「すると鎖が彼の手から外れ落ちた」
(使徒言行録12章7節)
ペトロは獄(ひとや)にあって眠る。彼のために、主の天使が来て、「彼の脇をたたき、覚(さま)」(使徒言行録12:7<文語訳>)さなければならない眠り。新共同訳は、「わき腹をつついて起こし」と訳しているが、永井直治は、「脇を拊(たた)きて」と訳す。
「拊(ふ)」という字を引くと、「やさしくなでる」と「激しく打つ」の両義がでる(「字通」)。「拊背(ふはい)」とは肩をなでること。また、「拊髀(ふひ)」とは腿(もも)をうつさま。そこから、激しく喜ぶこと、あるいは憤ること。
つまり天使はペトロを「拊背(ふはい)」するかのように、肩を優しく「拊(なで)」たのかもしれないし、ペトロを、脇から「拊髀(ふひ)」するかのように、激しく「拊(たた)」いたのかもしれない。
彼は深い眠りに中にいる。もっとも、彼には、深く寝入った記憶がない。本来、決して安眠できない場所。両脇の兵士の皮の武具のにおい、鎧の小札(こざね)が擦れ合う音が、ペトロの神経を逆なでて、彼は寝つくことができない。しかし、ペトロは眠りに入る。疲労と緊張の中で。
この、安らかな、深い眠りは、神から来る。アダムの眠り(創世記2章21節以下)。ヨセフの眠り(マタイによる福音書1章20節以下)。これは、主の天使の到来によってもたらされる眠り。
この時ペトロは、ただ天使が「疾(と)く起きよ」(文語訳)と言うので、立とうする。すると、「鎖が彼の手から外れて落ち」る。この時、彼の身を拘束していた、彼の行動を制約していた、“鎖”が落ちる。以降、ペトロは“鎖”が外れて落ちた人になる。その行動は、「幻を見ている」人のようで(9節)、ついには、「ほかの所へ行」かされてしまう(17節)。そう、ペトロは制約を解かれる。自分では、本人の努力だけでは、決して解くことのできない“鎖”を、天使によって解いてもらった人になる。
この時ペトロは、自由にされる。彼を縛っていた“鎖”から。律法から、自由にされる。そして、コルネリウスの所で経験したことを、語って行く者にされる。「主イエス・キリストを信じるようになったわたしたちに与えてくださったのと同じ賜物を」、神は、すべての人に与えたいと望んでおられるのだ、ということの証し人にされる(11章17節)。そしてこの時、遠くローマで殉教するに至る途(みち)を、踏み出す自由を、“鎖”を外し落としていただいて、ペトロは得る。「ほかの所」へと歩み出しつつ。