四旬節黙想
「救いは主のもとから来る」(詩37篇39節)
37篇を残した詩人が、詩編の詞書にあるようにダビデなのかそうでないのかは、もはや、私たちには判然とはしない。詩人が誰であるかはわからないとしても、この詩の作者は、一つの確信に立っている。
それは、必ず主は「備えてくださる」(23節)という確信。神の御護りと支えとに対する揺るがない信頼。どうして詩人は、それほどまでに神を信頼できるのだろうか。
むしろ神は、私が願う時に、私の助けになってくださらない、ということが多いというのが、私たちの経験なのではないだろうか。
しかし、詩人は、神は「とこしえに見守り」(28節)たもう方だと言う。
不条理だとしか思えないことの連続の中で、神の加護などないのではないか、と思えるような経験の積み重ねの中で、私は、神を見放してしまう。神は決して私を見捨てないのに。
しかし、詩人は、「救いは主のもとから来る」と告白することを知っている。そのことへの信頼を深めて行きたい。
(2013/3/24週報改)