余滴(2013年10月13日)

「すると鎖が彼の手から外れ落ちた」
(使徒言行録12章7節)
 ペトロは獄(ひとや)にあって眠る。彼のために、主の天使が来て、「彼の脇をたたき、覚(さま)」(使徒言行録12:7<文語訳>)さなければならない眠り。新共同訳は、「わき腹をつついて起こし」と訳しているが、永井直治は、「脇を拊(たた)きて」と訳す。
 「拊(ふ)」という字を引くと、「やさしくなでる」と「激しく打つ」の両義がでる(「字通」)。「拊背(ふはい)」とは肩をなでること。また、「拊髀(ふひ)」とは腿(もも)をうつさま。そこから、激しく喜ぶこと、あるいは憤ること。
 つまり天使はペトロを「拊背(ふはい)」するかのように、肩を優しく「拊(なで)」たのかもしれないし、ペトロを、脇から「拊髀(ふひ)」するかのように、激しく「拊(たた)」いたのかもしれない。
 彼は深い眠りに中にいる。もっとも、彼には、深く寝入った記憶がない。本来、決して安眠できない場所。両脇の兵士の皮の武具のにおい、鎧の小札(こざね)が擦れ合う音が、ペトロの神経を逆なでて、彼は寝つくことができない。しかし、ペトロは眠りに入る。疲労と緊張の中で。
 この、安らかな、深い眠りは、神から来る。アダムの眠り(創世記2章21節以下)。ヨセフの眠り(マタイによる福音書1章20節以下)。これは、主の天使の到来によってもたらされる眠り。
 この時ペトロは、ただ天使が「疾(と)く起きよ」(文語訳)と言うので、立とうする。すると、「鎖が彼の手から外れて落ち」る。この時、彼の身を拘束していた、彼の行動を制約していた、“鎖”が落ちる。以降、ペトロは“鎖”が外れて落ちた人になる。その行動は、「幻を見ている」人のようで(9節)、ついには、「ほかの所へ行」かされてしまう(17節)。そう、ペトロは制約を解かれる。自分では、本人の努力だけでは、決して解くことのできない“鎖”を、天使によって解いてもらった人になる。
 この時ペトロは、自由にされる。彼を縛っていた“鎖”から。律法から、自由にされる。そして、コルネリウスの所で経験したことを、語って行く者にされる。「主イエス・キリストを信じるようになったわたしたちに与えてくださったのと同じ賜物を」、神は、すべての人に与えたいと望んでおられるのだ、ということの証し人にされる(11章17節)。そしてこの時、遠くローマで殉教するに至る途(みち)を、踏み出す自由を、“鎖”を外し落としていただいて、ペトロは得る。「ほかの所」へと歩み出しつつ。

余滴(2013年10月6日)

「心に広い道を見ている」
(詩84篇6節)
 10月5日のテゼの日課から。
 84篇の詩人は、自分の歩いてきた途(みち)のりの、困難であったことを思い出す。それでも詩人は、「主の庭を慕って」(3節)、歩み続けて来た。
 この歩みは、聖地への、神殿への、「巡礼」という、実際の「旅」であったのかもしれない。しかしそれ以上に、詩篇の詩人は、地上での歩み、人生そのものこそが、「主の庭を慕」う旅なのだと知っている。
 詩人は、地上を歩む時の困難さの只中でこそ、「いかに幸いなことでしょう。あなたによって勇気を出し、心に広い道を見ている人は」(6節)と祈ることができる、と私に教える。
 困難の窮(きわ)みにあるからこそ、依り頼むべき「力は汝(なんじ)にあり」(「あなたによって勇気を出し」の文語訳)と、はっきりと告白することができるのだ、と詩人は、私に告げる。「嘆きの谷を通るときも、そこを泉とするでしょう」(7節)と、詠(うた)う交わりに加わりなさい、と詩人は私を誘(いざな)う。
 人生の歩みの中で、「嘆きの谷」を歩む時は、苦い、悲しみに満ちた時。そこはあくまでも「涙の谷」(文語訳)。人は、「嘆きの谷」を喜びの場所とは思えない。私は、「涙の谷」を心あたたまる所とは思わない。
 しかし、その「嘆きの谷」を、「其處(そこ)をおほくの泉ある處(ところ)となす」(「そこを泉とするでしょう」の文語訳)としてくださる方が、あなたの、私の「力」の源泉(みなもと)なのだ、と詩人はいう。
 そして、昨日までの、今、この時までの、常に過去になる歩みを振り返り続ける生き方ではなく、「キリストもあなたがたのために苦しみを受け、その足跡に続くようにと、模範を残されたからです」(ペトロの手紙(1)2章21節)との御言葉に確信を持って立つ生き方へ、「心に広い道を見ている」生き方、「その心シオンの大路にあるもの」としての「福(さいは)ひ」(5節の文語訳)な生き方へ、さあ今こそ、と詩人は私に手をさし伸ばす。