余滴(8月24日)

「イエスを試そうとして」
(マタイ22:35)

一人の律法学者が、
「イエスを試そうとし」たのは、「イエスがサドカイ派の人々を言い込められた」と知ったから。
サドカイ派の人々は、
「復活」という自分たちを他の会派から峻別している課題から
キリストに問いを発する(マタイ22:23以下)。
が、この一人の律法学者は、
信仰の根幹を問う。
その問いは、単純だが深遠。
律法に生きる全ての信仰者がもつ問い。“旧約聖書とは何ですか?”、という問いに等しい。
そして、キリストの答え(37-40節)も、核心。
それは、父なる神ヤハウエが、律法の民全体に命じたことの中心。
そう、
キリストは、敵対するものの内側にあるまっすぐな思いにさえも目を留めてくださる。
では、私はどれほどの真摯さをもってキリストの前に立っているだろうか。