記す。「わたしは長老の一人として、また、キリストの受難の証人、やがて現れる栄光にあずかる者として、あなたがたのうちの長老たちに勧めます。あなたがたにゆだねられている、神の羊の群れを牧しなさい。強制されてではなく、神に従って、自ら進んで世話をしなさい。卑しい利得のためにではなく献身的にしなさい」(ペトロの手紙(1)5:1-2)。「長老」の“機能”は、「神の羊の群れを牧」すること。「世話を」すること。その内に、死への備え、というものがあるということであろう。

余yoteki滴 

「天の軍勢」(ルカによる福音書2章13節)2017年12月31日

えー、昔はと申しますと、どこに行くのも自分で歩(あゆ)んで行くわけでして、イエスさまの時代も、歩(あゆ)むか、ろばに乗るかぐらいで。道中は難儀でございますな。野宿になることもしばしばです。ですので、宿に着きますと、これはもう、ほっと、いたしますな。

 

イハッチ   えー、お客さま。ようこそベツレヘムへ。この宿の番頭のイハッチでございます。宿帳をお書きいただきたいと思いまして。

コルネリオ  うむ、拙者はローマ帝国第十一軍団のコルネリオ大尉である。シリア属州のイタリア隊まで参る。あー、番頭。昨夜は、ま狭な宿でな、住民登録の夫婦連れやら巡礼客やらと一緒で、子どもが泣くやら、巡礼客がご詠歌を詠うわで、眠ることすら出来なんだ。今日は、どこでもよい、静かな一間(ひとま)を頼むぞ。

イハッチ   はい、コルネリオさま。私どもではごゆっくりお寛ぎいただけるものと存じます。

 

ところが、夜になりますと、隣の部屋の羊飼い達が大騒ぎをいたします。

 

羊飼い1   おい、昨日の話しをもう一度してみろよ。

羊飼い2   なんだよ、もう眠いのにまたあの話しか?

羊飼い3   ちゃんと起きていたのはお前だけなんだから、よーく聞かせてくれ。

羊飼い2   しかたがないな。ほれ、昨日の夜も、俺は羊達と一緒にいたわけよ。そうしたら、真夜中なのにすげーまぶしくってな。何だこりゃ、と目を開けたけれども、何にも見えない。暗いんじゃない。明るすぎて、何も見えないのよ。で、どうなっているんだ、と思っていると、まず、ごわーんと、

羊飼い3   鳴ったか?

羊飼い2   鳴った。おれの腹が。夕飯が早かったんだな。ま夜中には腹が減った。

羊飼い3   おまえの腹の虫の話しを聞いているんじゃねえやな。それからどうなった?

羊飼い2   見ていると、大天使ガブリエルがい出ましてな、そこな羊飼いめら、今宵、救い主、生まれまししぞ、とのたまわったな。

羊飼い3   ふむふむ。さすが大天使、擬古文調なわけだ。

羊飼い2   とだ、そこにたちまち天の大軍勢があらわれて、めでたや今宵、ちゃんちきちん。

羊飼い1   どんな様子だ?

羊飼い2   そらおまえ、こんなんなって、どかちゃか、あんなになってかっぽれさー

コルネリオ  イターチー!

イハッチ   はい、お呼びでございますか。

コルネリオ  イタチ!

イハッチ   イタチではございませんで。イハッチでございます。

コルネリオ  さようであったな。イタチ。最前、それがし貴様になんと申した。昨夜はま狭な宿でろくろく眠れなかったゆえ、今宵はゆるりと静かな部屋を、と申したな。

イハッチ   はい、さようで。

コルネリオ  ところが、何だ、あの騒ぎは。うるさくてかなわん、部屋替えをいたせ!

イハッチ   はい、コルネリオさま、ただいま、ただいま静めて参ります。どうぞご安心を。

 

イハッチさん、すぐさまお隣に参りまして、

 

イハッチ   エー、申し訳ありません。もう少しお静かに。あの、みなさん、

羊飼い3   天の軍勢、どかちゃかどかちゃか

羊飼い1   笛ふけ、太鼓もずんばらずったか

羊飼い2   天使も天の軍勢も、あらよっとこさー  はい?

イハッチ   あの、もう少しお静かに。

羊飼い1   なんで?

イハッチ   あの、お隣様がちとうるさいと…。

羊飼い3   いいじゃないか。陽気に騒いでいるんだ、文句あるか?

イハッチ   私(わたくし)めはいっこうに。ただ、そのお隣様が、あのローマの

羊飼い2   ローマの何だよ?

イハッチ   ですから、ローマのこれで。(と、右手で剣の柄をつかむ仕草)

羊飼い2   これって何だ? えっ、両(りゃん)こ、さむれー? 軍人? 将校? それを先に言えってんだ。判ったよ。静かにするって。

コルネリオ  いや、待て。それがし、隣室に泊まりおるコルネリオ大尉である。貴様ら、この天下太平な、パックス・ロマーナと言われる、かしこくも皇帝アウグストゥス様の御代に、

羊飼い1   あの、だんな、紙幅がねーんでさぁ。話しがなげーんで、何をおっしゃりたいんで?

コルネリオ  むむ、つまりこの泰平の世に他の国の軍勢がやって来た、と、貴様らそう申すのだな?

羊飼い2   へえ、その通りで。

コルネリオ  いや、聞き捨てならぬ。我がローマ帝国の主権を蹂躙する天の軍勢とやらは、いったいどうやって侵入したと申すのだ?

羊飼い2   そうおっしゃっても突然だったので。

コルネリオ  でも見ておったのだろう? どうであったのだ

羊飼い2   いやぁ、天からだったので、あっしにはどこから来たのか、“てん”で判りませんでした。

 

お後がよろしいようで。

余yoteki滴 説教の前の前、あるいはもっと前 「ヨセフは眠りから覚めると」

マタイによる福音書1章18-25節

(2017/12/8 保護者の会クリスマス礼拝のために)

 

ひそかに縁を切ろうと決心した(19節)

 

ヨセフは、袋小路にいる。

誰にも相談できない。

ヨセフは「マリアのことを表ざたにするのを望まず」(19節)にいる。自分ひとりの心の中に全てを飲み込もうとしている。

でも、問題が大きすぎて、ヨセフは「決心」してもなお「このように考えている」。

心は揺れる。

おだやかではないヨセフの眠りは、浅い。

 

身ごもっていることが明らかになった(18節)

 

マリアの懐胎は、既に「明らかになっ」ている、とマタイによる福音書は記す。

ヨセフが知った時、この事実は、もはや「明らかになっ」ている。

“不思議な出来事だ”と、話しに尾ひれがついてユダヤ中をゴシップが駆け巡っている、ということ、

ではない。

神が、一人の女の子を通してこの時代に介入なさる、のだということが「明らかになっ」ているのだ、と福音書は宣言する。

そして神が歴史に介在なさろうする時、人は無力。

だから、ヨセフは「ひそかに縁を切ろう」と「決心」する。

でも、ヨセフの思考は揺れ、「このように考えている」ままに、眠る。

 

主の天使が夢に現れて(20節)

 

すると、ヨセフの眠りに天使があらわれる。

「ヨセフ」とは、夢見る人。彼の遠い先祖も夢見る人(たとえば、創世記40章)。

彼は、夢の中で語りかけて来た相手のことを、「主の天使」であると知っている。「聖霊によって身ごもった」という不可解で、人の手に余る出来事のゆえに、ヨセフは、孤独のうちに苦悩してきた。でも、聖霊によるという事実が「明らか」であるがゆえに、ヨセフは、神の助けを信じている。

だから、語りかけて来た相手を疑わない。「主の天使」であることを疑わない。

 

ヨセフは眠りから覚めると(24節)

 

ヨセフは、神の決定の前に身を置く。「主の天使が命じたとおり」に生きようとする。

彼は、そのことを不条理とは思わない。否、マタイによる福音書を残した信仰共同体が、不条理だとは思わない、というべきか。

ヨセフによって示される信仰者の姿勢は、神の絶対的な支配への信頼。

神がなさることに、信仰者として、どのように参与して行くことが出来るのか、ということを祈り求めることこそが、神への信頼。

それ故、福音書は、“ヨセフを”、私たちに示す。

神の御旨を生きる人として。マタイによる福音書を残した信仰共同体の、信仰に生きる生き方の模範として。

余yoteki滴 説教の前の前、あるいはもっと前「神のものは神に」

マタイによる福音書22章15-22節

2017/10/22(三位一体後第19主日に)

 

それから、ファリサイ派の人々は出て行って、(15節)

 

彼らは、キリストの前から立ち去る。“出て行った”先はどこなのだろうか。

キリストの前を離れて、私たちはどこへ、“出て行く”のか。

“私はキリストの前から離れない”、などとは言えない。

私の心は、いつでもキリストの前から離れて、自分の思いへと向かって行く。私はそのようなものに過ぎないから。

 

キリストから遠く離れて

 

彼らが、キリストから遠く離れて企むのは、キリストの「言葉じりをとらえ」ること。

キリストに敵対するものが、キリストを信じるものよりも、深くキリストの御言葉を聴こうとするのは不思議、

ではない。むしろ、

敵対し、「言葉じりをとらえ」ようとする熱意のゆえに、彼らは真理を聴くものになる。

だから忘れてはならない、私が漫然とキリストの前に居るつもりになっているその時に、キリストに敵対するものは、私などよりもはるかに深い聴き手である、ということを。

 

先生、わたしたちは、あなたが真実な方で、真理に基づいて神の道を教え、だれをもはばからない方であることを知っています。人々を分け隔てなさらないからです。(16節)

 

彼らは、キリストというお方を理解している。

マタイによる福音書は、警告する。

いつの時代でも、キリストに敵対するものたちは、“真理を語って”キリストに対抗するのだ、ということを。

 

ところで(17節)

 

彼らは本題に入る。

 

お教えください。皇帝に税金を納めるのは、律法に適っているでしょうか、適っていないでしょうか(17節)

 

覚えておかなければならないのは、彼らは税金を納めている立場。

ローマ帝国の秩序、治安、統治、覇権、安定、政策というものを、(必要悪であると捉えているかどうかは別にして、)是認する立場。

貧しさの中から、辛苦して税金を納めているのではない。

自己の状況を、ローマ帝国という地上の権威が、その支配が保証するということを“よし”としている。

だから、

彼らの中では、メシアを待つユダヤ教徒としてのありようと、ローマ帝国の(市民権の保持とは関係がなく)「臣民」ということとは矛盾しない。併置し、聖と俗とを切り替えるように、応変できる。

でも、

イエスが「教えくださ」るのはそういう生き方ではない。

イエスが「教えくださ」るのは、

キリストが来られた、ということを知って生きるということは、聖と俗とを使い分ける技巧を、知恵として誇る生き方ではない。

キリストが来られた、と知ったものは、キリストの内に生きる。

 

税金に納めるお金を見せなさい(19節)

 

キリストは、彼らに言われる。

今ここに、この神殿の境内というこの場所に、「税金に納めるお金を」持って来なさいと。

彼らは顔をしかめて舌打ちする。

この人は、聖なる神殿のうちに居られながら、その場所に、デナリオン貨を持ってこいと言われるのか、と。

聖なる場所には聖なる貨幣がある。

この神殿は、世俗の権威であるローマ帝国のただ中にあって、孤島のように独坐する聖なる領域。世俗の権威に対抗する唯一の場所。

そこに、

世俗の支配の象徴であるデナリオン貨を持ち込もうとするのは、聖と俗とをはっきりと遮断してこそ保持できる区別をあいまいにする。

彼らは嫌悪を示す。

でも、イエスは、要求される。「税金に納めるお金を見せなさい」と。

今や、キリストは来られ、聖と俗とを儀礼的に遮断する必要は終わった、とイエスは言われる。

キリストの権威が既にこの世の中に光としてある以上、神殿にデナリオン貨を持ち込んではいけない、という禁忌は意味を持たない。

むしろ、神殿が聖域なのではなく、

キリスト御自身がまことの権威としてお立ちになっておられる“そこ”が、“そこ”こそが聖別された所、神殿となる。

 

デナリオン銀貨を持って来る(19節)

 

だから、マタイによる福音書は、ごく当たり前の事のように、何か、財布から取り出すかのような気楽さで、「デナリオン銀貨を持って来ると」と、記すが、この一文にこそ、キリストの全能の権威が示される。

彼らは、“見せなさい”と命じられるキリスト権威に抵抗できない。

キリストが“見せてごらん”、と私に語られる時、

私は、

自分の手が握りしめているものを、

手をゆっくりと開いてキリストに見せる。

私は、

いつでも、キリストに見せたくないものを、手の内に、心の内に、抱え込んでいる。

 

キリストの前から「出て行」(15節)こうとする

 

そして私は、

いつでも、キリストの前から「出て行」こうとする。だから、

私は、

いつでも、キリストの前か「出て行」こうとする私と、キリストの前に留まろうとする私との間で、軋む。そう、キリストの権威の前で、“すべてはあなたのものです”、と私が全身で告白することを、いつでも主は、待っておられる。

 

「これは、だれの肖像と銘か」(20節)

 

私が、神のものでありながら、この世のものでもあろうとする時、私が頼るのは、この世の「肖像と銘」。

「ハイデルベルク信仰問答」は問94の答でこう教えてくれる。

「わたしが自分の魂の救いと祝福とを失わないために、あらゆる偶像崇拝、魔術、迷信的な教え、…を避けて逃れるべきこと」。

 

この世の権威は、経済、繁栄、優位、情報を保証してくれる。

しかしそれは、偶像崇拝。

私はいつでもそれらから全力で「避けて逃れ」なければならない。キリストのもとへ。

 

皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい(21節)

 

マタイによる福音書21章23節において、祭司長や民の長老たちが、「何の権威で」と問うた。

その結果、キリスト御自身が権威であるということが明示された。

キリストのご支配の中にあって、キリスト以外の全ての「肖像と銘」は、その権威を失う。

それ故、「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に」とイエスが言われる時、それは、私の持っているものの何分の一かを神に返すこと、ではない。キリストの権威の前では、私の全てが「神のもの」なのであり、私という存在そのものが「神のもの」なのだから。

私が抱えているものがデナリオン貨であろうと、偶像崇拝へと傾いてしまう弱さであろうと、キリストは、私に、

“さあ、手をひらいて、あなたが手のうちで必死に握りつぶそうとしているものをみせてごらん”、と語りかけてください。

“見せてごらん。あなたの弱さをも、恥をも、見せてごらん。そのすべてを私に差し出してごらん”。

キリストは私に、語ってくださる。

 

彼らはこれを聞いて驚き、イエスをその場に残して立ち去った(22節)

 

キリストは、敵対するものたちをも招かれる。彼らに、「持って来」なさいと命じられる。自分を、

ありのままの私を、キリストの目の前に「持って来」なさい、と言われる。

私も、

手の中、心の内に、握っているものを持ってキリストの前に立つ。

でも、

イエスが私に「神のものは神に返しなさい」、あなた自身、あなたの全ては「神のもの」なのだからあなた自身を「神に返しなさい」と言われる時、私は、その御言葉の絶対性のゆえに、

揺らぐ。怯む。

そして、

せっかくありのままの自分を、「持って来」たのに、

せっかくキリストの前に至ったのに、

せっかくキリストからあなた自身を「神に返しなさい」と言っていただいたのに、私は、

躊躇する。

 

マタイによる福音書を残した信仰共同体は、キリストの絶対的な宣言の前に立つことが畏怖すべき事だと知っている。

ここまで来たのに!

キリストの御言葉の前に至ったのに!

差し出せない弱さを、私たちが生きていることを承知している。

「聞いて驚き」はしても、「イエスをその場に残して立ち去」るだけで終わる弱さを、福音書は、知っている。

「神に返し」つくして生きることの難しさを知っている。

そして私も、「立ち去」ることしか出来ないもの。

 

であったとしても、私は、「神のものは神に返しなさい」というキリストの御声を聴いたものとして、歩み出す。

もう、決して、それ以前の聴いたことがない自分へは後戻りできない。

そして主は、

“キリストの恵みの内に、キリスト共に歩み出しなさい、さあ、もう一度、今度こそは「立ち去」らずに”、と、

何度でも私に語りかけてくださる。

余 yoteki 滴  2017年12月3日

「もし、お前が正しいのなら」(創世記4章7節)

「カインは土の実りを主のもとに献げ物として持って来た」(3節)。でも、神はカインをかえりみない。そして神は、カインにこう言われる。

「どうして怒るのか。どうして顔を伏せるのか。もしお前が正しいのなら、顔を上げられるはずではないか」(6-7節)。

私には、この神さまの言葉が判らない。

と言うよりも、キライ。

“正しい”と、私が思っていても、顔を上げることができないことは、ある。というよりも、その方が多い。

怒りがある時に、顔を伏せて、その怒りを自分の内に堆積させることもある。というよりも、その方が多い。

怒りで奥歯を噛み砕く事もあるし、怒髪天をつく事もあるし、中国の故事(だったと思うけれども)で言うのであれば、怒りの内に叩頭して、ついに額を打ち割って死んでしまうことも、ある、と思う。

神はそういう人の思いを理解してくださらないのか。私は、いつでもカイン。

神の前に顔を伏せるしかない、そういう自分を持て余すカイン。

神は、なぜ顔を伏せて怒りを鎮めようとするカインの“気持ち”を聞いてくれないのか。

神とは、そのように私に、カインに、寄り添う方では決してない、ということなのか。

怒りは、顔を伏せさせる、と私は思う。主の“正しさ”を尋ねる怒りは、いつでも私の顔を伏せさせる。

怒りは、悲しみと「双子」。

怒りの半分は、悲しさ。

だから私は、主の前に顔を伏せる。そしてカインを思い出す。「カインは激しく怒って顔を伏せた」(5節)と聖書は記すが、カインの「激しい怒り」は、「双子」の「悲しみ」を伴ってカインの心中に発している。そして、「怒り」と「悲しみ」という「双子」は、「絶望」という「卵」を温めている。心の内に、「絶望」が孵った時、カインは、「兄弟」アベルを殺す。自分の心を切り裂く。

神はそのようにカインを追い込まれる。

私はそういう神さまがキライ。

追い込まれ、心の内に「絶望」を孵化させてしまうカインに、私に、私は肩を落とす。私は神さまのなさりようが判らず、神の前に空回りする。

さて、この聖句は11月28日のローズンゲン。私は、この気持ちを持て余しつつ週日を過ごしていた。

というのも、私はその前日(11/27)、福島の白河教会で葬儀に列していた。67歳で地上の生涯を終え、主の前に帰った牧師の葬送式。

彼は富山の教会に仕えている時に病いを得、不自由な思いをしながら、主が用いてくださる仕方で、教会に仕えて来た。

彼が病いを得た時にも、私は、“主よ、どうしてなのですか”、と主に尋ね、主の前に怒り、顔を伏せた。

彼の召天の報に接した時にも、“主よ、なぜなのですか”、と主に尋ね、主の前に怒り、顔を伏せた。

彼は、19日の主日に、或る教会で説教の奉仕をし、翌日倒れ、22日に帰天した。最後まで主の僕であり続け、神の前に献げものを、実りを、持って来る歩みを続け、そして取り去られた。

木曜日(11/30)のローズンゲンは、出エジプト記33章17節。

『主はモーセに言われた「あなたのこの願いもかなえよう。わたしはあなたに好意を示し、あなたを名指しで選んだからである」』。

私は、“いいかげんにしてくれ”と思う。

モーセにここまで言ってくださるのであれば、カインに、そのほんの少しでも、なぜ、声を掛けてくださらないのか。

“主よ、私は至らないものですから、「好意を示し」ていただく程もののではない事は知っています。でも主よ、あなたの選択の基準が私に判りかねます”。

私の心はそう叫ぶ。

叫びつつ、私は『ハイデルベルク信仰問答』をめくっている。

『ハイデルベルク信仰問答』問127(問「第六の願いは何ですか」)の答は次のとおり。

「われらをこころみにあわせず、

悪より救い出したまえ」です。

すなわち、

わたしたちは自分自身あまりに弱く、

ほんの一時(ひととき)立っていることさえできません。

その上わたしたちの恐ろしい敵である

悪魔やこの世、また自分自身の肉が、

絶え間なく攻撃をしかけてまいります。

ですから、どうかあなたの聖霊の力によって、

わたしたちを保ち、強めてくださり、

わたしたちがそれらに激しく抵抗し、

この霊の戦いに敗れることなく、

ついには完全な勝利を収められるようにしてください、

ということです。

(『ハイデルベルク信仰問答』吉田隆、訳、新教出版社)

カインが心の内に「絶望」を羽化させてしまったように、私も、心の内に「神への懐疑」を育てている。この卵は、「怒り」と「悲しみ」という「双子」があたためていたもの。私の心は、カインの心は、その揺籃になる。

そして、それは500年前に、『ハイデルベルク信仰問答』を残した人々も同じ。

彼らは、戦乱、凶作、飢餓、疫病、不信、振りかざされる正義、の只中で、カインの心を抱えている。自分自身の内側に「恐ろしい敵」を抱えている。だから、カインの心と同じにならないために「激しく抵抗」する道を選ぶ。

確かにそれはりっぱ。

でも私は、その“健全さ”にもうんざりする。私はそんなに健康ではない。

怒りの中で、奥歯を食いしばってそれに耐えることは出来ても、「激しく抵抗」して「ついには完全な勝利を収められるように」と祈る健康さを、私は、生きてはいない。

だから私は、『ハイデルベルク信仰問答』のこの答えに感銘を受けつつも、その祈りの深さに驚嘆しつつも、私はその前に立ち止まるしかない自分を生きる。

神の遠さを思い、カインである私は、でも私が「兄弟」を殺さない生き方をするには、私は神に何を願って行けばいいのかと尋ねるために、私は、歩んで行く。

キライな神さまに尋ねるために歩んで行く。この一週間もそうであったように、これからも。

キライな神さまの前を、行きつ戻りつしつつ、歩んで行く。

先に御国へと帰った同期の教師の、神の前での柔らかな歩みを思い起こしつつ。

余yoteki滴 終末節黙想

「自分の財産」 マタイによる福音書25章14節

(2017/11/19 終末前主日に)

 

14自分の財産を預けた

 

キリストは、天の国は、私たちに神が「己が所有(もちもの)を預くるが如し」、と言われる。

神は、私に預けてくださる。御自身のものを。

「預かる」というと、何か消極的な印象。でもこの字は、「委ねる」、「託す」とも言い得る。

私たちに、キリストは託してくださる、委(まか)せてくださる、御自身の所有(もちもの)を。

 

16五タラントン預かった者は出て行き、それで商売をして、ほかに五タラントンもうけた。

 

「商売」と新共同訳は翻訳している。が、この語は、「働かす」という意味。「商売」というよりも貨幣を働かせる(という意味での)「投資」とか「運用」というニュアンス。文語訳は、「五タラントを受けし者、は直(ただ)ちに往(ゆ)き、之(これ)をはたらかせて、他に五タラントを贏(もう)け」と「はたらかせて」と訳している。資産運用と言うべきか。

 

で、文語訳は「儲ける」というところに、「贏(もう)ける」という漢字をあてている。中国の古い字書である「説文解字」では、この「贏(エイ)」という字を、「有餘、賈利也。从貝エイ(「贏」という字の下の月と卂(あるいは凡)の間が貝ではなく女)聲」と説明している。よって白川静は、「貝を財利の意と解するものであろう」と説明する(「字通」)。つまり、「贏」という字には、賈しての余利、余剰、利ざやという意味が強い、ということ。

 

16ほかに五タラントンもうけた。

 

あるいは、私たちは、発想を転換して次のように考えた方がいいのかも知れない。

神が、御自身の所有(もちもの)を預け、託して行かれるのが、「天の国」なのだとすると、神から託されたもので「もうける」ということが推奨されているのでは、ない、ということ。

