【「祈りと行いのために」 – 時代への祈り – 】

主よ、
あなたが来られたのは、世界の平和と和解のためです。
教会は、
そのことを覚え、
主の栄光を讃えます。

今、
教会は、私たちが暮らすこの列島での政治的情勢を、
深く直視して行く、時代に対する責任を、
主に求められています。

それ故、
私たちは、祈りと行いとをもって、
主よ、
あなたに御旨を尋ねます。

主よ、
あなたのまことの平和のために祈り続けさせてください。

祈り続けるすべての人と連帯させてください。

行いをもって信仰を示すすべての人と連帯させてください。

祈りと行いとを強め、
教会の信仰を支えてください。

繰り返し祈ることを、

繰り返し行うことを、

無力だと感じさせるサタンの誘惑を、
取り除けてください。

主が、
教会の祈りと行いとを豊かに支えてください。

教会と私たちが、
祈りと行いとをもってこの世に証しして行くことを、
主が得させてくださいますように。

主イエス・キリストの御名によって アーメン。

【余 yoteki 滴】

「旅を急いだ」( 使徒言行録 20 : 16 )

パウロは、
「五旬祭にはエルサレムに着いていたかったので、旅を急い」でいた(使徒20 : 16)。
彼は、
「エフェソには寄らない」、と決める。
「アジア州で時を費やさないように」、と決める。
パウロは、
ルートを検討し、最短の旅程を、最善の航路を選ぶ。
でも、
パウロの「旅」は、
ミレトスの港で足止めとなる。
舟は、彼の思う通りには出航しない。
彼は、
ずっと決めていた。
五旬祭にはエルサレムで神殿に行きたい、と。
あの祭りの時に神殿で祈りたい、と。

でも、
舟はまだ出ない。

急いている気持ちを、
パウロが鎮めて、
沈黙して、
為すべきことを神に尋ねない限り、
パウロの「旅」は進まない。

パウロは、
鎮まって神の前に祈る自分を取り戻す。
否、
主によって、取り戻させていただく。
パウロは坐す。
神が決めたもう「旅」の時が、
人が思い定めた時刻表に先立つ、ということを
思惟するために、
ミレトスで。