【 些事 saji-bibou 備忘 】

「 ネコ 」

先日、
園庭に陥没箇所が発生した時のこと。
これから重機を入れて本格的に掘削を開始する前に、職人さんたちは、
牧師に、
「祈ってくれ」と、言う。
ある意味しごく当然のことで、
特に、土地に重機を入れる業者さんは、“信心”深い。
それというのも、この列島が属する東アジア漢字文化圏の民俗では、
土地は、カミに属するものであって、ヒトに帰するものではないから。
しかも、これから削(ほ)るのは、教会の土地、“境内地”なのだから。
そして、
そういう“神事”にきちんと時間をとれる職人さんは、
私の経験からいうと、仕事が丁寧で迅速。

聖卓の前で、祈りの時を持った。

さて、これからどうするか、
と検討していた時のこと。

当然のことだけれども、
掘れば、埋め戻さなければならない。
そうなると、
掘削して地層を撹拌してしまうわけだから、
掘ったところだけ、簡単な言い方をすれば、周囲と固さが違ってしまう。
そこで、
「転圧機」という機械で圧力をかけて固めるのだけれども、
人工的に圧力をかけても、かけきれるものではないから、
埋め戻すと、どうしても土が余る。

「余るでしょうね」、という話しになり、
私は、
「まあ、ネコ一杯ぐらいだったら牧師館の裏に投棄でいいですよ」
と言った。
そうしたら、職人さんたちが、
“あれっ”
と固まってしまった。
おっと、素人考えだったか。
「ネコ一杯ぐらいじゃあ済みませんか?」と、重ねて尋ねると、
「いや、そこじゃなくて」と、彼ら。
普通、素人さんは「ネコ」は言わない、と言われてしまった。
ああ、そっちか。
「ネコ」とは一輪車のこと。発掘の現場でも、一輪車は「ネコ」と呼ぶ。
そのことを説明しようかなと思っていると、
目の前を、
顔見知りの黒と白のブチの猫が、
悠然と通り過ぎて行った。

余 yoteki 滴(8月16日)

【「終戦記念日」を覚えて – 祈り – 】
8月15日。
1945年8月15日から70年。
私たちは、この島国の自然の美しさを愛するがゆえに、
二度と焦土と化す戦争に突き進む国としないことを祈ってきました。
そして今、
主が創られた被造世界にある全ての生命(いのち)と共に、
この敗戦を覚える日を、真に「終戦」の日としてください、
と強く祈ることを得させてください。
この世の中の、
あらゆる戦争、紛争、武力衝突、軍事介入の「終わりの日」と、
主よ、あなたがしてください。
私たちが、
あなたの御旨を深く受けとめ、
地域、国家、民族というこの世の枠にとらわれることなく、
広く、全世界に主の御名による平和が実現することを、
祈り続けられるようにしてください。
私たちを、御旨に聴きつつ歩む群れとして整えてくださいますように。

余 yoteki 滴 (8月9日)

【長崎の日を覚えて – 祈り – 】
この朝(あした)、70年前の長崎への原爆の投下を覚えて祈ります。
世界の平和と、核廃絶への祈りを深める教会の祈りを、かたく確かなものにしてください。
私たちの祈りが、世界中の平和を求める祈りに連なり、キリストにある一つの祈りになるように、主がしてください。
そして、御旨に聴きつつ歩む群れとして整えてくださいますように。