神の「所有(もちもの)から利ざやを得るなどということよりも、神から託された「タラント」を、恵みを、祝福を、5タラントンもの大量の賜り物を、余さず人のために用いることこそが、求められているのではないか、と。

もちろん彼らは「宜(よ)いかな、善(ぜん)かつ忠(ちゅう)なる僕(しもべ)」と言われる。でも、本当に神の所有(もちもの)に対して忠実な良い僕は、託されたもので余剰を得るのではなく、ましてや、「汝(なんじ)のタラントを地(ち)に藏(かく)しおけり」とするあり方でもなく、主人が帰ってきた時に、

“託されたあなたのタラントは、ご覧ください、他者のためにきれいに使い尽くしました”、

ということができる歩みなのではないだろうか。

余yoteki滴 終末節黙想

「ともし火」 マタイによる福音書25章1-13節

2017/11/12(終末前々主日に)

1そこで、天の国は次のようにたとえられる。十人のおとめがそれぞれともし火を持って、花婿を迎えに出て行く。

キリストは、このように、地上での最後の説教をはじめられる。

このイエスの教えは、

12わたしはお前たちを知らない

とくくられる。

この句は、マタイによる福音書7章23節の

あなたがたのことは、全然知らない

と対応する。

キリストの、地上での最初の説教である「山上の垂訓」がそのように締めくくられるのに対応する。

 

と言うのも、マタイによる福音書を残した信仰共同体は、その位置がどこであろうと、ユダヤ教共同体からも、或いは、多神教社会からも隔絶した陸の孤島のような、大海に浮かぶ島のような小さな共同体。

そして、その共同体は、イエスを「義の教師」として信じ、その教えを生きようとする群れ。

でもだから、

自分たちがイエスの教えを生ききれない、ということを知っている。

小さい信仰、「小信仰」と呼ばれてしまう、信仰的な弱さを生きている自覚がある。

主から教えられた信仰を生ききることができない、自分たちの(信仰を生ききることができない、という)弱さ、至らなさを、終末の切迫という感覚の中で、自分たちの悩み,、困難として受け止めている。そして、「あなたたちのことは、全然知らない」と、終末の時に主に言われてしまうのは、私だ、との自覚に生きている。

 

だから、

主から「わたしは、お前たちを知らない」と言われるであろう信仰の弱さを、でも、信仰に踏みとどまり続ける歩みを、次の世代に伝えて行かなければならないと思っている。

そして、

それでも自分たちがイエスから教えられ生きてきた信仰を、書き記して次世代に伝えて行こうとしている。

 

先日、皆川達夫先生の講演を聴く機会があった(2017年11月11日。立教大学)。

その中で、皆川先生がキリシタンの信仰を「キリスト教的礼拝をする多神教信仰」とおっしゃった。いろいろな評価があると思うが、概ねそういうことであろうと思う。

 

キリシタンの人たちが、「サンタ・マリアさまの御像はどちらですか」とプチジャン神父に尋ねたのは、1865年3月17日。この日を「長崎信徒発見日」という。そのことをきっかけにして、浦上四番崩れという過酷な迫害を、江戸幕府−明治政府は起こす。

 

いずれにしても、キリシタンからカトリックに回帰した人たちと、今でもキリシタンの信仰に留まっている人たちとがいる。隠れてはいないわけですが、キリシタンとしての信仰を生きている。で、それはキリスト教かというと、難しい。皆川先生が言うような「キリスト教的礼拝をする多神教信仰」というのが正しいのだと思う。200年、300年と経つうちに、信仰が変質して行く。それは或る意味、自然なこと。

 

だから、マタイによる福音書を残した信仰共同体も、自分たちがイエスから受けた信仰が、最初の信仰とは違ってきているのではないか、ということへの危機感、そういうものを強く感じて、そして、福音書を残して行かなければならないと感じている。次の世代に伝えて行かなければならないと感じている。

 

1十人のおとめがそれぞれともし火を持って、花婿を迎えに出て行く。

さて、10人のおとめがともし火を持って、花婿を出迎えに行く。

2そのうちの五人は愚かで、五人は賢かった。

 

私はいつでもこの箇所を読み間違える。五人は賢かった、五人は愚かだった、の順番ではないかと思ってしまう。

 

なぜ、「愚か」といわれている「おとめ」たちが先なのか。

「賢い」と訳されている言葉は、勉強ができるとか、成績が優秀だ、とか言う意味ではない。調和的で、回りに配慮できる、ということが、ここでは、「賢い」と訳されている。

 

では、「愚か」とはどういう意味なのか。

で、私は、マタイによる福音書を残した人たちが、自分たちのことを「愚か」なおとめの方になぞらえているからなのではないか、と思う。

先に言ったように、マタイによる福音書を残した信仰共同体は、この世の他の人たち、ユダヤ教共同体であれ、多神教の世界に生きる人たちであれ、そういう人たちから浮き上がって生きている。

調和的に、この世の他の立場の人と融和的に(或いは宥和的に)生きることができない。それをすると、自分たちがイエスから教えられた生き方が変わって行ってしまう。

キリシタン信仰が、キリスト教信仰から次第次第に変質して離れて行かざるを得なかったように、イエスから教えられた生き方が、変質して行くのではないか、と恐れている。

だから、この世の人たちから見れば、「愚か」としか言えない生き方しかできない。

他の人々から隔絶して生きるしかない。

それゆえ、「愚か」なおとめのことを、マタイによる福音書を残した人たちは、自分たちのことだと感じる。

 

3愚かなおとめたちは、ともし火は持っていたが、油の用意をしていなかった。

4賢いおとめたちは、それぞれのともし火と一緒に、壺に油を入れて持っていた。

5ところが、花婿の来るのが遅れたので、皆眠気がさして眠り込んでしまった。

「愚か」と言われているおとめ達も、「賢い」と言われているおとめ達も、共に眠り込んでしまう。

眠ってしまうのは一緒。

眠ってしまうのは咎められていない。

ゲッセマネでキリストが祈っておられる時に、弟子たちは皆、眠ってしまう。確かにキリストは、「あなたがたはこのように、わずか一時もわたしと共に目を覚ましていられなかったのか」(マタイによる福音書26章40節)とおっしゃるが、それは叱責ではないし、眠ってしまったことで弟子失格になるわけではない。

では、何が「愚か」なのか?

油を持って来なかったことか?

花婿の到着は遅れに遅れて、真夜中になった。やっと「花婿だ。迎えに出なさい」との声がする。寝ていた10人のおとめは、皆、起き出して「それぞれのともし火を整えた」。

 

8愚かなおとめたちは、賢いおとめたちに言った。『油を分けてください。わたしたちのともし火は消えそうです。』

9賢いおとめたちは答えた。『分けてあげるほどはありません。それより、店に行って、自分の分を買って来なさい。』

「愚か」なおとめ達が「消えそうです」と言った時、「買って来なさい」というのは「賢い」のではなく、意地悪ですよね。コンビニエンスストアがあるわけではないのに、「買って来なさい」はないと思う。まあ、「乙女」というものは、意地悪なもの、なのかもしれないが。

 

第一、この時、10人のおとめ達のともし火は、消えてはいない。

「愚か」なおとめ達のともし火も、「消えそう」なのであって、消えてはいない。

ところが、この「愚か」なおとめ達は、「買って来なさい」という、賢い、じゃなくて意地悪な、おとめ達の言葉に従ってしまう。

 

では、「油」とは何か。

信仰は、他人から継ぎ足してもらえるものではない。

他人からもらえるものではない。

渡辺信夫先生が書かれた若い頃の説教集『イサクの神、ヤコブの神』に、「親の信仰がそのまま無造作に子の名義に書き換えられるのではありません。親への祝福は…これは霊的な祝福ですから、霊的に受け容れられ、霊的に受け継がれねばなりません。…神の契約は永遠的なものですが、それは一代一代更新されるということによって永続するのです」(p.59以下)という言い方が出て来る。その通りだと思う。偉大な信仰は、引き継げない。

 

信仰は、一人ひとりが、神と対話する中で養われ、深められて行くもの。誰かからもらったりすることのできないもの。

そして、

「愚か」なおとめ達のともし火は、まだ消えていない。

 

祈りは、自分の言葉で祈るものであって、誰かから借りて来て祈ることができるわけではない。もちろん、成文祈禱はあるし、充分に用意された祈りもある。でも、その祈りの言葉に「然り」、「アーメン」と、言えるかどうかは、その言葉が自分のものになっているかどうかにかかっている。

 

さて、「愚か」とは何か。

「愚か」とは、“花婿がきた。迎えに出て来なさい”と言われているその状況、つまり、花婿が到来している、目の前に、ここに、私の前に、キリストが来ておられる、という状況なのに、花婿の前を、キリストの前を離れてしまうということ。

油を買いに行ってしまうということ。

まだ、ともし火は、「消えそう」ではあってもともっている。

なのに、その自分のともし火、信仰を信頼することができず、今、この時、花婿が来ている時に、キリストが来られた時に、その場を、キリストの前を離れてしまう、ということ。

 

私たちは、キリストを待つ間、眠り込んでしまってもよい。

「目を覚ましていなさい」と確かに教えられているけれども、それでも眠り込んでよい。

信仰は、そんな緊張し続けていては保てない。

桂枝雀は、落語は「緊張と緩和」だと言ったが、信仰も「緊張と緩和」。

キリストの前に、いつ来られるか判らないキリストの前におるのだ、という緊張と、そのキリストの前で眠り込んでしまうことが許されるという緩和、安心、神の前におるという安らぎ、それが信仰。

信仰とは、ですから桂枝雀風に言えば、「緊張と安らぎ」です。

でも、

神の前を離れてはいけない。

自分の信仰の弱さ、ともし火のあやうさを知っているのであればなおのこと、キリストの前を離れてはいけない。

油を買いに行く必要はない。

賢く、でも意地悪なおとめの言葉にのせられてはいけない。

 

カトリックの神父さまの言葉なので、私たちにはやや判りにくいが、アルベリオーネ神父の言葉。

カトリックの場合、聖餐式のパン(ホスティア)が、聖櫃或いは聖体顕示器に納められて、礼拝堂(聖堂)に安置されている。神父は、このご聖体を訪問する。そして、今、ご自分の生涯が終わろうとする時に(だと思う)、このように言う。

「わたしは毎日イエスを訪問しにいった。みもとにいこうとしている今、イエスがわたしを迎え入れられ、ご自分を示され、ご自分を明らかに見せられ、そして、顔と顔を合わせて彼を見るようになるという確信がある。わたしはいつもみ顔とその霊とその愛とを捜し求めた。彼はわたしを遠ざけられはすまい」。

キリストの前に留まり続けて、わずかでしかない、小さな信仰を、そのともし火を消すことがないように、消えないように、主に祈る。キリストの前に留まり続ける、それが「愚か」でしかないけれども、でも、「愚か」にならない終末を待ち望む私たちの姿勢なのだと、今日、マタイによる福音書は、私たちに教える。

余 yoteki 滴 2017年7月30日

ヤコブのおはなし

採用されなかった《夏期学校》の劇台本

(第1の場)レンズ豆(創世記25章27-34節)

 

ナレーター  ある日の夕方、ヤコブはレンズ豆の煮物を作っていました。

ちなみに、レシピは次のとおりです。

まず、レンズ豆を収穫します。その際に、虫に食われていたり、割れていたりするのを除きます。

つぎに、レンズ豆をきれいな水で洗います。水に入れた時に、浮いてきた豆は、やはり除きます。

そして、一晩、水につけておきます。

朝になったら、鍋に豆を移し、ゆっくり、ことことと、煮ます。

その時、豆のこと以外、考えてはいけません。

レンズ豆は、赤い豆なので、ヤコブの頭の中は「赤いもの」という意味の「アドム」という言葉だらけになります。

ヤコブ    アドム、アドム、アドム、アドム、(無限に)…

ナレーター  ヤコブの頭の中のレンズ豆と、鍋の中のレンズ豆とが程よく煮えてきたら、岩塩を削って味を整えます。

ヤコブ    アドム、アドム、アドム、アドム、(無限に)…

ナレーター  おっと、草原からお兄さんのエサウが帰ってきました。

エサウ    ヤコブ、お前は朝から何をしているんだ? その鍋の中のアドムは何だ?

ヤコブ    アドム、アドム、アドム、アドム、エドム、エドム、エドム(無限に)…

エサウ    おいヤコブ、お兄さんの私を、今、あだ名の「エドム」で呼び捨てにしたな?

ヤコブ    アドム、エドム、アドム、エドム、アドム、エドム(無限に)…

エサウ    そう何度も人のことを呼ぶなよ。ああ、いいにおいだ。ヤコブ、わたしは疲れきっているんだ、その赤いもの、そこの赤いものを食べさせておくれ。

ヤコブ    アドム、エドム、アドム、あ、お兄さん、お帰りなさい。すみません、レンズ豆を煮ている時には、レンズ豆のことしか考えちゃいけないものですから、お兄さんが帰ってきたのに気がつきませんでした。アドム、エドム、アドム、エドム、えーとエサウお兄さん、何か言いましたか?

エサウ    だから、その赤いもの、そこの赤いものを食べさせておくれ、と言ったのだよ、私は疲れきっているんでね。

ヤコブ    いいですよ。そろそろ美味しく煮えてきたところです。ところで、このレンズ豆の煮物にパンと美味しいハーブティーをおつけしますが、いったい、何と交換しますか?

エサウ    交換したくても、今日は何もとれなかったから、交換するものを持っていないんだ。次に倍にして返すからさ、その赤いもの、そこの赤いものを食べさせておくれ。私は疲れきっているんだよ。

ヤコブ    じゃあお兄さん、お兄さんの長子の権利を譲ってください、それと交換しましょう。

エサウ    私の持っている長子の権利? そんなものでいいのか? 食べられないぞ?

ヤコブ    食べられなくてもいいです。お兄さんの長子の権利を譲ってください。今すぐ、譲ると誓ってください。

エサウ    ああ、もうおなかがすいて死にそうだ。誓うよ。長子の権利は、ヤコブに譲った。

ヤコブ    では、私もレンズ豆の煮物にパンと美味しいハーブティーをつけてお兄さんに譲ります。

エサウ    ありがとう。ではいただくことにしよう。いただきまーす。

ナレーター  エサウは、レンズ豆の煮物を一鍋と、パンと、ハーブティーとを美味しそうに、食べていますねぇ。あ、食べ終わりました。「ごちそうさま」ってヤコブに言っています。うわっ、手の甲で口の回りを拭いました。あっ、その手の甲もなめています。「じゃあ、またあした。おやすみなさい」なんて言っています。あっ、行ってしまいました。

 

・ 今年のCS夏期学校(7/22(土)13:30-19:00)は、「イエスさまの光を映して – ヤコブ物語から – 」と題してもたれました。人数は決して多くはありませんでしたが、楽しい、充実したひと時でした。

・ なお、テーマは「季刊教師の友」7月30日の説教例題から採用されました。7月の「季刊教師の友」の教案がヤコブであるのにあわせて、夏期学校のプログラムは、組み立てられました。

・ 掲載の台本は、不採用になったものです。実際には、楽しく体験できる7場ものの「ヤコブ物語り」が演じられました。

余yoteki滴 説教の前の前、あるいはもっと前 「始まりと終わり」

明くる日、すなわち、準備の日の翌日、祭司長たちとファリサイ派の人々は、ピラトのところに集まって、こう言った。「閣下、人を惑わすあの者がまだ生きていたとき、『自分は三日後に復活する』と言っていたのを、わたしたちは思い出しました」。         マタイによる福音書27章62-63節

 

 ☆

思い出した。

「三日後に復活する」そう云っていた。

まったく! この祝いの杯を飲み干そうというこの時に思い出すなんて!何といまいましい! これから、ピラトの所に行こう。

 

☆☆

そうです、閣下。

もしも、もしもです。万が一に、です。あり得ない話しですが、でも、三日後に奴の体がなければ、いや閣下、閣下は、気を悪くなさらいでいただきたい。もちろん仮定の話しです。仮に、いえ、閣下がこの聖なる都(エルサレム)にご滞在のその時に、かような不逞のやからが、閣下のご隷下で何事かをできるはずがないことは、私どもも努々(ゆめゆめ)承知をいたしております。ただ、万万が一という、そういう事でございます。はい。私どもは神殿衛士(えじ)を出しまする、ええ、もちろんです。でも、私どもの衛士(えじ)では、その装備が、はい、軽装でございます。ええ、承知しております。この時節に、閣下の直衛の軍団をお借りするのは、はい、もちろん無理は承知でございます。ただ、万万が一に、はい、仮に、本当に、仮に、でございますが、彼の者の墓が、閣下がおわしますその時に、墓がでございますよ、空(から)になるなどというような事がでございます、はい、もしも、そのような事が発生いたしますと、ええ、そしてその事がローマにまで聞こえまして、皇帝陛下のお耳をけがす、というようなことがございますと、です、いえ閣下、お怒りにならずに。あくまでも、もしも、でございます、はい。もちろんです。私どもは閣下と一心同体でございます。はい、私どもの口は、滅法固いのでございます。はい? 承知しております。ローマ帝国の軍団兵を警備にお出しいただくわけですから。はい、もちろんでございます。閣下には格段のご配慮を願うわけですから。はい。ご英断、感謝いたします。はい。サンヘドリンを代表して謝意を…、はい? あ、おたち…。

 

サンヘドリンの年寄りどもめ。

臆病風に吹かれおって。自分たちで十字架上での死に追い込んでおきながら、亡霊に早くも怯えておるわ。政敵を死に追いやるなど日常茶飯事のローマの政局など、あれではとても生き抜けまい、笑止なことよ。

そうだ。

確か、あの十字架の時に、当番士官であった百人隊長がおったな。コルネリオとか云う大尉、あの者の隊に預けるか。

始まりも見たのだ、終わりも見させよう。

 

◆◆

なに? 例の百人隊長は、あの十字架の出来事の任務の後に、休暇に入った? あげく、除隊を申請して来て、それを認めた?

どうして? 言語明瞭意味不明です? どういうことだ? 何と、あの十字架を直近で目撃して、“かぶれた”、とな。ははっ!、ローマ帝国軍人ともあろう者がか! よいよい、除隊でよい。ああ、構わぬ。何、つまらぬ小遣い稼ぎだ、誰でもよい。そうだな、予備槍兵でも出しておけ。いや、待て。本当に復活したらどうしよう。ええい、何を弱気な事を。予備槍兵でよい。そうだ。それでよい。

 

☆☆☆

結局、金か。

ローマの高官と云いながら、むしり取れるだけむしり取りに来ているだけの者よ。話しをするとこちらの口が腐るわ。

何? こっちは銀30枚を返して来た? バカか。あのようなことに用いた金を、受け取れるわけがないわ。絶対に、神殿に入れるな。市井(しせい)で使え。今はそれどころではないのだ。

予備槍兵だと? ピラトは、ロートルをまわして来たのか。無礼な。

 

☆☆☆☆

だから云わんこっちゃない。彼の者の弟子たちが「復活なさった、復活なさった」と飛んで跳ねておるわ。全くいまいましい。

ピラトはどうした? 何? 祭りの後、すぐにカイサリアに帰っただと? 王は? アンティパス王も一緒に帰っただと? いつからつるむようになったのだ、あのタヌキとキツネは? 

よいわ。金で黙らしておけ。判らぬか? 「事実(ほんとうのこと)」とはな、作るものよ。よいか、小難しい事をならべた「真理(ほんとうのこと)」なるものの前に、理解しやすい「事実(ほんとうのこと)」をぶらさげてやればよいのだ。“死者が復活した”、というのが「真理(ほんとうのこと)」ならば、“弟子たちが盗み出した”、という判りやすい「事実(ほんとうのこと)」を云い広めればよいのだ。この聖なる都(エルサレム)は、いつでもこのように「情報(ほんとうのこと)」を作り出して身を守るのだ、と知らしめてやれ。

ああ、これで本当に祭りの後だな。やっと街が静かになったわ。

 

除隊した。

即応予備士官になった。

予備役編入も悪くないな。

さて、もうこの都市(エルサレム)には用がないな。

カイサリアにでも行って、のんびり暮らすことにしよう。

その内、あの「神の人」の弟子たちが、彼らが知った「福音」を告げに来る時がやって来よう。

私も見た、あの方の事を伝えに、な。

「神の人」の弟子たちの働きを見届けよう。

神は、私に、十字架の死という始まりを見せ給(たも)うたのだ、終わりもまた、きっと見させてくださるに違いないであろう。

 

◎ 参考聖書個所( – 標記以外 – )

・ マタイによる福音書28章11節以下

・ ルカによる福音書23章6節以下

・ 使徒言行録10章1節以下

 

 

余yoteki滴 2017年4月16日

「たまご」

 

ご隠居さん、イースターおめでとうございます。で、えへへ。

「なんだ、変な笑い方だな、その差し出された手は、何を要求しているのかな?」

 

いえね、イースターだから、「ご復活玉」をいただこうと思って。

「『ご復活玉』だって? 聞いたことがないな? なんだねそれは?」

 

お正月には、お年玉。それで、イースターには「ご復活玉」がいただけると。

「ははぁ、どうもすごいこじつけだな。ご復活祭の玉子のことだろう? 確かに、ご復活祭を、玉子をもって祝う習慣があるな。玉子やうさぎがご復活祭の、いわば目印だな。でも、『ご復活祭の玉子』を『ご復活玉』だなんて縮めて云うのは聞いたことがない」

 

いえ、こども衆は「玉子」でいいんですけどね、あっしらは、のし袋に入った「ご復活玉」。

「なんだいそれは。手を出しても、教会でいただいて来た玉子だけだ、あげられるのは」

 

なんだつまらない。

「つまらない、とは何だ。ご復活祭の玉子だぞ。ありがたくいただくと寿命がたんと伸びる」

 

本当ですか? 寿命が伸びるというのであれば、玉子の10(とう)や20(にじゅう)は、…

「おいおい、そんな無理して食べちゃいけない。ほら、そんなにほおばるから。苦しかないか? 寿命が伸びるなんて、戯れ言だよ。信じちゃぁいけない。おや、大変だ。ばあさんや、水をもって来ておくれ。水! あれ? 水って、おまえさん、馬に飲ませるんじゃないんだよ、バケツで水を持って来てどうするんだね? 何、頭からかぶせる? って乱暴な。ほら、目を白黒させてるじゃないか。飲ませる水を持って来てあげなさいって。何? お前さんも苦しいのに何かしゃべろうとしない。えっ? 何んだって? ご復活祭の玉子で苦しい? 判ってますよ。ああ、やっと喉を通った。ああ、びっくりした。大丈夫かね」

 

大丈夫だと思いますがね、いやあ、ご復活祭の玉子でイエスさまの十字架上の苦しみが少し判ったような気がしました。まさにこの苦しみが、“鶏卵のキリスト”なのですね。

「お前さん、それはまさか“荊冠のキリスト”のもじりかね?」

 

はは、ちっと苦しい。

– お後がよろしいようで –

余yoteki滴 2017年4月9日

「枝の主日」

 

ご隠居さん、お迎えが来ました。

 

「おまえさんねぇ、いきなり“お迎えが来ました”、なんて声を掛けてはいけない。そうかなぁ、と思っちゃうじゃないか。何か用かね?」

 

嫌だなぁ、約束してたじゃないですか。花見ですよ、は・な・み! ですから長屋のみんなしてお迎えに来た、と、そう云う訳ですよ。

 

「ああ、そうだったな。でも、今日は行かれない」

 

どうしてですか? ちょうどいいあんばいに咲いていますよ。行くのだったら今日が一番、って感じですけど。

 

「今日はな、“棕櫚の主日”或いは“枝の主日”と云ってな、イエスさまがエルサレムに入城されたことを覚える日だな。そして今日からの一週間を、“受難週”とか“聖週”と呼ぶ。だから私も、斎戒して主のご受難を覚えて過ごす、とそういうわけだ」

 

へえぇ、でも、どうして今日のことを、“棕櫚の主日”って云うんですか?

