終末節の黙想
「今や、恵みの時、今こそ、救いの日」
(コリントの信徒への手紙 ( 2 ) 6 章 2 節)
「終末節」という時節を、教会はどう歩めばよいのか。アドヴェントの準備の時としてか?
クリスマスカードの数を確認し、ツリーのオーナメントの状況を確かめ、クランツやリースを必要な個数つくり、キャンドルを注文する。
「アドヴェント」は悔い改めの時。典礼色は「紫」を掲げる時だから、その前に、やがて到来するクリスマスの“お楽しみ”を注文しておく…。
実際、私たちは「ハローウィン」が終わったとたんに街中のデコレーションがクリスマスに変わるのを知っている。そして、“でも、その前に「終末節」と「収穫感謝祭」があるのですが…”、と言うつぶやきはかき消されてしまう。“「終末節」は、「王であるキリスト」がおいでになるのを待つ時節で、…”、という主張は、誰の耳にも届かないかのよう。
そのような現実の中で、私たちは『ローズンゲン2013』が、終末前々週の“週の聖句”として掲げる「今や、恵みの時、今こそ、救いの日」(コリントの信徒への手紙 ( 2 ) 6 章 2 節)と出会う。
パウロの福音宣教の歩みは、苦難の中にあった。
それでもパウロは、コリントの教会に、「今や、恵みの時、今こそ、救いの日」と書き記す。彼の周囲の状況は、困難に満ちている。パウロは、「大いなる忍耐をもって、苦難、欠乏、行き詰まり、鞭打ち、監禁、暴動、労苦、不眠、飢餓においても」(同4-5節)使徒としての働きに立とうとしている。彼は「大いなる忍耐」を強いられている。
彼は、“淫祠邪教に身を落とした”、とかつての学窓(彼はガマリエルの門下<使徒22:3>)から言われ、“テント作りでローマの市民にまでなったお父さんの偉業に泥を塗っている”、とギルド(「同業者組合」。ローマ帝国内の諸都市において影響力を持っていた)から非難され、親類、同胞から不審の目をもって見られていても、彼は「今や」、「今こそ」が恵みの時、救いの日なのだ、と語る。とても、そうとは思えない時に。
“とても、そうとは思えない時に”、キリストは来られる。パウロは、「視よ、今は恵のとき、視よ、今は救の日」(文語訳)と言う。この困窮と涙の時でしかない“このとき”こそが、「視よ」と呼びかけられる恵みのときなのだと(ギリシア語本文には、“見よ”という字が2度、書かれている)。苦労にしか目が行かない時に、だからこそ「視よ」との呼びかけを確かに聞いて、主の来られる救いの時を、見つめて行きたい。そう、パウロにならって。