余滴(2013年11月17日)

終末節の黙想
「わたしたちは皆、キリストの裁きの座の前に立たなければなりません。」
(コリントの信徒への手紙 (2) 5 章 10 節)
 パウロは、その生涯の只中で、人生の方向を決定的に、変えた人。キリストに敵対する者から、キリストに信従する者へと。そして彼は、(人生の終わり“に”、ではなく)人生の終わり“を”思う。自分の来し方を思う。
 私も思う。もし、教会に来ることがなかったら、と自分の人生を想像してみる。もし、キリストに出会うことがなかったら、と自分の生涯をイメージしてみる。
 御言に生きることなく歩んでいたら、私は、もっと自由だっただろう。キリストに捉えられることがなかったら、私は、もっと幸せだっただろう。イエスの十字架の重みを知らなかったら、私は、もっと快適だっただろう。だって、もっと極楽とんぼに、“いろいろなこと”に片目をつぶりながら、自前勝手に、時代の思想に流されながら、そこそこに、ひらひらと生きた、だろう。もっと気楽に“私の”時間を生きた、だろう。
 キリストに出会う、ということは、“私はわたしのものではない”、ということを知ること。“捉えていただいた”という覚悟を生きること。そのことを、『ハイデルベルク信仰問答』問1は、「生きるにも、死ぬにも、あなたのただ一つの慰めは何ですか」と問う(吉田隆、訳、新教出版社、1997)。
 『ハイデルベルク』の信仰を生きた人たちは、“生死を分たず慰めになることなど果たしてあるか、お前に?”、“今、生きている、この時の喜びではなく、かつても、今も、そしてこれからも、永遠にあなたの慰めとなる喜びが、あるか?”、と問い続ける。そして私は、この問いの前に立ち尽くす。
 『ハイデルベルク』は、答える。「わたしがわたし自身ものではなく、体も魂も、生きるにも死ぬにも、わたしの真実な救い主イエス・キリストのものであることです」と。私は“キリストのもの”であって、何一つとして“私の”ではない。『ハイデルベルク』のこの応答は、パウロが「わたしたちは皆、キリストの裁きの座の前に立たなければなりません」という宣言への応答。
 私は、“キリストのもの”として「私の真実の救い主イエス・キリストのもの」として、キリストの裁きの座の前に、喜んで、立つ。「立たねばなりません」という箇所を、蓮見和男先生は「さばきの座の前に現れ」(「コリント人への第二の手紙」、新教出版社、1998)と訳している。
 そう、私たちは、ただ「私の真実の救い主イエス・キリストのもの」とされていることへの感謝のみをもって、主の前に「現れ」ることをこそ、許されてある、と知る。

余滴(2013年11月10日)

終末節の黙想
「今や、恵みの時、今こそ、救いの日」
(コリントの信徒への手紙 ( 2 ) 6 章 2 節)
 「終末節」という時節を、教会はどう歩めばよいのか。アドヴェントの準備の時としてか?
 クリスマスカードの数を確認し、ツリーのオーナメントの状況を確かめ、クランツやリースを必要な個数つくり、キャンドルを注文する。
 「アドヴェント」は悔い改めの時。典礼色は「紫」を掲げる時だから、その前に、やがて到来するクリスマスの“お楽しみ”を注文しておく…。
 実際、私たちは「ハローウィン」が終わったとたんに街中のデコレーションがクリスマスに変わるのを知っている。そして、“でも、その前に「終末節」と「収穫感謝祭」があるのですが…”、と言うつぶやきはかき消されてしまう。“「終末節」は、「王であるキリスト」がおいでになるのを待つ時節で、…”、という主張は、誰の耳にも届かないかのよう。
 そのような現実の中で、私たちは『ローズンゲン2013』が、終末前々週の“週の聖句”として掲げる「今や、恵みの時、今こそ、救いの日」(コリントの信徒への手紙 ( 2 ) 6 章 2 節)と出会う。
 パウロの福音宣教の歩みは、苦難の中にあった。
 それでもパウロは、コリントの教会に、「今や、恵みの時、今こそ、救いの日」と書き記す。彼の周囲の状況は、困難に満ちている。パウロは、「大いなる忍耐をもって、苦難、欠乏、行き詰まり、鞭打ち、監禁、暴動、労苦、不眠、飢餓においても」(同4-5節)使徒としての働きに立とうとしている。彼は「大いなる忍耐」を強いられている。
 彼は、“淫祠邪教に身を落とした”、とかつての学窓(彼はガマリエルの門下<使徒22:3>)から言われ、“テント作りでローマの市民にまでなったお父さんの偉業に泥を塗っている”、とギルド(「同業者組合」。ローマ帝国内の諸都市において影響力を持っていた)から非難され、親類、同胞から不審の目をもって見られていても、彼は「今や」、「今こそ」が恵みの時、救いの日なのだ、と語る。とても、そうとは思えない時に。
 “とても、そうとは思えない時に”、キリストは来られる。パウロは、「視よ、今は恵のとき、視よ、今は救の日」(文語訳)と言う。この困窮と涙の時でしかない“このとき”こそが、「視よ」と呼びかけられる恵みのときなのだと(ギリシア語本文には、“見よ”という字が2度、書かれている)。苦労にしか目が行かない時に、だからこそ「視よ」との呼びかけを確かに聞いて、主の来られる救いの時を、見つめて行きたい。そう、パウロにならって。