 

「それはおまえさん、今日、イエスさまがエルサレムにお入りになったな。その時、人々が棕櫚の枝や自分の上着を敷いて、ろばの子に乗ったイエスさまをお迎えした、と聖書に書かれているからだ」

 

イエスさまが今日、エルサレムに入られたとすると、沿道はごった返していたでしょうねぇ。

 

「それでなくとも“過越しの祭”に人が集まっている時だ、エルサレムは人であふれていたな。人の波、というやつだな、歩くのも大変だ。道行く人たちに押されながら歩くようなものだ。その最中に、イエスさまがろばの子に乗ってご入城なさるわけだ。押すな押すな、の人だかりだな」

 

すごいものですねぇ、ところで、エルサレムに桜はないんですか?

 

「そうだな、この時期だと、同じバラ科のアーモンドの花とかが咲くな」

 

そうすると、イエスさまも花見はなさったのですかねぇ。

 

「お前さん、どうしてもあたしを花見に連れて行きたいみたいだな。イエスさまもきっとアーモンドの花は御覧になったと思うな。でも、花見気分ではなかっただろうな」

 

そうでしょうねぇ。ろばの子に乗っているんじゃぁ、なおさらだ。

 

「ん? どうして、ろばの子に乗っていると、花見にならないと思うんだね」

 

だってご隠居、人でごった返している時にろばの子に乗っているですよ、「子ロバ」ないようにするだけでも大変だ。

 

– お後がよろしいようで –

余yoteki滴 四旬節黙想 2017年3月26日

「ぶどう園に行きなさい」(マタイによる福音書20章7節)(その4)

さて、私は、自分の目にある丸太に、気づくことができない(マタイ7:4)。

そして、丸太で目がふさがれているから、私は「不平」を言う(20:11)。

「家の主人」が、神が、何度もなんども、いつの時も、語りかけ、招いてくださった、神と私との「約束」(協定 / 契約)の、その大きさ、無限さには目を向けず、他人が、神さまから恵みをいただく時には「不平」をならす。その「悪しき」思いは、ただ、私の内からのみ、出る。

神は、そねみ、「一歩、一歩を踏み誤りそう」(詩 73: 2)になる私に、「悪しき」を内にかかえ続けている私に、その内側のままでいい、潔(きよ)いとは言えないままでよい、そうおっしゃり、声を掛けてくださる。

あなたも、「ぶどう園に行きなさい」、私のところに来なさい、と。

だから私は、このままで、「悪しき」目のままで、その目を覆いつつ、主のもとへ、「ぶどう園」へ歩み出して行く。

私には、自分の目を覆うことしか、できないから。

「悪しき」目で、主よ、あなたを見ることはできないから(イザヤ書6:5)。

あなたが、そのままでよい、と言ってくださる。

だから、私は、片方の目で、「悪しき」目ではあるけれども、その目を開いて、あなたの「ぶどう園」への道を、捜し求めて歩み出す。

そう、主よ、このままで、私も、あなたの「ぶどう園」への道を、この四旬節に、歩み出す。

あなたの、呼び掛けてくださる声にのみ、信頼して。

余yoteki滴 四旬節黙想 2017年3月19日

「ぶどう園に行きなさい」(マタイによる福音書20章7節)(その3)

私は「家の主人」の声を聞く。風が吹く頃、薄暮の時が来て、暗闇が迫ってくる中で。

時間は、日没前。

一日の仕事が終わり、一日が終わろうとしている時。

だが、ユダヤの人たちの、聖書の、時間感覚では、夕は一日の始まり(「夕べがあり、朝があった」創世記1:5)。

だから、この1デナリオンをいただくこの時刻は、1日分のつとめが終わる時であるとともに、新しい一日の始まりの時。

「家の主人」は、始まろうとする新しい一日のために、1デナリオンを手渡す。

日中の労働の対価、というよりも、もっと積極的に、新しい一日を生きて行くための1デナリオンを、一人ひとりに、預ける。だから、御言葉が響く。

「信じる人は、働きがなくても、その信仰が義と認められます」(ローマの信徒への手紙4:5)と。

それ故、「家の主人」は言う。「気前のよさをねたむのか」(20:15)。

この箇所(20:15)、文語訳は「我よきが故に、汝の目あしきか」。

この訳は、ギリシア語で記された御言葉の雰囲気を、私たちに伝える。

1デナリオンの「協定」(シュラッターの『講解』(日本語訳)での表現)を、そのまま、“値引き”も、“交渉”も、“取り引き”もなしに、守る方である「家の主人」、つまり神の「善」(ぜん /「よき」)に、私は口を挟めない。

そして、「家の主人」である神は、はっきりと、私に、「汝の目あしきか」と言われる。

私の「目」は、最後に来た人から順に、ぶどう園の「監督」が1デナリオンを支払って行くのを見ている。そして、「不平を」言う。私の目は「悪しき」もの。

実は、この聖書の箇所は、2017年の「世界祈禱日」(3月の第1金曜日)の福音書日課。

そして、2017年の「世界祈禱日」の「式文」や「ポスター」(http: //cloister171. blog.fc2.com/ blog-entry-17. html)には、片目を右手で隠し、左手に天秤をもった女性が描かれている。

「式文」を手にした時から、この女性はなぜ片目を手で覆っているのだろうか、と不思議に思ってきた(表紙の絵のタイトルは「垣間見たフィリピンの状況」と記されている)。

やっと気がついた。

15節で、私は、「汝の目あしきか」と言われる。私の「目」は、いつでも「悪しき」もの。

この世の出来事が、ここで、私の前で起こっている現実が、「悪しき」事、なのではない。むしろ、それを見て、「不平を言う」私こそが、「悪しき」目を持っている。

私は、「悪しき」目で、「家の主人」のなさるさまを見ては、「不平」を言う。

さらに、「不平」という口を挟んでは、神の「善」(ぜん /「よき」)を軽んじている、のだと。(以下次回)

余yoteki滴 四旬節黙想 2017年3月12日

「ぶどう園に行きなさい」(マタイによる福音書20章7節)(その2)

「家の主人」は、私たち一人ひとりに声を掛けてくださる。

一人ひとりと、「約束」をしてくださる。

「家の主人」は、私と約定をかわす。それは、私の働きに応じての“評定”ではなく、「家の主人」の方から、神さまの方から、先に、“こうしよう”、と言ってくださる「約束」。

そういう「約束」を携えて、「家の主人」は、私のところに来られる。

そして語られる。しつこいくらいに何度。私と「約束」しよう、「ぶどう園に行きなさい」と。この私を、招かれる。

ところで、私の友人のご父君は、生前、年を重ねてから信仰へと歩み出した人だった。

彼は自分のことを「午後五時の労働者」と言っていた、と、葬儀の時に牧師が語っていたのを今でも思い出す。

友人の父君は、「午後五時」に、召しを聴いた、という、しっかりとした自覚に生きた。人生の後半生を(「午後五時」以降を)、“主の招きに応じた人”として歩んだ。

彼は、「ぶどう園に行きなさい」という御言葉に従って、

「何もしないで…立っている」人生をやめて、

「ぶどう園」へと歩み出す人生へと、

御言葉によって転換された。

彼は、そのことを自覚的に受けとめ、「ぶどう園」へと歩み出して行く。“私は、「午後五時の労働者」である”、と告白して。

確かに、私は、人生のある一瞬に、キリストと出会う。

私は、今、始めて、主に出会ったと思う。今、はじめてキリストの御言葉を聴いた、と思う。

でも、「家の主人」は、夜明けに、九時に、十二時に、三時に、五時にも、私のところに来られ、私に声を掛けてくださる。「ぶどう園に行きなさい」、私との「約束」に生きなさい、と。私がその声に聴き従うまでは、何度でも、私のために来てくださる。「何もしないで…立っている」生き方をやめて、私との「約束」の内を歩み出しなさい、と。

「家の主人」である神さまの呼びかけに応える、ということは、今、「立っている」、この場所を去る、ということ。

「何もしないで」も「立って」いられる、この安定をやめる、ということ。

安穏とした生活、神さまを必要としない生活から、神さまとの「約束」だけが頼りの歩みへと人生を大きく変えられる、ということ。それが、「天の国」の到来ということ。それが、到来している「天の国」に向かって歩み出すこと。そのように、「家の主人」は、私を招く。

そう、私は、いつでも、キリストから語りかけていただいている。

人生の始まりから、今、そして、終わりに至るまで。ずっと。(以下次回)

余yoteki滴 四旬節黙想 2017年3月5日

「ぶどう園に行きなさい」(マタイによる福音書20章7節)(その1)

イエスさまは、到来する「天の国」について示される。

この「天の国」は、遠くにあって、仰ぎ見るものではなく、声の届かない彼方にあるのでもない。行きつくことの出来ない深淵の向こう側にあるのでもない。この「天の国」は、あなた方のただ中に到来する、とイエスさまは、私たちに語りかけられる。

「天の国は…ある家の主人が、ぶどう園で働く労働者を雇うために、夜明けに出かけて行」(マタイによる福音書20章1節)くようなもの。

「天の国」が到来するということは、「主人」がみずから「夜明け」には出発して私たちのところに来てくださる、そういう来訪の仕方で、私たちの只中に到るものだ、とイエスさまは示される。

現実に、もし、ぶどう園を所有している大土地所有者が、「労働者を雇う」としたら、彼あるいは彼女は、自分の執事に命じ、執事は荘園長に命じ、荘園長はぶどう園の管理責任者に命じ、ぶどう園の管理責任者は、現場責任者に命じ…としているうちに、「家の主人」が決めた「気前のよい」一人あたま1デナリオンという賃金は、実に見事に中間で搾取され、「労働者」一人ひとりに手渡される時には、よくて半分、まあ、1/4程度にまで減っている、ということになる。

だから、「家の主人」がみずから「労働者を雇うために」「出かけて行」くということ、そのことが、聴く者には驚き。

私たちの内に来る、来ている「天の国」は、神御自身が、みずから「夜明け」を待つようにして私のところへと来てくださる、そういう出来事なのだ、とイエスさまは、今日、私に、お告げになる。

そう、「家の主人」は、みずから私のところに来てくださる。

「家の主人」は、「夜明け」頃だけではなく、「九時ごろ」にも、続いて「十二時ごろと三時ごろ」にも私のところを訪れてくださる。さらに、「五時ごろにも」来てくださる。「天の国」は、このように到来する。神は、御自身の熱意をこのように示される、とイエスさまはいわれる。何度でも、限りなく、私のところに来てくださる、神さまの方から。 (以下次回)

余yoteki滴 2017年2月12日

「パンを持ってくるのを忘れ」

(マルコによる福音書 8 章 14 節)

☆ 弟子たちは、舟に乗るのにパンを持ってくるのを忘れた。

もっとも、向こう岸に渡るだけだから、どうしてもパンを持っていないといけない、ということではない。

でも、ペトロは、アンデレに始まって11人に、

「パンを持ってきたかい?」と尋ねると、

「水筒は持ってきた」とか、

「クッキーなら持っています」とか言うわりには、

誰もパンを持っていない。

弟子たちみんなに聞いてしまって、残っているのはイエスさまだけで、

「あのー、イエスさまは?」と言うと、

「パンなら1つある」とイエスさまがお答えになった。

そんな場面。

☆ そしてイエスさまは、弟子たちに、次の15節で、

「ファリサイ派の人々のパン種と、ヘロデのパン種に気をつけなさい」、と

そう言われる。

不思議。

弟子たちは、“今、パンを持っていない”、ということに気持ちの中心がある。

なのに、イエスさまは「パン種」の話しをなさる。

「パン種」は、今、ここでパンにすることができるわけではない。

「イエスさま、話しがずれています」

と、言いたくなるような、そういう雰囲気。

弟子たちが“パンがない”ということで頭がいっぱいの時に、

イエスさまは、弟子たちに「パン種」のことで注意を喚起する。

イエスさまは、私たちが、

自分の関心、自分の思いにだけとらわれて、にっちもさっちも行かなくなっている時に、

「どうしよう、あれがない」、「これができない」、「あれがないと無理」、

と思っている時に、

全然関係のないこと、と私たちが思ってしまうこと、を告げられる。

本質的なことを、弟子たちに、私に、告げられる。

そういうことではないかと思う。

☆ ところで、マルコによる福音書は、「ファリサイ派の人々のパン種」、「ヘロデのパン種」の意味をはっきりとは説明しない。

ここでは次のようなことが問われているのではないか、と私は思う。

それは、「ファリサイのパン種」、「ヘロデのパン種」では、

“満腹”はしない、

ということ。

弟子たちは、イエスさまとのこの後の会話で、パンが12のかごにいっぱいになったこと、あるいは7つのかごにいっぱいになったことばかりをイメージしている。イエスさまは、パンを増やしてくださったのだ、と。

☆ イエスさまが弟子たちに問われている本質は、そこではない。

イエスさまが、弟子たちに、そして私たちに問われるのは、パンを食べて

“満腹”したではないか、

ということ。

「ファリサイのパン種」、「ヘロデのパン種」では、“満腹”しない。

ただ、イエスさまのパンだけが、私たちを“満腹”させる。そのことに気づいているか、と問われている。

☆ と、

イエスさまが弟子たちにお話ししているうちに、

舟は向こう岸についてしまった。

やっぱり、舟の中で、パンを食べる、という時間はなかった。

☆ ところで、

文語訳は、8章14節をこう訳している。

「弟子たちパンを携(たずさ)ふることを忘れ、

舟には唯一(ただひと)つの他パンなかりき」。

イエスさまが「パンなら1つある」と言われたのは、ご自分のこと。

本当のパンが1つ、ここにある、ということ。

そのことに、短い舟でのこの道中で、気がつかないといけない。

イエスさまは言われる。

本当のパンが、食べれば絶対に、

“満腹”するパンが、

1つある、

そのパンは、この私の舟に、この私と一緒に乗っていてくださる、

ということに気がつかないといけない、と。

そのように、

イエスさまは、弟子たちにも、私にも、今日、語りかけてくださる。

(2017/02/05小礼拝での説教から)

余 yoteki 滴 2017年2月5日

食事が終わると

(ヨハネによる福音書21章15節)

☆ ペトロは、湖畔での食事が終わると、イエスと共に歩き始める。

イエスが、ぺトロの少し前を歩まれる。イエスの後を、ペトロは従って行く。

彼らは、主従の序に従って、ペトロの気持ちに即して言えば、この時、教える者と、教えを請う者との関係で歩み始めている。

そう、イエスとペトロは歩み出す。ペトロは、師イエスに従う者として、同じ湖畔で召し出されたあの時と同じ状況だ、と思い出しながら。

☆ しかし、キリストはそうではない。

イエスは、ペトロを弟子から使徒へとされるために、歩み出した“この時”、をお用いになる。

ややさがってつき従うペトロに、イエスは、『この人たち以上にわたしを愛しているか』と問われる。ペトロは、弟子としての心得を述べる。『はい、主よ。…あなたがご存知です』。キリストは3度、ペトロに問われ、ペトロは、3度キリストに応える。

☆ もっとも、ヨハネによる福音書21章15節は、「食事が終わると、イエスはシモン・ペトロに、『ヨハネの子シモン、この人たち以上にわたしを愛しているか』と言われた。ペトロが、『はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存知です』と言うと、イエスは、『わたしの小羊を飼いなさい』と言われた」と記すばかりで、彼らが、湖畔を歩み始めている、とはどこにも記されていない。

そのことは、21章20節になってはじめてあきらかになる。

「ペトロが振り向くと、イエスの愛しておられた弟子がついてくるのが見えた」。

キリストに従って歩み出していたペトロは、自分の後に、同じようにイエスに従って歩み出している者がいるのだと知る。

☆ 湖畔での、再度の召命は、“見えないキリスト”について行くということ。

3度、問われるのは、その生き方が、一時の熱情や、人の側の、弟子の側の、私たちの側の、感情や思いが問われているのではない、ということを示す。私たちは、弟子は、「はい、主よ。…あなたがご存知です」と応えるが、でもその前に、ただ、主の助けだけが、信仰的確信を生き続けることを得させるのだ、とヨハネによる福音書を残した信仰共同体は、深く理解している。

入信の時の、なみなみならない熱意など、またたくまにさめるのだから。

☆ ヨハネによる福音書を残した信仰共同体は、3度、問いかけられるキリストの前から脱落して行く信仰の友の多いことを知っている。むしろ、はっきり言えば、大半の仲間は、離脱して行くし、現に亡散している。

なぜなら、イエスをキリストと告白して行く生活は、とても生きにくいものだから。

ヨハネの共同体が、ユダヤ教社会の中にあるのか、それとも、多神教的異教社会の中に存在しているのか、私は知らない。しかし、どちらであったとしても、イエスをキリストであると言い表して行く歩みは、生きにくさを通り越して、生きて行くことそのものを阻害しかねない。そういう社会の現実の中で、告白に生きようとする、それがヨハネの共同体。絶対的な少数者を生ききろうとする告白に生きる群れ。

☆ それだから、17節には「悲しくなった」という言葉が挟まれる。

「イエスが三度も『わたしを愛しているか』と言われたので、悲しくなった」。

ここでの“悲しみ”は、キリストが3度も「愛しているか」と3度も問われたことが“悲しい”と言っているのではない。

むしろ、3度、問われることに耐えきれずに、この世へと脱落して行く、そういう“友”の多いことへの嘆き。時代の只中で、キリスト者を生き、信仰を生きる、ということが必然的に生み出す“悲しみ”の先取り。

 

だから、弟子から使徒へと、“見えるイエス”の後に従っていた者から、“見えないキリスト”に押し出されて福音の使者とされて行く者は、皆、この“悲しみ”を覚えて、前に進み行かなければならないのだ、とペトロの使徒としての召命の出来事を通して、この福音書を残した人々は、語りかける。私たちに。今日も。この時代も。

(2017 / 01 / 22 婦人会での聖研から)

【余滴】(2016年10月9日【三位一体後第20主日】の説教から)

「九人は何処(いずこ)に在(あ)るか」

列王記(下)5章15-19節

ルカによる福音書17章11-19節

 

☆ 今朝、私たちは二つの癒しの物語に出会いました。

一つは、列王記(下)5章にあるナアマンの物語です。

ナアマンは「重い皮膚病」を患っていて、エリシャのところに行くのです。するとエリシャは、ナアマンに、川で、七度身を清めなさい、と言うのです。それを聞いたナアマンは、激怒するのです。それでもナアマンは言われた通りにするわけです。

そうすると彼の体は元に戻り、小さい子供の体のようになった、というのです。今日は、その先からが読まれました。

 

☆ ナアマンは、エリシャのところに戻り、「らば二頭に負わせることができるほどの土」を求めるのです。礼拝をするためのようです。

ナアマンが受け取って行く「土」は、彼の祈りの場なのかもしれません。

らば二頭分の土は、そこに小さなイスラエルを出現させる、ということなのでしょう。

 

☆ 祈りの場を、どのように生活の中で持つか、ということを、このナアマンの物語りは私たちに教えているのではないかと思うのです。

御言葉を開いて祈るための「椅子」というものがあったら、生活は本当に豊かになる、と言ったらいいでしょうか。御言葉を開いて祈るためだけの、ちいさな「机」というものがあれば、私たちは神の前に祈る、そういう生活ができる、とナアマンの物語りは、私たちに教えてくれるのだと思うのです。

 

☆ さて、「九人は何処に在るか」という説教題をつけました。

(「世界共通日課表」に従っていますので)2010年には、この箇所に「一人」という説教題をつけていました。それは、イエスさまのところに帰ってくるのは「一人」だからです。

今回は、“9人”です。

私は、「九人は何処に在るか」とキリストが問われる時、叱責されている、という気がずっとしてきたのです。そして、たぶん私は“9人”の中に在る。たぶん帰りませんね。

 

☆ 皆さん、医者に行きます。お薬をもらいます。そして、治ったからと言って医者に行きません。ドクターのところに「先生、治りました」と、報告には、たぶん行きません。そういうものです。治ったら行きません。ですから私も、“9人”の中にいます。イエスさまのもとには帰りません。

でも、イエスさまはこの“9人”を叱っているとは思えなくなって来ている。

むしろイエスさまは、この“9人”を心配しておられる、と思う。帰って来ないのが当たり前だと、イエスさまも思っておられるのではないか、と思うのです。

 

☆ ナアマンは、戻って来ました。「随員全員を連れて」と書かれています。ナアマンは、これからの自分の祈りの生活というものをどのようにしていったらいいのか、神の人エリシャと相談する、という目的があった。

ナアマンがエリシャと話したのは、清くされたことへの感謝とともに、将来のことです。これから自分は、“清くされたもの”としてどう生きるのか、というのがナアマンのテーマです。帰って来る、というのはそういう事である、と聖書は伝えている、と思うのです。

 

☆ 10人は、サマリアとガリラヤの間を通ってエルサレムに上って行かれる途中のイエスさまと出会います。

ここは、ガリラヤなのか、サマリアなのか判らない境界線上です。サマリアだとも言えるし、ガリラヤだとも言える、曖昧な場所です。国境といったらいいでしょうか。「境目」なわけです。

しかもイエスさまは「ある村」に入って行って、通り抜けて行こうとされる。イエスさまはただひたすら、まっすぐにエルサレムに向かって歩まれます。

そうすると、10人は、イエスさまに向かって「声を張り上げ」るのです。ただこの箇所の原語は「大声をあげる」とは書かれてはいない。むしろ声を揃えて、「先生、私たちを憐れんでください」というのです。

 

☆ イエスさまは、今、二つの視線を浴びています。

一つはここに出て来ている視線です。イエスさまは、10人が声を揃えて、「あわれんでください」という声を聞いています。その視線を感じておられます。そしてそれは、村の外からイエスさまに向けられている視線です。熱い視線と言ってもよいかも知れません

それに対して、たぶんの村の入り口に立っている人たちは、これがガリラヤの村なのかサマリアの村なのか判りませんが、歓迎しない目線で見つめていると思うのです。冷たい視線が、ルカは記しませんが、一方にある、ということです。そして彼らも、キリストには近づいてきません。

 

☆ その中で、イエスさまは、この「重い皮膚病」の人たち、共同体から疎外されている人たちに向かって、こう言われるのです。

「見て」とルカは記しますが、イエスさまは彼らを「見て」、「祭司たちのところに行って、体を見せなさい」と言われるのです。ギリシア語は、「行け」、「示せ」、「自らを」、「祭司に」という順で書かれている。ですから、永井直治訳は、「往きて己自らを祭司に見(あら)はせ」、です。

イエスさまの御言葉と出会う、という事は、自らをイエスさまに現す、という事なのだ、と言ってよいと思う。

 

☆ 「重い皮膚病」だったと書かれています。

彼らは自分自身を見るのが一番嫌な時にイエスさまに出会うのです。

私も、鏡を見てて、ああ、今日も悪いな、と思うわけですよ。でもそういう自分と向き合え、とイエスさまは言うのです。自分の見たくないところを見ない限り、イエスさまの言葉は届かない、と。

イエスさまは、祭司のもとに行け、と言われますが、それは、神の前に、と言い換えてもよいと思うのです。己自らを神の前に、と言われている。

私は、神の前にほんの少しの隠し事もできない、ということに気づかなければならない。そのように、「重い皮膚病」の10人に言われるイエスさまの言葉が、今日、私に、響かなければならない。

 

☆ 「彼らはそこに行く途中で清くされた」。彼らは、まだ祭司のところで「己自らを見(あら)は」していません。

しかし、私たちは、私が包み隠さず、私の全てを神の前にあらわす、という決意を、キリストの言葉を聞いてするのであれば、「行く途中」で清くされるのだ、ということに出会うのです。

翻って言えば、私が一向に良くならないのは、そういう決意に至らないからです。決意は行動を促す、とルカは言うのです。それが御言葉の働きだと言うのです。御言葉の前に立つものは、御言葉によって生き方が変えられて行く、というのです。

祭司に会いに行くためには、彼らが追い出されて来た、彼らを疎外した、彼らを迫害した村落共同体の中にもどらなければいけない、ということを含んでいるからです。ですから、彼らは白眼視のただ中に入って行く、ということです。

 

☆ 矢内原忠雄はこの箇所で、彼らは“食い逃げした”と書きます。

でも私たちの信仰も、たいてい“食い逃げ”です。聞いて帰って忘れるのですから。

朝、読んだ御言葉を、夜、覚えていないのですから。私たちは、いつでも御言葉の前に“食い逃げ”なのです。

そして、イエスさまは、この“9人”を責めてはおられない。“食い逃げ”でもよいから、あなたは私の前に来なさい、あなたは、私の言葉で変えられなさい。あなたは、私の言葉を聞いて、次の一歩を、今来た道ではない方向に、歩み出しなさい、と今朝も、私に、語りかけておられるのです。

この“9人”でしかない私は、「9人はどうした」と言ってくださるイエスさまに、深い慰めを感じてよいのだと思うのです。キリストが、私の消息を問うていてくださる、それが、キリストの言葉と出会う、という事だと思うからです。

 

☆ イエスさまは、戻って来た、このサマリアの人にこう言われます。「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った」。

「起きろ」と言われるのです。イエスさまは、新しい命への「よみがえりなさい」と言われるのです。そして「行きなさい」と言われる。

 

☆ 彼はきっと、行く場所がなかったのです。そして、“9人”には帰るべき場所があったのですよ。

ナアマンは戻ってきましたが帰る場所がありました。そして、帰るべき場所を、らば二頭分の土で小さな聖所にすることで、彼は帰るべき場所をつくることができました。でもこの「一人」には帰る場所がなかった。

そして、その人に、イエスさまは言われるのです。「帰りなさい」と。

御言葉によって変えられた者は、御言葉によって新しい命にいきるべく「よみがえらされた」者は、新しい場所に、信仰によって歩み出して行きなさい、と言われるのです。

 

☆ そして、彼には一緒にいやされた“9人”の魂への責任がある。信仰共同体というのは、そういうものだ、とルカによる福音書は思っている。

私たちは、10人のうち、たったひとり残って来た、「一人」なのです。私たちのこの礼拝の外に、帰って来ない“9人”がいるのです。

ですから、私たちは、教会は、“9人”の魂のために祈り続けなければいけないのです。

残り“9人”の安否を、主が問うておられるのですから、私たちは、「残りの者」として集められた教会の役割、責任として、ここにいる一人ひとりが、ここにいない多くの信仰の友のために祈り続けなければならない。そういう祈りの群れへと主によって深めていただかなければいけないのです。

余yoteki滴 2016年8月28日

「ねこのふわふわ」

– ちいさなさかな –

 

砂漠の中に、小さなオアシスがあって、

ちいさなさかなが、

住んでいました。

 

或る日、神さまがそっと散歩されて、

井戸の脇を通られました。

 

ちいさなさかなは、神さまに申し上げました。

 

「神さま、私はちいさなさかなです。

誰からも、たよりにされることがありません。

ひとりぼっちで、誰かに何かしてあげることもなく、

このままなのでしょうか?」

 

と。

 

神さまは、ちいさなさかなに言いました。

 

「ちいさなさかな。

あなたは、たくさんのものたちから、たよりにされていますよ。

安心しなさい」

 

ちいさなさかな。よく判りませんでした。でも、

 

少しだけ安心して、そして、

 

毎日、井戸のそばに誰かが来ると、

井戸の中で、ぴちゃん、と小さくはねて、

井戸に水があることを、知らせています。

 

(2007年5月6日の礼拝での「こどもの祝福」より)

余yoteki滴 2016年8月28日

「ねこのふわふわ」

– たより –

 

猫のふわふわは、旅する猫です。

或る日のこと、

猫のふわふわが、砂漠の中の小さなオアシスの、小さな井戸で、

静かに水を飲んでいると、

 

そこに、

きつねのルナールが、

やっぱり水を飲むために、やって来ました。

きつねのルナールは、言います。

 

「ちょうどいい。あなたにたよりがあります」

 

どんなたより? 猫のふわふわは、たずねました。

 

「そう、

猫のふわふわ、

あなたの、

ふわふわしたあたたかさと優しさとを、

必要としています。

戻って来てください。

って」

 

猫のふわふわは、

水を飲むのを、ちょっとやめて、

耳のうしろを少し撫でて、

 

「戻ることはできる。けれど、時間がかかるかなぁ」

 

とつぶやきました。

 

きつねのルナールは、そう、と言っただけで水を飲んでいます。

 

ふたりの話しを聞いていた、

井戸の中の、小さなさかなが、

 

「いいなぁ、他の人にたよりにされるのは」

 

と、つぶやきました。

 

すると、猫のふわふわと、きつねのルナールは、顔をみあわせ、

二人で、ふふ、っと笑うと、

声を揃えていいました。

 

「一番、たよりにされているのは、君だよ」

 

ちいさなさかなは、

ちょっと驚いて、

ピチャっとはねると、

あとはゆっくりと井戸の中を泳いでいます。

 

(2007年7月22日の礼拝での「こどもの祝福」より)

余yoteki滴 2016年8月21日

「ねこのふわふわ」

– 約束 –

 

猫のふわふわは、旅する猫です。

或る日のこと、

猫のふわふわが、町の中の、石畳の、小さな路地を、ゆっくりと歩いていると、

向こうからペトロさんが杖をつきながら歩いてきました。

 

「こんにちは、聖ペトロさま!」

 

猫のふわふわは、ちょっと緊張して、せいいっぱいのあいさつをします。

ペトロさんは、

 

「こんにちは、猫のふわふわ。元気ですか? 今日は、どこに行くの?」

 

と猫のふわふわに、尋ねました。

これと言って行くあてのなかった猫のふわふわは、

 

「いえ、どこにも。あの、ペトロさんが必要だと言われるのであれば、お供しますけど」

 

と答えてしまいました!

ペトロさんは笑って、それから、少し考え込んで、猫のふわふわを、じっと見て、

 

「では、猫のふわふわ、あなたに

お願いがあります。

あなたが出会う人で、あなたが、この人はさみしそうだな、と思う人の足元で、そっと少しだけ、寄りかかって、そして、

丸くなってあげてください」

 

猫のふわふわは、りっぱな耳をぴんと立てて、自慢のひげをふるわせると、

 

「はい」

 

と答えました。

それから、猫のふわふわは、ペトロさんに少しだけ、首の下と、耳のうしろをなぜてもらい、

 

「さようなら」

 

と言って、ペトロさんと別れました。

 

(2007年9月9日の礼拝での「こどもの祝福」より)

余yoteki滴    8月7日

「神に信頼する人は慈しみに囲まれる」(詩32篇10節)

 

8月6日、「広島平和祈念日」のローズンゲンから。

詩編の詩人は、困難な時代に生きている。

詩人は、

「されば神をうやまう者は、汝にあうことを得べき間に汝に祈らん」と

うたう(「交読文」10詩32篇)。

時代の差し迫りの中で、詩人は、

「あなたを見いだしうる」(6節)「間」が縮まっていることを実感している。

だから、

この時代にあって、

悩みのただ中にあって、

祈ることを勧めてやまない。

そう、

詩32篇を残した詩人の時代も、今も、

私たちは祈ることの緊急さを

教えられている。

主にある平和を希求することの可及的速やかさを

教えられている。

「余yoteki滴」

「もう泣かない」

ナインの町にイエスさまが近づかれると、そこから葬列が出てきたのだ、とルカによる福音書は記します(7章11節以下)。

私がこどもの頃は、まだ、町で葬式に出会うことがありました。

あの頃は(っていつ頃なのかは、ご想像に任せておきますが)、まだ自宅から葬式を出す、というのがごく当たり前でしたから、こどもは、町で葬式によく出会ったものです。とにかく、葬式に出会うと、こども達は、親指を隠すように手を握ってその前をそそくさと通ったものでした。

 

でも最近は、自宅でご葬儀という事が本当に少なくなりましたから、たぶん、今のこども達は葬列に出会うということも、まず体験しないのでしょう。

 

さて、イエスさまは、葬列に出会った時には、親指を隠して手を握ったりしたのでしょうか。

私は、あるいはひょっとすると、イエスさまと違って弟子たちは、当時のユダヤのこども達がきっとしたであろう(それがどのようなものかは私には判りませんが)、因習じみた所作をしたのではないかなぁ、と想像したりしてみるのです。

 

そして、イエスさまはというと、その葬列に近づいて行って、しかも、泣いている母親に「もう泣かない」と声をかけたりなさるのです。

「死」は、圧倒的な現実です。

私たちは、「死」を体験したことがありませんから、「死」とはいつでも未知な領域の「モノ」なわけです。それ故、「死」はいつでも人を恐れへと巻き込みます。

イエスさまの弟子たちも、当然、「死」への恐れや、畏れに、この時、染まっていたでしょう。ですから、葬列と真っ正面から行き逢ってしまったときは、顔をしかめたりしたかもしれません。

 

ところが、イエスさまはその葬列の中ほどで、柩に付き添っていた母親に、「もう泣かない」と声をおかけになるのです。

母親は、耳を疑ったかも知れません。

或いは、悪い冗談を言う人だと思ったかも知れません。

泣き伏すしかない時に、涙の枯れるというのがあるのか、と思われるこの時に、この人は一体何を言うのだろうか、とそう感じたかも知れません。

だからと言うわけではないと思いますが、この母親は、イエスさまの語りかけに応答しません。もちろん、葬列もその歩みを止めません。

 

今や、イエスさまのその横を、この母親の息子を納めた柩が通り過ぎようとします。

その時、イエスさまはご自分の脇を通って行くその柩に手を掛けられるのです。

このイエスさまの行いは、町の門から町の外に、町の中から墓地の中へ、生者の地から死者の地へ、城郭都市という文明の巷から墓所という荒れ野へと、向かって歩むしかない「死」という現実を押しとどめるものです。

 

ルカは、ですから、この時の様子を、

①イエスさまが母親に声をかける、

②イエスさまが柩に手を触れられる、

③担いでいる人たち(葬列)が立ち止まる、

という順序で記すのです。

 

ルカはここにイエスさまの神の御子としての権威を見たのです。私たちには決して出来ない、「死」を押しとどめる権威です。

 

実は、この巻頭言(この文章は、「湘北地区報」に掲載するために書かれました)に四苦八苦している時に、ある方の帰天の連絡をいただきました。

その方は、若い時に、当時、「横浜合同教会」と呼ばれていた、現在の横浜上原教会で、聖金曜日(受難日)の礼拝において高柳伊三郎先生から洗礼を受けました。

戦後間もなくの事でした。

 

「洗礼式が、なぜ聖金曜日だったのかと、言うと」、とその方はよく語ってくれました。

受難日の礼拝での洗礼式をお願いしたのは、洗礼を決心したその頃、まだ若かったんだねぇ、主の十字架での全き犠牲は自分のためだと得心がいったのだが、ご復活ということがまだ充分に判らなかったので、どうしても十字架の金曜日に洗礼式をとお願いしたのだ、と。

 

そして、その話しを聞いている若かりし頃の私は、そうか受難日礼拝で洗礼式を、とお願いする手があったのか! と(イースターに洗礼を受領したばかりだったので)、ちょっと自分になぞらえて残念に思ったりしていたりしました。

 

伊勢原教会の前を、近くの県立高校の生徒たちが通って行きます。そして掲示されている説教題を見て、首を傾げたり、ささやきあったりします。

ある時、「わたしは始めであり終わりである」という説教題が掲示されていました。

高校生たちが、「始めであり終わりである、ってどういう意味だ?」と会話しながら歩いて行きます。すると一人の子が、「始めで終わりということは、一代で滅んだ、っていうことじゃねぇ」、と応じました。

 

この会話は、下校時でしたから、彼らは登校する時にも、この看板を見たわけです。

そしてたぶん、なんだこりゃ、と思っていたのでしょう。

そして歴史の授業でもあったのでしょう。

「始めであり終わり」、とは何代も続かずに、たった一代で、一人だけで終わった王朝のことように理解できる、と会得したのでしょう。

 

私はその受け答えの秀逸ぶりに思わず笑ってしまいました。

イエスさまは、始めであり終わりである方、たったお一人で、高校生達の言葉を借りれば、「一代」で私たちの救いを成就なさる方です。

教会は、その事のみを宣言します。先に述べた信仰の先輩は、そのことを信仰の生活の中で深く知って行った事でしょう。

むしろ、疑問から始まった問いですから、その方にとって、救いとご復活とは、深い生涯のテーマになって行った事と思います。十字架のキリストが、「死」を滅ぼし、新しい命の始まりとなられた、ということを、戦後の日本の歴史とほぼ重なる、70年になんなんとする信仰から信仰への歩みの中で、じっくりとご自身のものとされたのだと私は思うのです。

 

さて、イエスさまがナインのやもめに「もう泣かない」と声をお掛けになった時のことを観想したいと思います。

イエスさまが柩に手をおかれた時、この世の当然の理(ことわり)は打ち砕かれます。

そして知る事ができます。私の「いのち」もまた、イエスさまの手に触れていただけるのだ、ということを。

 

イエスさまは、ご自身の方から私に近づいてくださる方。そして、「もう泣かない」と、声をかけてくださる方。私が何も言わないのに、私の言葉にならない祈りを聞いてくださる。そして、「死」に打ち勝つ権威をお示しになります。

 

今や、私をこの世の理(ことわり)は縛りません。

ナインのこの一人の母親に、イエスさまは息子を「お返しになった」のですが、私にも自分の「いのち」を生きるようにと、「死」の理(ことわり)ではなく、キリストに連なる「いのち」の理(ことわり)の内に生きるようにと招かれるのです。

 

さらに、イエスさまが私と出会ってくださるのは、ナインという町の外、門の外なのです。

キリストは、宿営の外で私を待っていてくださいます。私がはみ出して行く時、その行く手に、キリストはいてくださるのです、必ず。

(2016/6/26 神奈川教区湘北地区「地区報」の巻頭言を加筆訂正)

【余yoteki滴】

創立112周年をおぼえて

– 主はわたしの命の砦 -(詩27篇)

日本キリスト教団伊勢原教会は、創立112周年を迎えました。

飯田角蔵の、或いは、波濤を超えて明治期日本に、

福音伝道を願う北米合衆国の諸教会の祈りに支えられて来日した、

F.C.クラインをはじめとする宣教師たちの働きによって

「伊勢原美普教会」

(伊勢原教会は、「メソヂスト・プロテスタント教会(美普教会)」によって創建されました)は

設立されました。

そして、今日に至るまで御手のうちにこの教会をおき、導き、護られた主に感謝いたします。

この112年の間に、

教役者、教会員、その周辺におられた人たち、と多くの人々の祈りと献身とがあったことを覚えます。

キリストは、御言葉を、人の思い、人の手を通して実現されます。

主の御旨は、なにか中空に浮かんでいるような、非人格的な抽象概念ではありません。

主の御旨が成る、成就するということは、必ず、

私たち「人」を通して、その祈りを通して実現なさるのだと、私たちは知っています。

今日(2/14)、

「ローズンゲン」に示されている御言葉は、詩27篇1節から選ばれた、

「主はわたしの命の砦

わたしは誰の前におののくことがあろう」

です。

実に、創立記念日にふさわしい聖句だと思います。

主は、この伊勢原に「命の砦」をお建てくださった、私たちは、

はっきりそのように確信します。

詩編の詩人は、「わたしは誰の前におののくことがあろう」か、と言います。

主が、「わたしの命の砦」である以上、

いかなるものの前にも「おののかない」と詩人は歌うのです。

ですから詩27篇は、続けて2節以下で、

「さいなむ者が迫り…

彼らがわたしに対して陣を敷いても

わたしの心は怖れない…

わたしには確信がある」

と、

その信仰を宣言することが出来るのです。そして、

その信仰の確信のうちに、

「ひとつのことを主に願い、それだけを求めよう。

命のある限り、主の家に宿り

主を仰ぎ望んで喜びを得

その宮で朝を迎えることを」

と、

歌うことができるのです。

私たちも、112年目を迎えた伊勢原教会に集う者として、草創期、

多くの人たちの祈りが、この地に教会を建てたことを覚え続けて行きたいと思います。

主の御旨を確信して、ここに「命の砦」をたてた信仰の先達に、その系譜に連なる者として、

御言葉を証しして歩む群れとして強められて行きたいと、主に願い続けて参りたいと思うのです。

創立記念日は、新しい始まりです。

今日、この日から、私たちは、伊勢原教会の新しい一歩を、主の導きを確信しつつ歩み出して行きます。

【余 yoteki 滴】

中高生と一緒にマタイによる福音書27 章 32 – 44 節を読む


イエスさまは、十字架におかかりになる。イエスさまを真ん中にして、三本の十字架がたっている。
イエスさまの左右の十字架についている人も、周りの人と一緒になって(イエスさまのことを)ののしった、って書いてある。
自分も死んでいこうとしているのに、一緒に死のうとしている者をののしる。こういうことも、人間には起こるのだ、ということも心に留めておいて欲しい。

ゴルゴタという丘に行くまで、
イエスさまは、十字架の横木を担いで行くのだけれども、途中、もう持っていられなくなってしまって、キレネ人シモンに担がせた。
彼は、たまたま通りかかった「お上りさん」だろうか?
このキレネ人シモンという人が、

今年は過越の祭りさ行くべぇ。荷物もつくったし、笠もかぶったし。行くべぇ。
ついたべぇ。ははっ、ここがエルサレムの町か。大きいねぇ。
この橋を渡るのか。何、小銭を払うのか、財布から、こうやって、小銭さ出して。へい、これが渡りちんでございますだ。何ですって? 橋番さま、「渡りちん」ではなくて、「橋税」と言え、ですか。へいへい、さようでございますか。では、めえります(参ります)で。
ここが神殿か。ははっ、大きいねぇ。スマホで撮るべぇ。

ってやって来た、のだろうか。
もちろん、この日は、すっごく「お上りさん」が多い日。
過越の祭りの日なのだから。だから、
たまたま、“担がさせられちゃった”、ということもあるかも知れない。でも、
不思議でしょ?

今日の箇所(マタイによる福音書27章32-42節)に出て来る登場人物は、まずシモン。それからイエスさま。それに、兵士たち、左右につけられる「強盗」、祭司長たち、群衆たち。つまり、
この場面には、たくさんの人たちが出てくる。ところが、
この箇所で、名前が出てくるのは、(イエスさま以外では、)このキレネ人シモンだけ。
ねっ、ただの「お上りさん」だろうか?
ひょっとすると、イエスさまに会いに来た人?

ヨハネによる福音書(12章20節以下)には、
(「過越の祭」の前に、)ギリシア人が何人か会いに来た、ということが書いてある。この人も、
“イエスさまに会いたい”、と思っていたから、
イエスさまが十字架の横棒を担いで歩いておられた時に、思わず群衆の前に出てしまったのかなぁ、と私は、
思ったりする。

彼が、この後どうなったか、聖書はなにも書きません。でも、
マタイによる福音書は、“十字架と出会う”、とは、こういうことなのだ、と言っているのだと思う。
“イエスさまと会う”、ということは、
“イエスさまの十字架に出会う”ということなのだ、って。
ほんの一時(いっとき)なのだけれども、
イエスさまのかわりに十字架を担う、ということが、
“イエスさまに会う”、ということなのだ、
と聖書は教えている、と思う。私たちも、
このキレネ人シモンのように、
“イエスさまに会いたい”、と願って、そして、
イエスさまの十字架の、ほんの一端でもいいから担わせていただけたら、いいなぁ、と思うのです。

(祈り)
主イエス・キリスト。あなたは、私たちのために十字架についてくださる方。
主イエス・キリスト、あなたは、十字架を担げ、とお命じになる方。
十字架におかかりくださるキリスト、あなたを仰ぎ見て、あなたに会いたいと願いつつ、歩ませてください。
(2015/11/15「小礼拝」での奨励から)

【余 yoteki 滴】

“中高生と一緒に、マルコによる福音書2章1-12節を読む”


直前の、マルコ福音書1章45節、
イエスさまは、「重い皮膚病」の人を癒しされた後、「町の外の人のいない所におられた」。
イエスさまは、町に入る事ができない状況になっていた。
それから「数日後」、(少しは、ほとぼりが冷めたのだろうか?)
イエスさまは、カファルナウムの、“ある家”におられた。
が、こんどは「戸口の辺りまですきまもないほど」になってしまった。それで、その集まって来た人たちを前にして、
イエスさまは、「御言葉を語っておられた」(2章2節)。


「重い皮膚病」を癒してもらった人は、
「そこを立ち去ると、大いにこの出来事を人々に告げ、言い広め始めた」と書いてある。
この1章45節の「出来事」と、2章2節の「御言葉」は、同じ単語。
イエスさまが「御言葉」を語るというのは「出来事」なのだ、ということ。
イエスさまが来られたということが、「出来事」そのもの、なのだということ。
イエスさまが「御言葉を語っておられた」というのは、「福音」を語っておられた、ということであり、
イエスさまが来られたという「出来事」そのものが、「福音」なのだ。だから、
イエスさまと出会うという「出来事」が、私なら私の身に起こる、
キリストと出会うという「出来事」が事実になる、というのは、
「御言葉」としての「福音」に出会うという「出来事」が、私に、
起こっているのだ、ということ。


2章1節からの人は「中風」(体の自由が利かない状態)だったと書いてある。
四人の人に床(とこ)ごと、連れて来てもらう。彼は、
イエスさまに会いたい、と思った。だけれども、人があふれていて行かれない。
遅れてやってきたのかなぁ。
もう、とっても家には入れない。
そうすると、彼らは何をするのかと言うと、
イエスさまがいるあたりの屋根を壊した、と書いてある。この下に、
イエスさまがいる、と狙い定めて屋根をはがした。そうして、
イエスさまのいるところに彼を降ろす。


その四人の信仰を見て、とは書いていないのだけれども(聖書は「その人たちの信仰」)、
イエスさまは、四人の信仰(信頼)を見て「子よあなたの罪は赦される」と言われる。
山室軍平はここのところの説教題に、「四隅の務め」とつけておられる(『民衆の聖書』)。
四隅にこそ意味がある、重要なのは、中央にではない、ということ。
乱暴この上ないんだけれども、この四人は、イエスのもとに連れて行く、ということに忠実。


この四人も、イエスさまのところに降りて来た一人も、名前が記されていない。
無名の人たち。
この四人は誰なのだろうかって、ちょっと気になる、私は。
この家は、たぶん、ペトロの家だと思う。そして、
ペトロが、誰か判らない、彼が知らない四人の男達が、自分の家の屋根をべりべりと壊し始めたら、はたして、気の短いペトロとアンデレが黙ってみていただろうかねぇ。だから私は、
この四人は、ペトロとアンデレとヤコブとヨハネだったのではないかなぁ、と思う。
二組の兄弟は、屋根に上がると、
「イエスさまは、きっとここだよ、大丈夫」なんて、ごにょごにょと相談してね、
「大丈夫、俺んちだから壊しちまえ」、ってね、ごそごそって壊し始めてね、
落っことしちゃいけないんだからって、するするって水平を保って、
イエスさまのところに「中風」の友達を、自分では動けない友を、自分からは動くことが出来なくなった友人を、降ろして行く。
四人は落とさないように、そっと、
乱暴に屋根をぶち抜いたあとだけれども、そっと、
イエスさまのところに降ろして行く。
1章40節以下に出て来た「重い皮膚病」の人は、「律法」という、彼を縛っていたものを
打ち砕いて、押し破って、
イエスさまの前に出て来る。
そして、今日の彼らは、「屋根」という現実のものなのだけれども、
打ち壊して、降って行く。四人で一人を降ろして行く。
イエスさまのいる低みに、一人を降ろして行く。


イエスさまって、ホコリをかぶってくださる方だなぁって、私は、本当に思う。
イエスさまのところに、屋根の部材と、大量のホコリとが舞い降りて来た。
イエスさまは、ホコリだらけになって、待っていてくださる。
イエスさまのところに行く、というのは、普通(どちらかと言えば)、のぼって行くイメージ。
天の御国へ、
エルサレムへ、
十字架のキリストのもとへ、私たちは、
目を上げて従って行く。ところが、
イエスさまに近づく、イエスさまのところに行く、というのは降って行く、という事なんだって、ここでは教えられる。
イエスさまが、いちばん底辺にいる。その、
いちばんホコリをかぶってくださるイエスさまのところに降って行く。それが、
イエスさまと出会う、という事なのだ、とマルコ福音書は言う。


キリストと出会う、ということは、低く低く、一番の低みまで降ろされて行く、ということ。
そして、一番の低みまで降ろされて、
イエスさまに出会う、という「出来事」を経験すること。その時、私たちは、
立ち上がることができる。
イエスさまと出会う、という「出来事」は、今まで、
動いてはいけないんだ、と思っていた束縛から解放される、ということ。
この人を、私を、縛っている結び目を、いちばん下で待っていてくださる
イエスさまがほどいて、自由にしてくださる、っていうこと。
いちばん下にいてくださる、
一番の低みにいてくださる主イエス・キリストに出会って、
「御言葉」に出会って、一番の低みから歩み出して行く、そういう者と私たちも
されて行きたい、と思う。
(2015/11/01「小礼拝」での奨励から)

【余yoteki滴】

“中高生と一緒に、マルコによる福音書1章40-45節を読む”


昨日の「道灌祭り」(今年は10/17-18)での出来事です。
午後、街を歩いていると、
「先生、今日はもう召し上がっているんですか」、
って言われてしまいました。
「召し上がっている」と言っても、別にお汁粉ではなくて、「(ビールやお酒などのアルコール類を)一杯、飲んでますか」という意味です。

実は、このところ体調が悪いんです。ブタクサ(の花粉)とかが飛んでいるらしい。先日、ドクターに「薬が合わないわねぇ」って言われてしまって、「処方を変えましょう」っていうことになったんです。
ただ、漢方だから、効果が出るのが早いか、ブタクサの花粉が飛ぶのがやむのが早いか、というと、これはちょっと、難しい。
そんなわけで、
「先生、もう召し上がっているんですか」
と言われても、いちいち、体調が、とか、アトピーが、とか、喘息が、とか話すのが面倒になってしまって、えへへ、とか言っているだけなんです。

ここ(マルコによる福音書1:40-45)には、「重い皮膚病」の人が出て来ます。
「重い皮膚病」とは一体、どんな「病い」か、ということも(重要な問題として)あるけれども、律法には、旧約聖書には、「重い皮膚病」になったら隔離しなさい、というようなことが書いてある。
ですから、この人は、
“生きているけれども生きていない”
んです。
その彼が、律法を乗り越える覚悟をして、イエスさまの前に出て来て、ひざまずいて、「御心ならば」と祈ります。相当に勇気がいる行動です。
また、イエスさまも、この人と相対して、しかも「深く憐れんでその人に触れ」るわけですから、あきらかな律法違反ということになります。

「重い皮膚病」の人を共同体の外に出す、というのは、人々を守る、共同体を守る、ということ(のための処置)です。それは、生きているその人を、生きているままで殺すことで、その(「重い皮膚病」の)人以外の共同体を助けることができる、という考え方です。
感染は防げるけれども、その人は、
“生きていても死んだ人になる”
ということです。

この人は、その人の立場から言うと、
“触れてもらってはいけない”、
そういう生き方をしなさい、と律法によって言われている、ということになる。
ところが、彼は、
触れてもらうために出て来る。
イエスさまも、彼に「触れ」たって書いてある。
律法に従って生きて来た人たちは、本当にびっくりしたと思います。もっとも、この人が近づいて来た時に、お弟子さん達も含めて、誰も彼も、クモの子を散らすように逃げてしまっていたことでしょう。
イエスさまだけが彼を待っていた。
ただお一人、そこの場に、彼が出て来るところにいてくださる。

「触れる」、ということは共同体への回復です。
“生きているけれども死んでいる”、という状態から、
“生きているから生きている”という状態に、
この人を、イエスさまが、回復してくださる、ということです。

ところで、私は、一向に清くしてもらえないなぁ、と思うんです。どうしてだろうねぇ。不思議ですよね
たぶん、ボクはね、イエスさまの前に跪いていないんだと思います。彼は、跪いて祈るわけです。ところがボクは、(跪いたとしても、)せっかく跪いたんだから、あれもこれもお願いして、と思うわけです。でも、そうじゃない、と聖書は、言うんです。
ここが、信仰の難しいところだと思います。
この人は、律法というものを押し破って、「御心ならば」と祈るわけです。ただあなたの御旨なら、と祈るんです。
そして、キリストは、その彼に手をおいて癒してくださる。
そのような、待っていてくださるキリストを信じる、というのが信仰なのだろうと思うのです。

祈ります。主よ、あなたの御前に、まっすぐ歩み出して行くことができますように。
(2015/10/18「小礼拝」説教から抜粋)

【「祈りと行いのために」 – 時代への祈り – 】

主よ、
あなたが来られたのは、世界の平和と和解のためです。
教会は、
そのことを覚え、
主の栄光を讃えます。

今、
教会は、私たちが暮らすこの列島での政治的情勢を、
深く直視して行く、時代に対する責任を、
主に求められています。

それ故、
私たちは、祈りと行いとをもって、
主よ、
あなたに御旨を尋ねます。

主よ、
あなたのまことの平和のために祈り続けさせてください。

祈り続けるすべての人と連帯させてください。

行いをもって信仰を示すすべての人と連帯させてください。

祈りと行いとを強め、
教会の信仰を支えてください。

繰り返し祈ることを、

繰り返し行うことを、

無力だと感じさせるサタンの誘惑を、
取り除けてください。

主が、
教会の祈りと行いとを豊かに支えてください。

教会と私たちが、
祈りと行いとをもってこの世に証しして行くことを、
主が得させてくださいますように。

主イエス・キリストの御名によって アーメン。

【余 yoteki 滴】

「旅を急いだ」( 使徒言行録 20 : 16 )

パウロは、
「五旬祭にはエルサレムに着いていたかったので、旅を急い」でいた(使徒20 : 16)。
彼は、
「エフェソには寄らない」、と決める。
「アジア州で時を費やさないように」、と決める。
パウロは、
ルートを検討し、最短の旅程を、最善の航路を選ぶ。
でも、
パウロの「旅」は、
ミレトスの港で足止めとなる。
舟は、彼の思う通りには出航しない。
彼は、
ずっと決めていた。
五旬祭にはエルサレムで神殿に行きたい、と。
あの祭りの時に神殿で祈りたい、と。

でも、
舟はまだ出ない。

急いている気持ちを、
パウロが鎮めて、
沈黙して、
為すべきことを神に尋ねない限り、
パウロの「旅」は進まない。

パウロは、
鎮まって神の前に祈る自分を取り戻す。
否、
主によって、取り戻させていただく。
パウロは坐す。
神が決めたもう「旅」の時が、
人が思い定めた時刻表に先立つ、ということを
思惟するために、
ミレトスで。

【 些事 saji-bibou 備忘 】

「 ネコ 」

先日、
園庭に陥没箇所が発生した時のこと。
これから重機を入れて本格的に掘削を開始する前に、職人さんたちは、
牧師に、
「祈ってくれ」と、言う。
ある意味しごく当然のことで、
特に、土地に重機を入れる業者さんは、“信心”深い。
それというのも、この列島が属する東アジア漢字文化圏の民俗では、
土地は、カミに属するものであって、ヒトに帰するものではないから。
しかも、これから削(ほ)るのは、教会の土地、“境内地”なのだから。
そして、
そういう“神事”にきちんと時間をとれる職人さんは、
私の経験からいうと、仕事が丁寧で迅速。

聖卓の前で、祈りの時を持った。

さて、これからどうするか、
と検討していた時のこと。

当然のことだけれども、
掘れば、埋め戻さなければならない。
そうなると、
掘削して地層を撹拌してしまうわけだから、
掘ったところだけ、簡単な言い方をすれば、周囲と固さが違ってしまう。
そこで、
「転圧機」という機械で圧力をかけて固めるのだけれども、
人工的に圧力をかけても、かけきれるものではないから、
埋め戻すと、どうしても土が余る。

「余るでしょうね」、という話しになり、
私は、
「まあ、ネコ一杯ぐらいだったら牧師館の裏に投棄でいいですよ」
と言った。
そうしたら、職人さんたちが、
“あれっ”
と固まってしまった。
おっと、素人考えだったか。
「ネコ一杯ぐらいじゃあ済みませんか?」と、重ねて尋ねると、
「いや、そこじゃなくて」と、彼ら。
普通、素人さんは「ネコ」は言わない、と言われてしまった。
ああ、そっちか。
「ネコ」とは一輪車のこと。発掘の現場でも、一輪車は「ネコ」と呼ぶ。
そのことを説明しようかなと思っていると、
目の前を、
顔見知りの黒と白のブチの猫が、
悠然と通り過ぎて行った。

余 yoteki 滴(8月16日)

【「終戦記念日」を覚えて – 祈り – 】
8月15日。
1945年8月15日から70年。
私たちは、この島国の自然の美しさを愛するがゆえに、
二度と焦土と化す戦争に突き進む国としないことを祈ってきました。
そして今、
主が創られた被造世界にある全ての生命(いのち)と共に、
この敗戦を覚える日を、真に「終戦」の日としてください、
と強く祈ることを得させてください。
この世の中の、
あらゆる戦争、紛争、武力衝突、軍事介入の「終わりの日」と、
主よ、あなたがしてください。
私たちが、
あなたの御旨を深く受けとめ、
地域、国家、民族というこの世の枠にとらわれることなく、
広く、全世界に主の御名による平和が実現することを、
祈り続けられるようにしてください。
私たちを、御旨に聴きつつ歩む群れとして整えてくださいますように。

余 yoteki 滴 (8月9日)

【長崎の日を覚えて – 祈り – 】
この朝(あした)、70年前の長崎への原爆の投下を覚えて祈ります。
世界の平和と、核廃絶への祈りを深める教会の祈りを、かたく確かなものにしてください。
私たちの祈りが、世界中の平和を求める祈りに連なり、キリストにある一つの祈りになるように、主がしてください。
そして、御旨に聴きつつ歩む群れとして整えてくださいますように。

余 yoteki 滴(4月5日)

復活節黙想
「思い出しました」
(マタイによる福音書 27 章 63 節)

私たちは驚く。

十字架の出来事があって、最初にキリストの言 ( ことば ) を思い出し、その言 ( ことば ) に従って行動するのは、敵対してきた者たちだから。
彼らはピラトに言う。「人を惑わすあの者がまだ生きていたとき、『自分は三日後に復活する』と言っていたのを思い出しました」(マタイ27章63節)。キリストの言 ( ことば ) を、もっともよく思いめぐらし、吟味し、的確に意味を把握しているのは、「祭司長たちとファリサイ派」の人々(62節)。

主の十字架という出来事は、人の思いを越えた結果を生じさせる。
十字架のもとで、「本当にこの人は神の子だった」と、最初に、宣言するのはローマ兵(異邦人)の百人隊長(ルカによる福音書23章44節)。そして、キリストを十字架につけた者たちが、「思い出しました」と語る。キリストの言 ( ことば ) は、真理の言葉であるが故に、反対する者、批判をする者をも、信じる者と等しく動かす。
そのことに私たちは、はっきりと驚かなければならない。

私たちは、不信仰に傾く僅かな信仰の者で、無関心な者、冷笑する者よりも遥かに遅く、御言葉を思い起こす者。しかし、主を信じ、御言葉を思い起こし、御言葉を生きる者とされて、この年度の歩みを、十字架の主のもとにあって、始めて行きたい。
(2013/3/31週報改)

余 yoteki 滴(3月29日)

四旬節黙想

「小さなパン菓子」(列王記上17章13節)

図案は、AD6世紀頃の、パンのための型(スタンプ)。ビザンチン時代の北シリアから出土した(『海のシルクロード「古代シリア文明展」』の図録から)。大きさは約6.5cm。中央に木を描き、左右に有角の動物を配し、周囲には花をつけた樹木と鳥とを描いている。
パンに型押しする、というのであれば、そのパンは「種入れぬパン」ということになろう。

「除酵祭」の規定では、「あなたたちは七日の間、酵母を入れないパンを食べる」(民数記28章17節)とある。
民数記6章の「ナジル人」の規定の中にも出てくる。「ナジル人」が満願の献げ物をする時には、雄羊、雌羊と共に、「酵母を使わずに、オリーブ油を混ぜて焼いた上等の小麦粉の輪型のパンと、オリーブ油を塗った、酵母を入れない薄焼きパンとを入れた籠を」献げるとある(6章13節以下)。

さらに、王妃イゼベルとの殺戮戦に巻き込まれたエリヤには、「焼き石で焼いたパン菓子」が用意される(列王記上19章)。ホレブの山への逃避行の最中、えにしだの木の下で眠ってしまうエリヤのもとに、御使いが来て、「起きて食べよ」と言う。そして、手早く焼かれた「パン菓子」の香ばしさが、エリヤを力づける。

時間は前後するが、飢饉と旱魃の時に、エリヤはサレプタの女主人の元に神さまによって預けられる。その際エリヤが求めるのも、焼いた「小さいパン菓子」(列王記上17:13)。この「小さいパン菓子」は、わずかにつぼの中に残った「一握りの小麦粉」で作られる(17:12)。

さて,上掲のパンのための型(スタンプ)も、やはり小さな「パン菓子」を作るための型(スタンプ)だったのであろう。それは、町の駄菓子屋の店先で、子供たちを喜ばす「パン菓子」だったのかも知れない。或いは、町一番の老舗の看板商品のための型(スタンプ)だったのかも知れない。いずれにしても、この小さな、パンのための型(スタンプ)は、サレプタのあの家で、「彼女の家族は久しく食べた」(列王記17:15〈口語訳〉)と記されている出来事の、御使いに「起きて食べよ」と言われた出来事の、文化的余韻の中に深くある。

パンは、与えられるものであると同時に差し出すもの。
エリヤに御使いが、そしてサレプタの女主人が、与えるものであるように。
そしてそれは、「ナジル人」の誓願が成就したことを寿ぐ者が、主の前に差し出すもの。この幾層にも、襞深く焼き込められた思い出と共に、「小さいパン菓子」は、その型(スタンプ)は、ある。
私たちが受け継いできた信仰のように。
(2012/3/25週報改)

余 yoteki 滴(3月22日)

四旬節黙想

「わたしの後ろに従いたい者は、」
( マルコによる福音書8:34 )

私が固執するものは、何か。“そんなことに?”、と人が言うような“細かい”、或いは、“意味のない”ことに私はこだわる。
正確に言うのであれば、私は、私が、何にこだわっているのかを知らない。そして、周囲からは、“おや、あんなことに固着するのだねぇ”、と思われていたりする。
私は執着する。キリストの目からは実に不要な、無意味な事柄に対して。
そしてキリストは、私をも叱ってくださる。あなたは、「人間のことを思っている」(同33節)と。

キリストは、主を戒めるペトロに、「わが後に退け」 (文語訳。新共同訳は「引き下がれ」) と言われるように、“私の後ろに従って来なさい”、と私にも声をかけてくださる。“人間的なこだわりを捨てて、そういう自分をかかえたまま、
私の後ろに従って来なさい”、と。十字架をしっかと見据えたまま、主は、私の傍らを通りかかる時に、そう、声をかけてくださる。さて私は、声をかけてくださる主にどうお応えすればいいのか。
(2014/3/30週報改)

余 yoteki 滴(3月15日)

四旬節黙想
「救いは主のもとから来る」(詩37篇39節)

37篇を残した詩人が、詩編の詞書にあるようにダビデなのかそうでないのかは、もはや、私たちには判然とはしない。詩人が誰であるかはわからないとしても、この詩の作者は、一つの確信に立っている。

それは、必ず主は「備えてくださる」(23節)という確信。神の御護りと支えとに対する揺るがない信頼。どうして詩人は、それほどまでに神を信頼できるのだろうか。

むしろ神は、私が願う時に、私の助けになってくださらない、ということが多いというのが、私たちの経験なのではないだろうか。
しかし、詩人は、神は「とこしえに見守り」(28節)たもう方だと言う。
不条理だとしか思えないことの連続の中で、神の加護などないのではないか、と思えるような経験の積み重ねの中で、私は、神を見放してしまう。神は決して私を見捨てないのに。
しかし、詩人は、「救いは主のもとから来る」と告白することを知っている。そのことへの信頼を深めて行きたい。
(2013/3/24週報改)

余 yoteki 滴(3月8日)

四旬節黙想
「ベニヤミンの袋の中から杯が見つかった」
(創世記44章12節)

ベニヤミンの穀物の袋を開けると、「銀の杯」が入っている。
「銀の杯」は、ヨセフ自身。

ヨセフは執事に言わせる。「あの銀の杯は、わたしの主人が飲むときや占いのときに、お使いになるものではないか」(創世記44章5節)。
「銀の杯」は、ヨセフの聖と俗の両界を交差させる道具。ヨセフの「執政」としての執務の傍らにあり、ヨセフが「夢見る人」であるとき、ヨセフと神との世界の傍らにある。
ヨセフは、その「銀の杯」を、同母弟のベニヤミンに、そっと預ける。

ヨセフに奴隷として引き渡されたベニヤミンを、兄たちが買い取ることでしか、ヨセフが兄たちとの間の失われた信頼を回復できない。ヨセフは、代価を払って購われた者だ。そのヨセフが、弟ベニヤミンの買い戻しを、購いを、兄たちに持ちかける。ベニヤミンと一緒にベニヤミンの同母兄であるヨセフも父が買い戻すことを。つまり、ヨセフの正当な権利の回復を。

しかし、事はヨセフが企図したようには進まない。
「夢見る人」であるヨセフは、人の計画、人の思いに、神が明瞭なる否をもって介入されることを良く知っている。
ヨセフは、自分で立てた計画のその最後の、詰めの時に、歯を食いしばって生きてきた人、理性と努力の人であることをやめる時が来たことを知る。

彼は、「もはや平静を装っていることができなくなり、『みんな、ここから出て行ってくれ』と叫んだ」(創世記45章1節)。
ヨセフは、ここまでをエジプト語で語る。後は、兄たちとの会話は、彼の母語になる。
冷静な、怜悧な吏員としてのヨセフではなく、「泣く者」としてのヨセフがそこにいる。

神の介在は、ヨセフという一人の人をありままのその人へと連れ帰る。組織の人を家族の人にし、理知の人を感性の人にする。エジプトの執政でありながら、ヨセフは小さな部族ヘブライ人の長となる。
「エジプト語」を語る“執政ヨセフ”は、「ヘブライ語」を用いる“神と共にいる人ヨセフ”に変えられる。
そうヨセフは、関係を取り戻す祝福の器に、主にある器へと変えられるのを私たちは見る。
(2012 / 2 / 26 週報改)

余 yoteki 滴(2月22日)

四旬節黙想
「境内で子供たちまで叫んで」
( マタイによる福音書 21 章 15 節 )

マタイによる福音書は、「それから、イエスは神殿の境内に入り」(21章12節)と記す。
主は、神が祝福し続けておられる都に来られる。
そして、神殿の「境内」へと歩み行かれる。
そして、そこでの出来事を福音書は、「境内では目の見えない人や足の不自由な人たちがそばによって来た」(14節)と伝える。
さらに、「境内で子供たちまで叫んで」(15節)とも言葉を重ねる。

今や、神殿の「境内」は、そもそも入ることがゆるされなかった人々で、そして、数に入らない子供たちで、満ちているのだ、と福音書は語る。
「律法」がイスラエル共同体の外に置く、「目の見えない人や足の不自由な人」、年齢的に「一人前」と数えられない「子供たち」が、イエスをメシアであると、「ダビデの子」であると、宣言する。

ご降誕の時に、東方の占星術の学者たちが(つまり異邦人が)、「ユダヤの王としてお生まれになった方は、どこにおられますか」(2章2節)と言い、「民の祭司長たちや律法学者たち」(2章4節)に先んじてキリストを礼拝するように、今また、「目の見えない人や足の不自由な人」、「子供たち」が、「祭司長たちや、律法学者たち」(15節)よりも早く、明瞭に、端的に、イエスをメシアであると告白する。「ダビデの子にホサナ」(21章15節)と。
今日、「ダビデの子にホサナ」と叫ぶ「子供たち」は、その無垢さ、純真さのゆえに辺地から神殿の「境内」という中心へと迎え入れられる。
そう、ご降誕に続く「幼な子殉教者」の出来事に示されている「子供たち」と共に。

神殿の「境内」において、神の御前において、権威と周辺はその立地を転じる。それが、「主が来られる」、ということ。虐げられ、闇に追いやられ、迫害され、殉教させられた者が、「ホサナ」と叫び、喜びの内に「神殿」でメシアに出会う。律法学者たちが「腹を立て」(21章15節)る中、十字架の贖いの接近の只中で。イエスの祝福の内に。
(2013年2月24日週報改)

余 yoteki 滴  歳晩主日黙想

「起きて、」
(マタイによる福音書2章13節)

ダビデは、その子ソロモンに、
神殿を建てることについての、神の御旨を語る。
そして、
「たって行いなさい。主があなたと共におられるように」
と、祈る(歴代志(上)22章16節、口語訳)。

ことは、神殿建設だから、私を取り巻いている現実などとはほど遠い。
けれども、私も、このダビデの言葉の前に、畏れる。

私は、この1年、“神が共にいてくださる”、と言うことを確信して、
「たって行いなさい」との促しに、
「諾」、と応えることができただろう、と。
私の思いで「立つ」のではなくして、神の御旨を聴いて「立つ」、
そういう鎮まりを、
生き得ただろうか、と。

ヨセフは、主の天使の告げるのに従って、
「起きて」、マリアと御子とを連れてエジプトに出立する。
彼の人生、彼の計画、“わたし”の思いを彼方にして、
神のご計画のみを優先する。
救い主を守って歩む、という生き方に専心する。

そして私は、2014年の歳晩主日に、
「絶えず喚きちらしているわたしたちが
 静かに御前に立ち止まって」(*)、
ただ御声のみを聴くことができるように、と黙して、祈る。

「起きて」、
信仰の深まりへと、心の内を歩み出せるようにと、主に願いつつ。
ただじっと、この、私のため、にも来てくださった御子を、
そっと、
心の内に抱かせていただきつつ。

* * * * * *

(*)引用は、ジョン・キーブル、今橋朗編訳、『光射す途へと』の「降誕後第1主日」の祈り、の一部です。

余 yoteki 滴  (11月23日)

「主よ、あなたを呼び求めます」(詩28:1)

終末節黙想(2)

神は黙して、私に応えてくださらない。
神の沈黙は、絶望。
詩28篇の詩人は、神が沈黙なさるのならば、「わたしは墓に下る者」と同様だ、
とうたう。
神からの応えがない時、私は死者に過ぎない、と詩人は告白する。

神は、私に応えてくださる方か。
そして私は、
神の応えを、はっきりと聴いている、と言える者か。
私も、詩人とともに言う。否、私も「墓に下る者」に過ぎません、と。

私は、私の要求、私の願いばかりを神に祈る者。
神の御声を聴くために、只々、鎮まって、御前に沈黙しようとしない者。

私は、黙せない自分を見つめる。
そして、そのような私に、神は、祈るために膝をかがめることを許される。
その神の恵みの偉大さを思う。
そう、神は、私のために語られる。今も、静かに、御言葉の内に。

余滴(11月9日)

終末節黙想
「主は弱り果てたわたしを救ってくださる」
(詩116篇6節)

人生の結末をどのように迎えるか、私は自分で決めることができない。
このように生きて来たのだから、このように死ねる、と言えるわけではない。

詩116編の詩人は、嘆き祈る自分を知っている。
祈りが、嘆きで終始する時がある。詩人の状況は危機的。
詩人は、「死の綱がわたしにからみつ」くのを見ている( 3 節 )。好転の見込みはない。
しかし、その困窮の窮みにあって、116篇の詩人は、叫ぶ。神に叫ぶ。
御名を呼んで詩人は、「わたしの魂をお救いください」と言うことができることを知っている( 4 節 )。
神の御名を呼び得ることができる、と詩人は知っている。

詩人は、自分のことを、「哀れな人」( 6 節 )と理解している。
この「哀れ」は、「憐れ」ではない。
文語訳では「愚 ( おろ ) か」という訳。神の前に愚直であろうとする者、それが詩人。
「憐れまれる」ことすらなく、排除の対象でしかない「哀れ」さを覚悟をもって生きる、のが詩116篇の詩人。
そのような詩人に対して神は憐れみ深く、「正義を行われる」、必ず( 5 節 )。しかし、詩人の危機は去らない。

そして詩人は、確信している。「わたしたちの神は情け深い」と( 5 節 )。

詩人の神への信頼はなぜ揺るがないのか。
私は、そのことを巡って戸惑う。

私は、全てを主の御旨に託して、困難を、病いを、状況を受け入れることができない。私は、嘆く。
私は、詩人のような神への信頼に立ち得るのか。

詩人は、「主の慈しみに生きる人の死は主の目に値高い」と宣言する( 15 節 )。
私は、詩人のように「主の聖徒」( 文語訳 ) と言い切り得る歩みを、
「われは活るものの國にてヱホバの前にあゆまん」と言い切る歩みを、
この地上で、生ききることができるのだろうか、と躊躇する。

しかし、自分に踏み留まる私も、この詩人に慰められる。
私の努力では「主の前を歩み続け」ることができないとしても、否、私の努力では歩み得ないのだから、
だから、神は、私に憐れみ深くいてくださるのだと、とのこの詩人の確信によって。

余滴(9月14日)

「御言葉を行う人になりなさい」
ヤコブの手紙1章22節

ヤコブ書は、御言葉を「聞くだけで行わない」のは、
「鏡」で「生まれつきの顔」を見ても忘れてしまう人だと言う。
「鏡」は、手本、模範という意味も含有している。
本当に聴き、方向を委ね得るのは御言葉だけなのだ、とヤコブ書は言う。
今、この時代に、
御言葉のみに頼り、御言葉を「行う」生き方を選びなさい、と。
そう、私たちは、自分の智恵、自分の思考を羅針盤にしている。
「鏡」を見なければ思い出すことができないような「生まれつきの顔」、
“自分の顔”を頼って生きている。
だから私は、
御言葉を「行」い、御言葉を「生きる」生き方が、自分の生き方の対極にあるのだと、
そのことに憧れなければならない。
深く、そしてはっきりと。

余滴(9月7日)

私をも信じなさい
(ヨハネによる福音書14章1節)

キリストは、弟子たちを前にして「わたしをも信じなさい」と言われる。
どうしてキリストは私「をも」、と言われるのか。
なぜ、
私「を」信じなさい、と諭されないのか。
そう、キリストは弟子たちに厳しくはっきりと迫る。
あなたたちの信仰は知っている。だが今時、なお一層、私を信じなさい、と。
それは、弟子たちをしてキリストを信じられない時が間もなく来るから。
十字架の出来事を見て、「心を騒がせ」る時が来るから。
だから、
神を信じるように、強くしっかりと私を信じなさい、と。
キリストは、
振起日のあした、私にも言われる。「わたしをも信じなさい」。
どんな時、時代であっても、しっかりと私の十字架だけを見つめて歩め、と。

余滴(8月24日)

「イエスを試そうとして」
(マタイ22:35)

一人の律法学者が、
「イエスを試そうとし」たのは、「イエスがサドカイ派の人々を言い込められた」と知ったから。
サドカイ派の人々は、
「復活」という自分たちを他の会派から峻別している課題から
キリストに問いを発する(マタイ22:23以下)。
が、この一人の律法学者は、
信仰の根幹を問う。
その問いは、単純だが深遠。
律法に生きる全ての信仰者がもつ問い。“旧約聖書とは何ですか?”、という問いに等しい。
そして、キリストの答え(37-40節)も、核心。
それは、父なる神ヤハウエが、律法の民全体に命じたことの中心。
そう、
キリストは、敵対するものの内側にあるまっすぐな思いにさえも目を留めてくださる。
では、私はどれほどの真摯さをもってキリストの前に立っているだろうか。

余滴 (8月17日)

「主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう」
(ルカ1:45)

 マリアは、
受胎告知を受け入れた重い体をおして、叔母エリサベトを山里に尋ねる。
そして迎えたエリサベトがこのみ言葉を語る。
苦悩せざるを得ない生き方の中で、神のみをまっすぐみつめることの困難さを思う。
むしろ、
神などに頼らないで、他のものに一時的に待避している方が、よっぽど利口なのではないか、と。
でもマリアは、将来に、神の御旨の成就を確信する。
ただ信じ生きる時の、困難の中での幸いをマリアは示す。
そして彼女は、
虚心に神の前に立つ信仰を見つめる信仰の友、エリサベトと出会う。
伝統的な日課は、この聖句を8月15日に置く。
その重みを今年、ひしと感じる。

些事saji-bibou備忘 (2014年5月18日)

「つばめ」

牧師館の玄関に、ツバメが帰って来た。
いずれかが巣にいることが多くなったので、
たぶん、卵を暖めているのだろうと見ていた。

すると先日、
巣の下に卵の殻がきれいに二つに割れて落ちている。

おや、孵化したのか、
と巣を見上げたけれども変化は確認できない。

そう言えば、
去年も卵が1つ落ちたような後があって、
でも何事もなかったなあ、と巣を見上げると、
ツバメは、
うるさいと言わんばかりに私を見下ろしている。

余滴

(イースター黙想)
「走って行って」
(ヨハネによる福音書20 : 2 )

復活の朝早く、ヨハネ福音書では、マグダラのマリアだけが走る 。
マリアは、
十字架の上でキリストが、
「成し遂げられた」と言われて死なれた、あの時(ヨハネ福音書19 : 30 )、
葬りのための充分な時間が取れなかったので、
安息日が明け、夜が明けるのを、じりじりと待って、
エルサレムから、あの「園」 ( 19 : 41 )の 新しい墓まで走り、
誰よりも早く、墓に着いた。

誰よりも早く、だったのに、
でも、
墓の石は既に、何者かによって「取りのけて」あった ( 20 : 1 )。

マリアは、
再び走って、
ペトロと主の愛弟子とに、
「見た」ことを告げる。

そして、
さらに走って、
ヨハネやペトロと共に墓に戻る。

マリアは、主に追いつこうと思って走ってきた。
キリストの後ろ姿に向かって、その背中に追いすがろうと思って、
その背中を目指して走ってきた。
だからこの時、「身をかがめて墓の中を見る」。

彼女は、
自分の視線の前方にキリストがおられる、と思っている。
「墓の中に」、私の視線が見極めようとするその先に、キリストがおられる、と思って、
「墓の中を見る」。

確かに信仰とは、
キリストの十字架を仰いで己が馳せ場を行くこと。
マグダラのマリアも、そのようにキリストを追う。
その走りは立派。信仰ゆえの、あっぱれな、確実な足の運び。
キリストのみを目指して馳せ行く見事な走法。
でもそれは、
“キリストの背中に追いつきたい”という、彼女の思い。
そう、マルアは、“自分の思い”で走る。

そして、行き着いた「墓」で、
誰よりも早く来たはずの「墓」で、
人の思いを越えた神の御心が実現しているのを見る。

既に、
墓の石は、神の御旨によって取りのけられている。
でも、人はそのことを悟り得ない。
マリアもまた理解できない。

そして、自分の前にのみキリストを見いだそうと、ひたすら走って来たマリアに、
否、私に、
主は、後ろから近づいてくださる ( 14、16節)。
マリアは「振り返って」キリストと出会う。

今日、
キリストの復活に出会った者は、
マグダラのマリアも、
また私も、
後ろから近づいて来られるキリストの証言者になる。
前方、キリストの十字架を仰ぎ、人の計画 ( プラン ) に先立って、
神さまの摂理 ( ヴィジョン ) が実現することを確信し、
後方、近づいて来てくださるキリストに背中を押していただいて、
「わたしは主を見ました」( 18節 ) と
語り、伝えて行く者とされる。

そう、
復活の朝に、キリストに出会うために走る者は、皆。

余滴

四旬節黙想(2)
「わたしの後ろに従いたい者は、」
( マルコによる福音書8:34 )

私が固執するものは、何か。
“そんなことに?”、と人が言うような、“細かい”、或いは、“意味のない”ことに私はこだわる。
正確に言うのであれば、私は、私が、何にこだわっているのかを知らない。
そして、周囲からは、“おや、あんなことに固着するのだねぇ”、と思われていたりする。

私は執着する。
キリストの目からは実に不要な、無意味な事柄に対して。
そしてキリストは、私をも叱ってくださる。
あなたは、「人間のことを思っている」(同33節)と。

キリストは、主を戒めるペトロに、「わが後に退け」(文語訳。新共同訳は「引き下がれ」)と言われるように、
“私の後ろに従って来なさい”、と私にも声をかけてくださる。
“人間的なこだわりを捨てて、そういう自分かかえたまま、私の後ろに従って来なさい”、と。
十字架をしっかと見据えたまま、主は、私の傍らを通りかかる時に、そう、声をかけてくださる。

さて私は、声をかけてくださる主の眼差しに応えることができるのか。

余滴

四旬節の黙想 ( 1 )
「この村に入ってはいけない」(マルコによる福音書8章26節)

ベトサイダでの癒しの出来事の終結を、マルコは、『イエスは、「この村に入ってはいけない」と言って、その人を家に帰された』(26節)と記す。
キリストは、7章31節以下の出来事と同様、“物見遊山気分”の「人々」と、この「一人の盲人」(22節)とを隔絶される。
そして、あの時よりも厳しく、「この村に入ってはいけない」、とその人に命じられる。
この「盲人」は、「人々」によって連れて来られた。「触っていただきたい」と願ったのも「人々」。でもキリストは、癒しの結果を「人々」に目撃させない。
キリストは、この人に、「家」に帰るように命じられる。
彼の「家」で待つ人がいるのかどうかは語られない。待つ人がいなくても、彼は「家」に帰る。そのようにキリストは命じられる。「何でもはっきり見えるように
なった」(25節)今、この人にとって、「家」は、今までと違った意味を持つはず。
キリストは言われる。あなたを連れ来った「人々」は、あなたの仲間ではない、と。あなたは、この見せかけの“交遊”に戻る必要はない、と。
しるしを求め、議論をしかける「人々」を、「心の中で深く嘆」かれるキリスト(8章11-12節参照)は、この人に教える。
真にあなたを心配する友は、あなたのために祈る人であって、あなたをしるしや議論の“ネタ”にしようとする「人々」ではない、と。今日、この時から、「はっ
きり見えるようになった」あなたは、あなたの「家」を、あなたが、友のために祈る場所にしなさい、と。
そして、私にも、今日尋ねられる。あなたは祈っているか、と。
あなたの「家」は、友のための祈りの「家」になっているか、と。
十字架へと歩まれるキリストは、私に問いかける。
私の傍らを、十字架へと急ぎ通り過ぎながら。

余滴(2014年3月2日)

「深く息をつき」( マルコによる福音書 7 章 34 節 )

マルコ福音書は、7 章 31 節を、キリストがガリラヤ湖に来られた時とし、一つの物語りを記す。
この話しをマルコは、やや唐突に、一人の「耳が聞こえず舌が回らない人」が癒されることを、「人々」は、「願った」と、書く( 7 章 32 節 )。
しかしキリストは、「人々」とは話し合わない。
むしろ「人々」との関わりを避けられ、ただこの一人と、向き合ってくださる。
そして、この人と直面してくださるその中で、「天を仰いで深く息をつき、…『エッファタ』と言われ」る( 34 節)。文語訳では、「天を仰ぎて嘆じ」とあ
る。キリストは、「人々」の物見遊山気分、この人の、信じるということの本質に至ることのない姿勢に、「深く息をつ」かれる。
そう、キリストは、私を前にして嘆息される。
私の信仰の浅さ、信じるという程には信じておらず、手に握ったものを、それがくだらない “がらくた” でしかないということを分かっていても、なおも手を
開いて放り出そうとせずに、しかも、握った手のままで、キリストにも寄りすがろうとする愚かさを示す私を、正面から見つめ、キリストは嘆息される。
私は、キリストを、嘆かせる。
でも、キリストは、そのような信仰の弱い私に、なお「開け」と言われる。
閉ざされた耳を、舌をも、開かれるキリストは、まず私に、その握っている手を開いて、愚かにも握っている、役に立たない ( 繁栄、獲得、上昇、栄誉、とい
った ) “偶像”を投げ捨てて、キリストにのみより縋るように、従うようにと、うながされる。
キリストは、嘆息しつつも、決して私を見放すことはなされない。私が、 “がらくた” を捨てるべく手を開くのを、我慢強く、待っていてくださる、そう今こ
の時も、「エッファタ」との御声と共に。

教会暦・行事暦より

「主の幼年物語」
(ルカによる福音書2章22-52節)

 「主の幼年物語」と総称される、「降誕」以降の、「主の命名」、「主の奉献」と、その後の12歳までの出来事は、ルカ福音書にのみ記されています。
 ルカが記す「主の幼年物語」は、「ナザレに帰り、両親に仕えてお暮らしになった」(2章51節)という言葉に象徴されるように、ナザレで両親と共に暮らす
日々です。この間、マリアはイエスの言葉の意味は分からないまでも(50節)、その「すべてを心に納めて」(51節)歩みます。
 古代の教会著作者たちは、弟子たちが母マリアから聞いていた語しをルカが採取して、「幼年物語」を構成したのであろう、と推測しました。
 確かに、古代の信仰者たちと一緒に、マリアの語りがルカ福音書の2章の背景にある、と考えるのは感動的です。「主の奉献」の際の、特にマリアに向かって老
アンナが語る出来事、12歳での宮詣の際のイエスの言葉、それらは、母マリアしか知り得ない出来事です。
(- もっともだからこそ、マリアの語りに仮託したルカの創作、それも実にロマンチックな! という理解も可能なわけです。近代の批判的解釈学者たちはその
ように理解しています- )。
 ルカは、「両親に仕えて」暮らすイエスと、そのイエスの出来事を「すべてを心に納めて」日々を過ごすマリアとを、私たちに示しています。
 イエスの地上でのご生涯とは、「公生涯」と呼ばれる宣教の日々だけでなく、生まれたばかりの時から、12歳という当時の人にとって“一人前”として扱われ
るようになる時期までをも含む、まさに「人」としての歩みなのだ、とルカは私たちに語りかけています。
 イエスは、何か、超人的な仕方で成長を遂げたわけではありません。
 むしろ、喜怒哀楽にとんだ職人の家庭での日々の生活をおくられたのです。
 父ヨセフに従って「大工」としての仕事を覚え、ごく簡単な図面で大伽藍を建てるような勘と経験の積み重ねをしたことでしょう。
 また、「稼ぎ」を得ることの大変さを、身をもって知ったことでしょう。主はそのように日々を送り、マリアは、「剣(つるぎ)、汝(なんじ)の心をも貫(つ
らぬ)くべし」(35節。文語訳)とはどういう意味なのかと、折々に思い起こしては,心の内にひそやかな不安を感じつつも、でも、あのガブリエルが伝えた言
葉に励まされて、毎日を朝星(あさぼし)の刻限から、夜星(よぼし)の時まで働いて過ごしたのでしょう。
 実に、主の幼年時代とは、十字架を遥かに仰ぎつつ、「剣、汝の心をも貫くべし」との覚悟の前に、つかの間、ヨセフとマリアそしてイエスという家庭に訪れた
安らぎの時であったのだ、と言うこともできると思うのです。

余滴(2014年1月1日)

『新春 shin-syun-mokusou 黙想』

「あなたの神、主を愛し、御声を聞き、主につき従いなさい。」(申命記30:20 )

 新春のお喜びを申し上げます。
 掲げた聖句は、1月1日のTaize(「テゼ共同体」)の日課。モーセの最後の説教の結びの部分。モーセは「今日、命と幸い、死と災いをあなたの前に置く」(申30:15 )とイスラエルの民に宣言する。
 私は、「幸い」と「災い」とが、私の前に併置されている、ということをどれだけ自覚しているだろうか。
 モーセの人生は、“ただ神にのみ仕えて歩む”、ということの難しさを、痛感し続ける日々。そして彼は、イスラエルに、「命を選びなさい」( 19節 )、と迫る。
 そして私たちも、この聖句の前に立つ。
 モーセは、いつでも、神を第一に考えて分岐点で対処してきた。彼はそのように自負する。そう自任しつつも、自分の折々の選択に、自己の利害が全く含まれなかった、とは言いきれない、ということをも冷静に見ている。

 私たちも、人生の選びを、いつでもする。年齢相応に、人生において「あれかこれか」を決めなければならないことがある。
 そして、自分が考えられる限りの是々非々に従って判断する。その時の基準は、私にとっては、自分の利害。そう、人が、自己の利害を基準にせずに決断を生きることは困難(というより無理)。
 モーセは、「今日、…あなたの前に置く」と私にも語る。神がモーセを通してイスラエルに求めておられるのは、「今日」この時、という一瞬一時を、神の手に委ねきって生きる、という覚悟。
 だが実際には、私はいつでも神の御前で逡巡する。神の前であれこれと言い訳をする。“今日は、体調が悪かったので”。“今日は、外の仕事が忙しかったので”。「あなたの神、主を愛し、御声を聞き、主につき従いなさい」と言われているのに。
 モーセは根気づよく私に言う。“お前は神の前に立っている。さあ、どうするのか”、と。
 いや、この言い方は正しくない。
 そうではなくして、モーセが語るのは、“神が、私の為に、私の前に立っていてくださる。神が、この、価値のない、神の前に無意味でしかない私のために、立っていてくださる。そして、「あなたの神、主を愛し、御声を聞き、主につき従」うことへの、神の助けの確かさを確信しなさい、と御手を伸べていてくださる。だから、その手をつかみなさい”ということ。
 御手への全的な明け渡しを、しがみついて、離さない、そのような歩みへと、さあ、と、モーセは聖書を通して2014年の冒頭に呼びかける,私にも。

余滴(2013年11月17日)

終末節の黙想
「わたしたちは皆、キリストの裁きの座の前に立たなければなりません。」
(コリントの信徒への手紙 (2) 5 章 10 節)
 パウロは、その生涯の只中で、人生の方向を決定的に、変えた人。キリストに敵対する者から、キリストに信従する者へと。そして彼は、(人生の終わり“に”、ではなく)人生の終わり“を”思う。自分の来し方を思う。
 私も思う。もし、教会に来ることがなかったら、と自分の人生を想像してみる。もし、キリストに出会うことがなかったら、と自分の生涯をイメージしてみる。
 御言に生きることなく歩んでいたら、私は、もっと自由だっただろう。キリストに捉えられることがなかったら、私は、もっと幸せだっただろう。イエスの十字架の重みを知らなかったら、私は、もっと快適だっただろう。だって、もっと極楽とんぼに、“いろいろなこと”に片目をつぶりながら、自前勝手に、時代の思想に流されながら、そこそこに、ひらひらと生きた、だろう。もっと気楽に“私の”時間を生きた、だろう。
 キリストに出会う、ということは、“私はわたしのものではない”、ということを知ること。“捉えていただいた”という覚悟を生きること。そのことを、『ハイデルベルク信仰問答』問1は、「生きるにも、死ぬにも、あなたのただ一つの慰めは何ですか」と問う(吉田隆、訳、新教出版社、1997)。
 『ハイデルベルク』の信仰を生きた人たちは、“生死を分たず慰めになることなど果たしてあるか、お前に?”、“今、生きている、この時の喜びではなく、かつても、今も、そしてこれからも、永遠にあなたの慰めとなる喜びが、あるか?”、と問い続ける。そして私は、この問いの前に立ち尽くす。
 『ハイデルベルク』は、答える。「わたしがわたし自身ものではなく、体も魂も、生きるにも死ぬにも、わたしの真実な救い主イエス・キリストのものであることです」と。私は“キリストのもの”であって、何一つとして“私の”ではない。『ハイデルベルク』のこの応答は、パウロが「わたしたちは皆、キリストの裁きの座の前に立たなければなりません」という宣言への応答。
 私は、“キリストのもの”として「私の真実の救い主イエス・キリストのもの」として、キリストの裁きの座の前に、喜んで、立つ。「立たねばなりません」という箇所を、蓮見和男先生は「さばきの座の前に現れ」(「コリント人への第二の手紙」、新教出版社、1998)と訳している。
 そう、私たちは、ただ「私の真実の救い主イエス・キリストのもの」とされていることへの感謝のみをもって、主の前に「現れ」ることをこそ、許されてある、と知る。

余滴(2013年11月10日)

終末節の黙想
「今や、恵みの時、今こそ、救いの日」
(コリントの信徒への手紙 ( 2 ) 6 章 2 節)
 「終末節」という時節を、教会はどう歩めばよいのか。アドヴェントの準備の時としてか?
 クリスマスカードの数を確認し、ツリーのオーナメントの状況を確かめ、クランツやリースを必要な個数つくり、キャンドルを注文する。
 「アドヴェント」は悔い改めの時。典礼色は「紫」を掲げる時だから、その前に、やがて到来するクリスマスの“お楽しみ”を注文しておく…。
 実際、私たちは「ハローウィン」が終わったとたんに街中のデコレーションがクリスマスに変わるのを知っている。そして、“でも、その前に「終末節」と「収穫感謝祭」があるのですが…”、と言うつぶやきはかき消されてしまう。“「終末節」は、「王であるキリスト」がおいでになるのを待つ時節で、…”、という主張は、誰の耳にも届かないかのよう。
 そのような現実の中で、私たちは『ローズンゲン2013』が、終末前々週の“週の聖句”として掲げる「今や、恵みの時、今こそ、救いの日」(コリントの信徒への手紙 ( 2 ) 6 章 2 節)と出会う。
 パウロの福音宣教の歩みは、苦難の中にあった。
 それでもパウロは、コリントの教会に、「今や、恵みの時、今こそ、救いの日」と書き記す。彼の周囲の状況は、困難に満ちている。パウロは、「大いなる忍耐をもって、苦難、欠乏、行き詰まり、鞭打ち、監禁、暴動、労苦、不眠、飢餓においても」(同4-5節)使徒としての働きに立とうとしている。彼は「大いなる忍耐」を強いられている。
 彼は、“淫祠邪教に身を落とした”、とかつての学窓(彼はガマリエルの門下<使徒22:3>)から言われ、“テント作りでローマの市民にまでなったお父さんの偉業に泥を塗っている”、とギルド(「同業者組合」。ローマ帝国内の諸都市において影響力を持っていた)から非難され、親類、同胞から不審の目をもって見られていても、彼は「今や」、「今こそ」が恵みの時、救いの日なのだ、と語る。とても、そうとは思えない時に。
 “とても、そうとは思えない時に”、キリストは来られる。パウロは、「視よ、今は恵のとき、視よ、今は救の日」(文語訳)と言う。この困窮と涙の時でしかない“このとき”こそが、「視よ」と呼びかけられる恵みのときなのだと(ギリシア語本文には、“見よ”という字が2度、書かれている)。苦労にしか目が行かない時に、だからこそ「視よ」との呼びかけを確かに聞いて、主の来られる救いの時を、見つめて行きたい。そう、パウロにならって。

余滴(2013年10月13日)

「すると鎖が彼の手から外れ落ちた」
(使徒言行録12章7節)
 ペトロは獄(ひとや)にあって眠る。彼のために、主の天使が来て、「彼の脇をたたき、覚(さま)」(使徒言行録12:7<文語訳>)さなければならない眠り。新共同訳は、「わき腹をつついて起こし」と訳しているが、永井直治は、「脇を拊(たた)きて」と訳す。
 「拊(ふ)」という字を引くと、「やさしくなでる」と「激しく打つ」の両義がでる(「字通」)。「拊背(ふはい)」とは肩をなでること。また、「拊髀(ふひ)」とは腿(もも)をうつさま。そこから、激しく喜ぶこと、あるいは憤ること。
 つまり天使はペトロを「拊背(ふはい)」するかのように、肩を優しく「拊(なで)」たのかもしれないし、ペトロを、脇から「拊髀(ふひ)」するかのように、激しく「拊(たた)」いたのかもしれない。
 彼は深い眠りに中にいる。もっとも、彼には、深く寝入った記憶がない。本来、決して安眠できない場所。両脇の兵士の皮の武具のにおい、鎧の小札(こざね)が擦れ合う音が、ペトロの神経を逆なでて、彼は寝つくことができない。しかし、ペトロは眠りに入る。疲労と緊張の中で。
 この、安らかな、深い眠りは、神から来る。アダムの眠り(創世記2章21節以下)。ヨセフの眠り(マタイによる福音書1章20節以下)。これは、主の天使の到来によってもたらされる眠り。
 この時ペトロは、ただ天使が「疾(と)く起きよ」(文語訳)と言うので、立とうする。すると、「鎖が彼の手から外れて落ち」る。この時、彼の身を拘束していた、彼の行動を制約していた、“鎖”が落ちる。以降、ペトロは“鎖”が外れて落ちた人になる。その行動は、「幻を見ている」人のようで(9節)、ついには、「ほかの所へ行」かされてしまう(17節)。そう、ペトロは制約を解かれる。自分では、本人の努力だけでは、決して解くことのできない“鎖”を、天使によって解いてもらった人になる。
 この時ペトロは、自由にされる。彼を縛っていた“鎖”から。律法から、自由にされる。そして、コルネリウスの所で経験したことを、語って行く者にされる。「主イエス・キリストを信じるようになったわたしたちに与えてくださったのと同じ賜物を」、神は、すべての人に与えたいと望んでおられるのだ、ということの証し人にされる(11章17節)。そしてこの時、遠くローマで殉教するに至る途(みち)を、踏み出す自由を、“鎖”を外し落としていただいて、ペトロは得る。「ほかの所」へと歩み出しつつ。

余滴(2013年10月6日)

「心に広い道を見ている」
(詩84篇6節)
 10月5日のテゼの日課から。
 84篇の詩人は、自分の歩いてきた途(みち)のりの、困難であったことを思い出す。それでも詩人は、「主の庭を慕って」(3節)、歩み続けて来た。
 この歩みは、聖地への、神殿への、「巡礼」という、実際の「旅」であったのかもしれない。しかしそれ以上に、詩篇の詩人は、地上での歩み、人生そのものこそが、「主の庭を慕」う旅なのだと知っている。
 詩人は、地上を歩む時の困難さの只中でこそ、「いかに幸いなことでしょう。あなたによって勇気を出し、心に広い道を見ている人は」(6節)と祈ることができる、と私に教える。
 困難の窮(きわ)みにあるからこそ、依り頼むべき「力は汝(なんじ)にあり」(「あなたによって勇気を出し」の文語訳)と、はっきりと告白することができるのだ、と詩人は、私に告げる。「嘆きの谷を通るときも、そこを泉とするでしょう」(7節)と、詠(うた)う交わりに加わりなさい、と詩人は私を誘(いざな)う。
 人生の歩みの中で、「嘆きの谷」を歩む時は、苦い、悲しみに満ちた時。そこはあくまでも「涙の谷」(文語訳)。人は、「嘆きの谷」を喜びの場所とは思えない。私は、「涙の谷」を心あたたまる所とは思わない。
 しかし、その「嘆きの谷」を、「其處(そこ)をおほくの泉ある處(ところ)となす」(「そこを泉とするでしょう」の文語訳)としてくださる方が、あなたの、私の「力」の源泉(みなもと)なのだ、と詩人はいう。
 そして、昨日までの、今、この時までの、常に過去になる歩みを振り返り続ける生き方ではなく、「キリストもあなたがたのために苦しみを受け、その足跡に続くようにと、模範を残されたからです」(ペトロの手紙(1)2章21節)との御言葉に確信を持って立つ生き方へ、「心に広い道を見ている」生き方、「その心シオンの大路にあるもの」としての「福(さいは)ひ」(5節の文語訳)な生き方へ、さあ今こそ、と詩人は私に手をさし伸ばす。

余滴(2013年3月17日)

四旬節黙想
(2013/3/17)
「今、着いたところだ」
(ヨシュア記5章14節)

エリコの城壁は、放浪のイスラエルの民の前に、その堅固な威容をもって立ちはだかっている。「カナン人の王たちは皆、主がイスラエルの人々のためにヨルダン川の水を涸らして、彼らを渡らせたと聞いて、心が挫け、もはや… 立ち向かおうとする者はいなかった」(ヨシュア記5:1)という記述とは裏腹に、エリコの城壁は、堅固さを誇ってイスラエルを寄せ付けない。
堅城エリコを前にして、むしろ、ヨシュアの心が「挫け」そう。彼は、自分たちの無力さを覚えて目を伏せる。
そのヨシュアと威容を誇るエリコとの間に、一人の男が立つ。ヨシュアが 「目を上げて、見ると、前方に抜き身の剣を手にした一人の男がこちらに向かって立っていた」(同5:13)。
この「一人の男」はヨシュアと対峙する。ヨシュアとエリコの間に立って、ヨシュアの方を向いて剣を抜いている。ヨシュアは、「目を上げて、見る」まで、彼の存在に気づかない。ヨシュアは、エリコ攻略の糸口を求めて深い思索の中に沈んでいたから。目を伏せ、思いを巡らし、足下を見つめていたから。
しかし、この一人の男は、ヨシュアの前に立っている。ヨシュアが目を上げるのを待って、立っている。
「目を上げる」、とは、己の思考に頼ることを放擲して、主なる神に信頼する者のこと。「目を上げる」、とは、「あなたの上に目を注ぎ、勧めを与えよう」(詩32:8)と言ってくださる神を、信頼しきって見上げる者のこと。
その信仰をヨシュアが心の内に取り戻した時、自分が何かをなすのでは なくして、主なる神がしてくださるのだ、との思いにヨシュアが得心した時、彼は「目を上げ」そして「見る」。主が既に備えてくださっている救いを。そしてヨシュアは、怖じけることなく彼に「歩み寄」る。
マグダラのマリアが、園丁だと思っていた男こそがキリストだと気づいた時、その足下に「すがりつく」ように(ヨハネによる福音者20章16-17節)。あるいは、ヘブル書が「信頼しきって、真心から神に近づこうではありませんか」(ヘブライ人への手紙10章22節)と言う時のように、ヨシュアは「歩み寄」る。
そして、男に問いかける(13節)。それに対して、この一人の男は、「わたしは主の軍の将軍である、今、着いたところだ」(14節)と答える。
「今、着いたところだ」。そう、救いは今、到来した。「今日、… あなたがたのために救い主がお生まれになった」(ルカによる福音書2章11節)との宣言と同じように、「目を上げ」神にのみより頼む信仰を生きようとするヨシュアに、神は、「今」、救いは到来したと言ってくださる。十字架のみを「見上げる」者には、誰にでも、「今」この時に。

余滴(2013年3月10日)

四旬節黙想
(2013/3/10)
「憐れに思い」
(ルカ福音書15:20)

キリストは、15章の3つの喩えの最後に「放蕩息子の帰還」を語られる。
帰って来るであろう息子を、一日千秋の思いで待っている父は、自分の時間が無情に流れて行くのを思う。あの子は、私が生きている内に帰って来ることができるだろうか。
実は、キリストがこの「物語り」を語るのを聞いている人たちは、父が生きている内に帰って来られなかった古い「物語り」を知っている(創世記27章以下のヤコブの物語り)。
だから聴き手は、父の存命中に戻れることの喜びを共有できる。父の喜びに共感できる。「孝行のしたい時に親は無し。さればとて石に布団は着せられぬ」とは江戸時代の「心学」の言葉だが(ちなみに、「石」とは墓石のこと)、最後の時に間に合う、この滑り込みセーフのような息子の幸運を、私たちも知っている。それ故キリストは、ではあなたは、いつ神の求める生き方へと立ち帰るのだ、と今日、私に問われる。十字架への歩みの途上で、はっきりと、私に向かって振り返られて。

余滴(2013年2月24日)

余yoteki滴
四旬節黙想

「境内で子供たちまで叫んで」
( マタイによる福音書 21 章 15 節 )

2月20日(水)の教団日課。この日、聴くべく示されていたのはマタイによる福音書21章12節以下の「宮きよめ」の箇所。マタイ福音書は子ロバに乗られた主のエルサレム入城の記事に続けて、「それから、イエスは神殿の境内に入り」(21章12節)と記す。神が祝福され続けておられる都に来られた主は、ただちに神殿の「境内」へと歩み行かれる。
そして、ここで行われる出来事は不可解。第一福音書は、「境内では目の見えない人や足の不自由な人たちがそばによって来た」(14節)と伝える。さらに、「境内で子供たちまで叫んで」(15節)とも言う。今や、神殿の「境内」は、そもそも入ることがゆるされなかった人々で、そして、数に入らない子供たちで、満ちているのだ、と福音書は言う。律法がイスラエル共同体の構成員とは認めない、「目の見えない人や足の不自由な人」や、年齢的に一人前と数えられない「子供たち」が、イエスをメシアであると「ダビデの子」である、と宣言する。
ちょうど、降誕の出来事の時に、東方の占星術の学者たちが(つまり異邦人が)、「ユダヤの王としてお生まれになった方は、どこにおられますか」(2章2節)と言い、「民の祭司長たちや律法学者たち」(2章4節)に先んじたように、今また、「目の見えない人や足の不自由な人」や「子供たち」が「祭司長たちや、律法学者たち」(15節)よりも早く、明瞭に、端的に、イエスをメシアであると宣言する。「ダビデの子にホサナ」(21章15節)と。「境内」において、神の御前において、権威と周辺はその立地が転じる。そう、それが、「主が来られる」、ということ。
降誕に続く「幼な子殉教者」の出来事に示されている「子供たち」と共に、ここで、「ダビデの子にホサナ」と叫ぶ「子供たち」は、今や、虐げられ、闇に追いやられ、迫害され、殉教させられた者が、その無垢さ、純真さのゆえに辺地から神殿の「境内」という中心へと迎え入れられる。律法学者たちが「腹を立て」(21章15節)る中に、イエスと共に、「ホサナ」と叫ぶ喜びの内に。

余滴(2009年4月26日)

余 yoteki 滴(Y-09-09)

「寝ている間に死体を盗んで行った」
(マタイによる福音書28章13節)

マタイによる福音書だけが伝える復活の記事に、「番兵たちの物語り」とでも呼ぶべき話しがある。 「番兵」とは、墓からイエスの死体を弟子たちが盗み出すであろう、という祭司長たちやファリサイ 派の人々、或いは民の長老たち、などの懸念から、イエスの墓の前に置かれた「見張り」。つまり、 彼ら「番兵」の任務は、外から、墓の外から墓の中を物色するであろう者たちから墓を守ること。墓 への侵入をゆるさなこと。
ところが、実際には、墓は中から、墓の内側から破られてしまう。確かにマタイは「主の天使が天か ら降って近寄り、石をわきへ転がし、その上に座った」と記している(28章2節)。しかし実際には 、このとき既に主イエス・キリストのお姿は墓の内にはない。主のご復活という出来事が、どの時点 で、どのようなタイミングで、どのように起こったのかは、私たちには判らない。聖書を記した福音 史家たちも知らない。マタイも慎重にこう書く。天使の言葉として。「イエスを捜しているのだろう が、あの方は、ここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ」(28章5-6節 )。復活とは、私たちは起こった出来事としてのみ知る。どのようになされ、どのような過程を踏む のか、ということを私たちが知ることは決してない。
ところで、祭司長、ファリサイ派、民の長老という面々は、復活などないわけだから、弟子たちが死 体を、まさに墓の外からやって来て盗み出して行くだろう、と考えて、外に「番兵」を置く。しかし 、この行為が実に無意味である、ということを、私たちは知る。「復活」とは、墓石の外側で「見張 り」をすることによって阻止しうるものではない。「復活」とは、実に、墓の内側で、墓の中から、 死そのものの勝利が取り去られる、ということとして、キリストの死への完全な勝利として、起こる 。
この「復活」という事実に直面したということにおいては、墓に向かった女性の弟子たちと「番兵」 たちとは一緒。しかし、「復活」の証人となったにもかかわらず、女性の弟子たちと「番兵」たちと の行く道は全く別。その人生の選択は3反対。それはなぜか。 女性の弟子たちは、「あの方は死者の中から復活された」(マタイ28章7節)との天使の言葉を、伝 えるために走る者、とされた。福音の良き香りを伝える者の足は速い。同時に、「番兵」たちもまた 、この真理を伝える者とされた。女性たちよりも早く祭司長たちのもとへと。都エルサレムへと。し かし彼らは福音の良き香りを伝える者とはならない。彼らは祭司長たち、民の長老たちと一つの取引 をする。「寝ている間に死体を盗んで行った」ことにしようと(28章13節)。自分たちの、「見張り」 としての任務の責任の放棄を、彼らは人によって赦され得るものと考えている。
しかし、女性の弟子たちは、そしてまた、女性の弟子たちによって「復活」という真理を伝えられた 男の弟子たちとは、自分たちの「放棄」は、神によってのみ赦される、と知っている。だから、女性 の、また男の弟子たちは、「復活」という事実を知った者としての生き方へと走り出して行く。この 事を伝えるために。今日に至るまで、女も男も次々と。

余滴(2009年4月12日)

余 yoteki 滴(Y-09-08)

あの方は、ここにはおられない」
(ルカによる福音書24章6節)

「週の初めの日の明け方早く」(ルカによる福音書24:1)と福音書記者は記す。イエスの葬りのための諸作業が、未完であることを知っている「婦人たち」(23:56)は、「準備しておいた香料を持って墓に行った」(24:1)。
「香料と香油」は、イエスの遺体がアリマタヤのヨセフが用意した墓に納められるのを見た彼女たちが「家に帰って…準備した」もの。夕暮れは迫り、安息日は始まろうとしている。だから、彼女たちは「家」にあるもので「準備」しなければならなかった。そして、「香料と香油」とは当時、女性の財産。彼女たちの人生の保障。彼女たちは、今、自分のために「準備して」来たものを、手に取る。
さて、安息日が明けるや否や、春の夜明けを待ちわびて墓へと向かう。ルカは記さないが、彼女たちは「だれが墓の入り口からあの石をころがしてくれるでしょうか」と話し合っている(マルコ福音書16章3節)。そう、ここには何の「準備」もない。
「準備」とは備え。「金持ち」は、「倉を壊して、もっと大きいのを建て、そこに穀物や財産をみなしまい」、そして自分に言う。『さあ、これから先何年も生きて行くだけの蓄えができたぞ。ひと休みして、食べたり飲んだりして楽しめ』と。しかしその「金持ち」に神はこう言われるだろうと、キリストは譬えの中で教えられる。『愚かな者よ、今夜、お前の命は取り上げられる。お前が用意した物は、いったいだれのものになるのか』と(ルカによる福音書12章13節以下参照)。蓄えとして「用意した」物。これからの生活を支える物。熱心な働き充分な計画、周到な市場予測に従って「準備した」彼の物は、しかし、彼の物とはならない。
女性たちは、自分の将来のため、或いは娘の嫁入りのため、「用意していた」香料と香油を、いまやイエス・キリストのために用いる。そのために整え直す。将来の計画、これからの安心、人生の設計というものが微塵となって砕かれる。イエスが亡くなったのだから。そう、「その時」、人は、自分のために「用意した」ものを差し出す。
いや、人は、「この時」、本当に、自分の将来を保障する「香料と香油」を差し出すことが、できるだろうか。ルカによる福音書12章の「金持ち」は、それはできない、ということを私たちに示す。私にはできない。イエスが亡くなったのだから。私はこの「物」に頼って生活するしかないのだから。そう、私は叫ぶ。
しかし、その時、だからこそ、彼女たちの物語りは私たちにもう一つの、弟子としての、信仰者としてのあり方を示す。「準備しておいた」ものを、主のためにのみ用いる。留まらずに、石のことを思いあぐねずに、「墓」へと歩みだす。主のもとへと。復活の主のもとへと。新しい、本当のいのちの物語りの、目撃者となるために。復活の朝に。主に向かって駆け出していく信仰の物語りへと歩み出す。

余滴(2009年3月29日)

余 yoteki 滴(Y-09-07)

『「150年」断想』(その4)

「根岸外国人墓地」

(JR京浜東北線(根岸線)「山手駅」より「豆口台」方面に徒歩3分)

(「教区青年の集い」墓参箇所 2 )

ヨーロッパでは,教会と墓所とは,密接な関係がありました。かつて,人々は自分が生まれ,洗礼を受けた,自分の村の教会の墓所(churchyard)に葬られました。ところが,都市の発達と共に,人は,その出身地から切り離された都会の「共同墓地」(cemetery)に埋葬されることが多くなったのでした。

幕末から,日本の開港地を訪れ,そこで亡くなる遠来の人々のために,居留地は,仏教宗門とは無関係な共同墓地の必要に迫られました。そして,現在,

横浜山手外国人墓地」として知られるような,共同墓地が造営されることになったのでした( – 「横浜山手外国人墓地」は,一部,山手聖公会の教会墓所(churchyard)としての性格も兼ね備えていました – )。そして,日本の開国,近代化,という歴史のうねりの中で,開港諸都市の共同墓地は,その都市の歴史,文化,社会史的役割というものを反映したその都市固有の観光地となって行くのです。

横浜の観光スポットとしては,「山手外国人墓地」が,確かに有名です。ですが,それ以外にも,幾つかの“外国人墓地”が,横浜にはあります。中でも,「根岸外国人墓地」は,「根岸」という名称が付いていますが,所在地は,「根岸」駅より一つ横浜寄りの「山手」駅付近です。観光客が訪れることもありませんが,地元でも知らない人が多い小さな共同墓地です。名称の由来は,この地が元来,“根岸村字仲尾”という地名だった,からですが,それにしても,ちょっと混乱してしまいそうです( – ちなみに,地元の仲尾台中学が毎年,墓前祭を行っています – )。

「根岸外国人墓地」には,関東大震災で罹災した外国人,特にその子供たちの墓が何基かあります。ご両親の墓が見当たりませんから,或いは,小さな子ども達だけが地震の被害にあい,その後,ご両親は帰国されたのかも知れません。関東大震災という未曾有な災害に遭遇することがなければ,家族揃って国へと帰って行ったのかも知れないのに,と思うと,小さなお墓が,少し悲しげに見えてきます。また,1942年11月に,戦時下の横浜港で爆発炎上したドイツのタンカーと仮装巡洋艦( – 貨客船等を軍が徴用し武装させた船 – )の乗組員の慰霊碑が建っています。

年月と共に摩滅したり倒壊したりした多くの墓石の傍らで,ひっそりと,木立だけが,訪れる人も絶えた,異国で葬られた孤独な魂を見つめ,魂たちを慰めています。

(日本キリスト教団長生教会週報2005.10.2.)

余滴(2009年3月22日)

余 yoteki 滴(Y-09-06)
『「150年」断想』(その3)

「菫学院墓所」

(「根岸森林公園」正面駐車場より徒歩25分。「大芝台」の「根岸共同墓地」内)

(「教区青年の集い」墓参箇所 1 )

1872/3(明治5/6)年,プティジャン司教の招致によって来日したサン・モール修道会( – 幼いイエス会 – )は,横浜山手居留地83番に土地を取得し,メール・マティルド以下4名の修道女で「横浜修道院」,また,「仁慈堂」と名づけられた孤児院を開設しました( – 『横浜もののはじめ考』,横浜開港資料館,発行,は,この時のサン・モール修道会の修道女の数を5名としているが,小河織布,著,『メール・マティルド』,有隣新書の記述にしたがって,その数は4人であったと確認しておく – )。

「仁慈堂」の意味について,スール・サン・ノルベル・レヴェックが,パリの総長にあてた手紙には次のように書かれているという。

「仁慈」には,「憐み,同情,温情,慈善,慈悲などの意味があります」(小河,『メール・マティルド』,p.86)。

幕末に開港地となった横浜で,「孤児」,「窮民」のための施設が,キリスト教会の中から始められた意味は大きい。「菫学院」( – あるいは,「菫学校」 – )は,「仁慈堂」の子女のための教育機関として設置されたが,1923(大正12)年の関東大震災で壊滅的な打撃を受け,以降,「菫学院」及び「仁慈堂」は,東京に同会が設置していた同種の社会事業施設へと統合されて行くことになる。掲載した「仁慈堂菫学院死者之墓」には,「明治十六年六月以後死去 昭和六年一月建之」の文字があり,或る時期,「仁慈堂」あるいは「菫学院」の,先駆的な働きを覚えようとする思いが深くあったのだろう,ということを思わさせられるのである。

ところで,私がこの墓と出会ったのは,偶然であった。そのことを長く記す余地はないが,私は,呼ばれるようにしてこの墓の前に立っていたことがある。

この墓地一帯を横浜のカトリック教会が入手したのは戦前の或る時期であろうと思われ,現在も末吉町カトリック教会の墓所,末吉町教会と山手教会の関係者の墓地があり,戦前,「陸軍兵長」として戦死をしたカトリック信者軍人の「烈忠碑」なども建つ。

私が迷い込んだ20世紀の末には,多くの墓地が縁故者不明になっていた。そして私は,暮れかけた古い墓苑で,足元にある「菫学院」の墓を見ていた。墓には,枯れた花が一輪,残されたままになっていた。開港地ヨコハマが背負って来た孤児たちの記憶。「無縁」になって,訪れる人の絶えた家族墓。十字架の墓石のもと,霊名を記した墓誌に,もはや続く者がいない。慄然とする私に,私とは “無縁” のはずのそれらの墓たちは,親しかった。大丈夫,この世で「無縁」になることは,縁故者がいなくなることは,決して悲しいことではないから。大丈夫,私たちはあなたを待っているから。大丈夫,さあ,あなたの場所に帰りなさい。私は,「菫学院」の墓前で,古い墓たちに励まされ,「また,きっと来ます」と約束をして,やみくもに歩いて来た道を,猫たちに先導されながら帰ったのだった。       (初出:日本キリスト教団長生教会週報2005.10.30.)

*本稿は,2/27?の教区青年委員会主催,「青年の集い」での発題を基に,自由に書き直しています。

*「菫学院墓所」は,この「教区青年の集い」でも墓参し,墓前での礼拝を守りました。

*この項は,2005年10月30日の長生教会週報に記載したものを加筆訂正しています。

余滴(2009年3月15日)

余 yoteki 滴(Y-09-05)
『「150年」断想』(その2)
「神に希望をかけています」
(2コリント1:10)

150年前(1859年)以降,横浜に来た宣教師たちは,インド,中国,朝鮮半島での伝道活動に基づいて,医療と結びついた宣教は有効であると考えていました。そこで,医療伝道者として,横浜にはドクター・ヘボンがアメリカ長老教会から,また琉球には英国国教会のベッテルハイム医師が派遣されました。しかし江戸幕府の鎖国体制下であっても,漢方医,蘭医の医療水準は相応に高いものでしたから,( – もちろんヘボンさんの施療所は流行りましたし,ずいぶん多くの医師がヘボンさんに弟子入りして新しい医療を学んでいます。でも, – )他のアジア諸地域のようにそれがダイレクトに福音宣教の成果とはなりませんでした。

余談ですが,伊勢原における最初の「洋医」である江口次郎人は,鶴岡の人ですが,横浜で西洋医学を学び,伊勢原で,婿入りした江口家を継ぎ「眼科医」を開業しています。横浜のどこで西洋医学を学んだかはつまびらかではありませんが,ドクター・ヘボンの眼科治療薬は爆発的な人気だったようですし,クリスチャンとして,また社会事業家として伊勢原で活動しているところから考えれば,彼とドクター・ヘボンとの間に何らかの関わりがあったと考えてもいいように思えるのです( – 江口次郎人は,伊勢原美普教会に転入しています。洗礼は,横浜で受けた,と考えるのが順当のように思われます。- )。

ところで,1858年に各国と締結された「和親条約」は,居留地内での居留民の信仰生活を保障したものに過ぎず,キリシタンと日蓮宗不受不施派とを禁令とする高札はまだ有効でした。ですから,プロテスタント各派もカトリックも,居留地内の教会として,まず存在しました。

一般の人たちへの布教活動はまだ事実上不可能でした。しかし,そのような中で,1865年3月17日に長崎の大浦天主堂で,一つの「事件」が起こります。この日,プチジャン神父は,200数十年前にカトリック教会が残していったキリシタンの末裔たちと出会います。「マリアさまの御像はどこですか」、と訪ねる浦上の隠れキリシタンたちは,伝えられていた「天使祝詞」を祈り,自分たちがキリシタンであることを言い表したのでした( – 日本のカトリック教会は,この日を「長崎の信徒発見記念日」として祝い,覚えています – )。

このことは,後に「浦上四番崩れ」と呼ばれるキリシタン弾圧事件に発展しますが,多くの殉教者を出すと共に,その血によってキリシタン禁令の高札は撤廃されるのです。

さて,そのような中,新開港地である横浜では,2つの働きが始まっていきます。一つは宣教師たちによる「英語学校」の開始です。またもう一つは,孤児院です。開港地横浜には,多くの混血児たちが誕生し,多くが非常に困難な状況に置かれていました。横浜では,プロテスタント教会の働きとして,「アメリカン・ミッション・ホーム」が,またカトリックの働きとして「仁慈堂」もしくは「菫学院」が,それぞれ混血児の養育,教育活動を行っていくのです。

初期の横浜は混沌とした新興地でした。一旗上げようとアジアを遍歴してYokohamaに来る商人,船員,技術者。関東一円のあきんどたち。さらに攘夷派。ローニン,警護の諸大名の家来たち。国籍も人種も(英国,米国,仏蘭西,独逸,和蘭,露西亜,中国,等などと)多様で,「鎖国」の間,体験したことがなかった混乱と喧騒と山っ気と商売熱心さと,そして多くの挫折と悲しみがあったはずです。

混乱と困窮の只中にあるだけに,「神に希望をかけています」(2コリント1:10)とのパウロの言葉は,福音宣教者たちの,唯一のよりどころだったと思うのです。

*本稿は,2/27(金)の教区青年委員会主催,「青 年の集い」での発題を基に,自由に書き直しています。
*横浜は,この「悲しみ」を歴史において繰り返していきます。戦後には,澤田美喜と「エリザベスサンダースホーム」の重要な働きがありました。
*アメリカン・ミッション・ホームは後の横浜共立学園,また「仁慈堂」或いは「菫学院」は横浜雙葉学園のそれぞれ源流となっていきます。

余滴(2009年3月8日)

余 yoteki 滴(Y-09-04)
『「150年」断想』(その1)
「大きな門が開かれている」
(コリント(1)16:9)

150年前(1859年),横浜や長崎に来た宣教師たちは,決して偶然に来たわけではありません。彼らは,周到に用意された(はずの)宣教計画の中で日本を目指したのです。
『英国教会伝道協会の歴史』(ユージン・ストック,編,聖公会出版,2003)は,そのことを1899年の,それも英国側の証言として次のように伝えています。
「中国が福音に対して門戸を開くきっかけとなった戦争に参加していたイギリス海軍の士官の何人かが、キリスト教徒としての愛をもっと東にある神秘的な帝国に及ぼしていた。日本には直接に近づくことができなかったので、彼らは琉球の島々のことを考えた。…1843年、彼らはCMS(英国教会伝道協会)に対して琉球に送る人を求めた」(p.14)。
この,彼らの熱意とポンド立ての強力な資金が,ベッテルハイムを琉球へと赴かせるのです。つまり,アジアにおけるヨーロッパ列強の砲艦外交は,領土利権,軍事利権,経済利権などと共に,アジア伝道という機運も含有するものなのです。
そして,1858年に徳川幕府が各国と結ぶ「和親条約」において(翌年発効),各国は,居留地内での自国宗教の礼拝が認められましたから,宣教師たちはとうとう,「神秘的な帝国」での拠点を確保したのでした。
ですから,1859年,「宣教150年」とは,始まりの年ではなくして,19世紀列強が,一つの結果を「神秘的な帝国」に対して出した,「終わりの年」,一つの終わりによって告げられた新しい始まりの年なのです。
パウロは,コリントの信徒への手紙(1)の結び近く,マケドニアを経由し6コリントに至るという旅の計画を述べる中で,エフェソに滞在する理由を,「大きな門が開かれているだけでなく,反対者もたくさんいるからです」と述べています( 16 : 9 )。福音宣教者が熱心の上にも熱心であるとき,反対者もまた大きな勢力となって出現してきます。パウロがエフェソに感じていた思いは,19世紀の横浜で,宣教師たちが抱く思いでもあったと思うのです。つまり,福音は力強い反対を受ける時にこそ,実に真理としての輝きを増すのだと,宣教師たちの働きは私たちに教えているのです。

*本稿は,2/27(金)の教区青年委員会主催,「青年の集い」での発題を基に,自由に書き直しています。

*1899年はCMS創立100周年でした。

余滴(2009年2月15日)

「教会暦・行事暦から」(C-09-02)
灰の水曜日 – 2月25日(移動祝日) –
「富は,天に積みなさい」
(マタイによる福音書 6 章 20 節)

「灰の水曜日」(大斎始日)から,四旬節(「レント」,「受難節」,「大斎節」)です。「四旬節」とは,その期間の及ぶ範囲(主日を除く40日間)のことを,「受難節」とは,主のご受難を覚える,と言うことを中心的に考える言い方です。また,「大斎節」とは,主のご受難を覚える私たちの態度です。この3つの要素を併せ持つ時として,「レント」を覚え,守りたいと思います。
歴史的には,4世紀以降,洗礼志願者が過ごす最後の準備の時節としての,復活祭前の「40日間」(クワドラゲシマ)がその起源です。ですが,成人の洗礼者が皆無となった中世以降,特に「大罪」を犯して教会共同体の聖餐の交わりを絶たれた人たちが,悔い改めて教会に復帰するための悔悛の期間ともなりました。
「40」という数字(日数,年数)は,聖書の中では,象徴的な数字(日数,年数)として表れます。ノアの洪水(創世記7:4以下)は,40日間続きますし,モーセはシナイ山に40日間留まります(出エジプト24:18,34:28)。他にも,出エジプトの民の荒野での期間は,40年間(ヨシュア5:6)ですし,エリヤはホレブ山に40日間かけて登ります(列王記(上)19:8)。新約では,イエスさまは40日40夜荒野で誘惑をお受けになります(マルコ1:13)。
これらの記事から,「40」は,その期間の時間的な長さではなく,その数字のうちに含有される精神的長さ(内容)を指し示している,と考えられてきました。
「灰の水曜日」には,その前の年の「棕櫚の主日(枝の主日)」に用いた棕櫚の枝を焼いた灰を用いて,額に十字のしるしをつけ,悔い改めと主のご受難に思いを馳せる40日をはじめます(ですから「大斎始日」とも言います)。そして,すべてをご存知の主に,悔い改めた心をもって仕え,主の十字架を仰ぎ見る力を与えていただくように祈ります。
2009年の教団「特定行事の聖書日課」は,この日のための聖句として,マタイによる福音書 6 章 16 – 21 節を示しています。イエスさまは,断食について教えられる時,それは,「隠れたところにおられるあなたの父に見ていただきため」(18節)と教えておられます。そして,そのように御父に祈り,御言葉のうちに留まることこそが,“富を天に積む”ということなのだと示されるのです。「富は,天に積みなさい」(20節)と言われる主の御言葉に留まり,主の十字架を思いつつ,この時節を歩みましょう。

余滴(2009年2月8日)

「ふさわしくないままで」
(コリントの信徒への手紙(1)11章27節)


聖餐式の際に,私たちは,使徒パウロによって,「ふさわしくないままで主のパンを食べたり,その杯を飲んだりする者は,主の体と血に対して罪を犯すことになります」(コリント(1)11:27)と教えられ,その,主なるお方については,『「キリスト・イエスは,罪人を救うために世に来られた」,という言葉は真実であり,そのまま受け入れるに値します』(テモテへの手紙(1)1章15節)と示される。「ふさわしくないままで」あり続けるしかない私たちには,それ故,聖餐に預かる前に懺悔と悔い改めとが求められる。だから私たちは,「ふさわしくないままで」,そのままで,神の前に立つことがゆるされていることに驚きつつ,胸を打ちながら悔い改める。そして,ゆるされた者として,和解のパンだねになるために主の食卓に連なる者とされる。
☆★
105年前の伊勢原において,メソヂスト・プロテスタント教会の宣教師たちや教役者たちは,この地に教会を立てることを願った時に,自分たちがそのことに“ふさわしい”とか,教会こそがこの地に“ふさわしい”とか思っていたわけでは決っしてない。むしろ,自分たちの“わざ”が,本当に神の御旨であるのか,祈り続け,神に問い続けていたと思う。それでも日本への伝道を続けて行こうとするのは,「ふさわしくないままで」救いの只中にいる,というこの喜びを伝えようと願ったからだし,そのことは聖餐の恵みを通してしか伝えられないと知っていたからだといってよい。メソヂスト・プロテスタント教会の「式文」である『日本美普教會禮文』に収められている「晩?式」はごく短い。だが,聖餐に向き合う真摯で敬虔な信仰が表出している。
☆★☆
美普教会は大きな教派ではない。日本各地への伝道においても先駆的というわけでもない。むしろ,幕末に,開国以前の日本に,熱い視線を送り,信仰を伝えようとした諸教派に比べれば,その海外宣教は後発的で地味なものだったといってもいい。
しかし,横浜に入港した宣教師たち,その後の日本人教役者たちによって,横浜第一美普教会(現在の横浜本牧教会),横浜第二,横浜第三(この二つは合同し,現在の蒔田教会),平塚美普(現・平塚),伊勢原美普(私たちの教会!),静岡美普(現・静岡草深),熱田美普(現・熱田),名古屋美普(現・中京),四日市美普(現・幸町)などの諸教会と,名古屋学院,横浜英和(横浜成美→横浜英和)などを残して行く。
☆★☆★
教会の歩みとは,人の歩みではない。教会の歩みとは,F.C.クラインから始まる宣教師たちが表敬される歩みではない。教会の歩みとは稲沼鋳代太牧師ら美普教会の教役者たちが顕彰される歩みではない。
教会の歩みとは,「ふさわしくないままで」主に捕らえられ,福音の内に入れられ,聖餐の恵みに与かる者とされた,その喜びを,市井に生きる信仰者として伝えて行く,そのことに尽きる。“キリストは,この私のために,世に来られた”,という言葉は真実であり,そのまま受け入れるに値します,との告白を生きる,こと。
「値します」と訳されている言葉は,本来は,天秤におもりを吊り下げること(玉川)。そこから,重要である,価値がある,という意味が出て,聖書の中では,「ふさわしい」とか「値する」というように用いられる。キリストは,罪人であるこの私を救うために,この私のために世に来られた。その言葉の真実の重みに自分を預けきる,ということが「値します」との聖句を己が言葉とするということ。そのことに人生を賭し続けてきた信仰の先達たちの歩みに,無名の一人として連なって行きたいと,それ故思う。

余滴(2009年2月1日)

「主よ,わたしたちにも祈りを教えてください」
(ルカによる福音書11章1節)

ある時,ペトロさんがイエスさまに,友達のためには何をしたらいいでしょうか,と尋ねました。ペトロさんは,きっとこんな風に考えていたのかもしれません。それは,「友達のために何をしたらいいですか」とイエスさまにお尋ねすると,イエスさまが,
泣いている友達と一緒に泣いてあげるといいよ,とか,
うれしそうにしている友達には,なにかいいことがあったの,と聞いてあげるといいよ,とか,
そういうイエスさまのお言葉を,思い描いていたのかも知れません。
でも,「友達のためには何をしたらいいでしょうか」というペトロさんの質問に,イエスさまは,こうお答えになりました。ちょっと難しいけれど,聖書に書いてある通りに言います。イエスさまは,こう教えられました。
「友のために自分の命を捨てること,これ以上に大きな愛はない」(ヨハネによる福音書15章13節)。
ペトロさんは,「えー,それは難しい」と思いました。だって,もっとイエスさまは,“こういう時にはこうしたらいいよ”,って教えてくださるものだと思っていましたから。「イエスさま,それって難しいと思うんですけれども」,ペトロさんはイエスさまに言いました。だって、“いのちを捨てる”なんてそんなことできませんし。
そうだね,ペトロ。その通りだ。でも,今日,この時間,外で遊ぼうとしているこの時間,自分で自由にできると思っているこの時間,自分のものだと思っているこの時間,この時間を,友達のために使ってみたら。そう,ペトロ。あなたがさっき思っていたように,悲しんでいる友達の隣りにいてあげること,一人ぼっちでいる友達と一緒にいてあげること,そういう風に自分の時間を使ってみたら。そしてその友達のために祈ってあげてみたら。
えー,でもお祈りと言われても,どうやって祈ったらしたらいいか,わかりません。
では,ひとつのお祈りを教えてあげる。
そうイエスさまはおっしゃって,お弟子さんたちに“主の祈り”を教えてくださいました。

天にまします我らの父よ,
ねがわくは み名を あがめさせたまえ。
み国を来たらせたまえ。
みこころの天になるごとく
地にもなさせたまえ。
我らの日用の糧を,今日も与えたまえ。
我らに罪をおかす者を
我らがゆるすごとく,
我らの罪をもゆるしたまえ。
我らをこころみにあわせず,
悪より救い出したまえ。
国とちからと栄えとは
限りなくなんじのものなればなり。アーメン。(1880年訳)

2月には“主の祈り”を覚えます。
もちろん,教会学校に通ってきているお友達はもう知っていると思います。私たちも,イエスさまから“主の祈り”を教わって,そしてお友達のために祈ってあげることのできる一人一人になりたいと思います。
(2009/01/28,幼稚園・会堂礼拝の説教から)

余滴(2008年1月18日)

「主における聖なる神殿」
( エフェソの信徒への手紙 2 : 21 )

今日( 1/17(土)),私たちはこの建物の棟上式を行おうとしています。今日まで,実に多くの方のお仕事が結集して,こういう形になりました。と同時に,私たちは,この仕事の内にキリストの恵みというものが働いている,ということを知るのです。
多くの時間を積み重ねて計画されて来た私たちの思いは,主の恵みを求めてのものでした。“ハコ”を作るということは,その“ハコ”に盛るべき精神というものを,はっきりと意識化しなければならない,ということです。では,キリスト者が住まう所には,どういう形で神の宮が顕されたらいいでしょうか。
聖句が掲げられる,祈りの部屋がある,ということでしょうか。もちろん,それらも大切です。しかし,それ以上に,この家が祈られて建てられた,ということが重要だと思うのです。
約3年にわたって私たちは,牧師館を持たない,という時間を過ごしてきました。これはとても意味のある時間であったと思うのです。
教会の歴史において言うのであれば,初代教会は旅する教会でした。使徒たちも,それに続く福音宣教者たちも,皆,旅をして福音を伝えて行きました。とどまり,祈り,そして再び旅立つ,それが福音宣教者の姿でした。今から150余年前,日本に来た宣教師たちも,旅する福音宣教者でした。もちろん,アメリカなどの海外から日本へという長い旅もありましたし,この日本の中でも,町から町へ,馬に乗り,船に乗り,福音を携えて行ったのです。
ここ伊勢原に福音を伝えたメソヂスト・プロテスタント教会(美普教会)の教役者,宣教師たちも,時に平塚から,東京から,わらじを履いて,馬車に乗ってキリストの恵みを伝えたのです。今年,私たちの教会は創立105周年を迎えます。今,私たちは100有余年前の伊勢原教会草創期の熱情を深く感じたいと思います。
多くの福音宣教者たちによって招かれ,御言葉の真理に聴いた古の,はじまりの時の,熱い思いに深く満たされたいと思います。105年目の始まりに,そのことを祈りましょう。そして福音宣教のために祈りましょう。そのために,ここに,牧師を迎え入れましょう。ここが神の宮であり,神のみが証しされる場所となるように祈り続けましょう。これからの全ての工程の安全と無事を祈りましょう。
やがて私たちの存在も歴史になります。だからこそ、100年前の福音宣教者と共に,正しい信仰をこの地に伝え続けていくために,今日,この時,心を新たにされていきたいと,私たちは願うのです。
(2009年1月17日,牧師館上棟式「奨励」から)

余滴(2008年1月4日)

あけましておめでとうございます
– 神の定めに従う生き方は喜び –
(詩119篇14節)
今年もよろしくお願いいたします。

昔,ファンダメンタルな会派が出している子ども向けのキリスト教説話集みたいな本が我が家にあって,私は時々それを読んでいた。
読む時というのは,たいてい,熱とか腹痛とかから始まって喘息をおこしてしまって,学校を休んでいる,というような午後だった。寒い季節
で,布団から手を出すのがいやで,本ごと掛け布団の中に入っていたりした。
その説話集の中に,お父さんが子どもたちに,「神さまがくださったものでみんなに公平にあるものは何か」と問う,という物語りがあった
( – ような気がするというべきか – )。子どもたちは,あれこれ答える( – お金だとか,食事だとか,勉強だとか – )。でもお父さんは,それらのどれにも「違う」,と言い,そして時計を見せる( – このシーンが,挿絵に描かれているのだが,その時計というのが,ベルが2つついた目覚まし時計だった。もっとも,というような気がするというべきか – )。そして,「24時間だ」と答える。誰に対しても等しく「一日は24時間だ」と答えるのだ。
子供心に,私はこの「平等主義」を,激しく嫌悪した。
その時にはうまく表現することができなかったけれども,「24時間」は同じでも,その内実には,歴然とした差がある,ということは,子供なりに感じていた。その時私が,布団の中で,天井に向かって語れたのは,“仮に「一日24時間が一緒」でも,その積み重ねである人生の長さは人それぞれなんじゃないの,だからこれはおかしいんじゃないかな”,という程度ではあった。
この世の価値で言えば,人生は平等ではない。才能も,体力も,環境も,皆,平等ではない。しかし,キリスト者として生きる,ということ
は,命の長さ,短さではない。ましてや,「24時間」の,( – バブル期の,「24時間働けますか」というC.M.が象徴していたような – )この世的な意味での充実を誇ること,でもない。「イエスは主である」と告白すると言うことは,キリストと共に歩むということに生活を賭して行く,ということ。このありのままの,私の,つまらないことで費やされていくこの「24時間」を,“主が用いてください”,と差し出して行く,ということ,なのだと思う。
翻って,私の「24時間」を思う時,私は,大いにあわてる。主に収穫していただくにふさわしい時間の過ごし方をしてこなかったと,つくづく思うから。それゆえ,「あなたの定めに従う道を喜びとしますように」(詩119:14)と詩篇の詩人が祈るのを聴く時,この2009年,主の道に歩み続けることのゆるされる毎日でありたいと,心から願うのである。

余滴(2008年1月11日)

「見失った一匹を見つけ出すまで」
(ルカによる福音書15:4)

今日( – 1/7,地区婦人研修会 – ),「顕現日の共同の祈り」で次のように祈った。「世界の王として来られた主よ,あなたのため,ヘロデによって殉教するおさなごは幸い。どうか主よ,今この時,なおも殺されるおさなご達を祝福の内においてください」,と。
クリスマスの記事には,「幼子殉教者(おさなごじゅんきょうしゃ)」という物語りを含んでいる。ヘロデは,「博士たちにだまされたと知って」(マタイ2:16),ベツレヘム周辺の「おさなご」たちを一人残らず殺す。「共同の祈り」では,そのこどもたちは幸い,と祈る。「殉教するおさなごは幸い」と。
今日も朝のニュースで,ガザをイスラエル軍が空爆している,ということが報道されていた。今日,ガザで,或いはこの世界で今この時,忘れられ,存在を数えられることもなく,殺されて行くすべてのこどもたちに向かって,私たちは,「殉教するおさなごは幸い」と祈る。それは,クリスマスに「おさなご」として来られ,十字架へと歩まれるキリストは,「おさなご」の一人をも見失うことのない方である,と私たちが信じる信仰の内の祈り。弱く,無力で,この世の「力」の論理から言えば数える必要などない,と見られてしまう「おさなご」である,この私をも,キリストは決して見失わない。キリストの前に,私は,必ず,覚えられている。
今日聴いた,ローズンゲンで与えられた福音は,「見失った羊を見つけ出すまで捜し回らないだろうか」(ルカ15:4)とのキリストの御言葉を示す。キリストは,必ず,この私をも見出すまで捜してくださる。だから,「世界の王として来られた主よ,平和を求めて,あなたの御手の内を歩む全ての民は幸い」とはっきり言い,祈ることができる。苦しみと悲しみが続く世界にあって,決して,私たちを「見失った」ままにはしておかれないキリストに従う,そのように生きることをこそ,私たちは願う。
(2009.1.7.地区婦人会研修会開会礼拝の奨励より)

*「顕現日の共同の祈り」(部分)
先唱者 世界の王として来られた主よ,あなたのため,ヘロデによって殉教するおさなごは幸い。どうか主よ,今この時,なおも殺されるおさなご達を祝福の内においてください。
一同  福音は,キリストの聖なる使徒たちや預言者たちに啓示されました。ハレルヤ。(エフェソの信徒への手紙3:5)
先唱者 世界の王として来られた主よ,平和を求めて,あなたの御手の内を歩む全ての民は幸い。
一同  栄光は父と子と聖霊に,はじめのように今も限りなく。アーメン。