【余yoteki滴】

創立112周年をおぼえて

– 主はわたしの命の砦 -(詩27篇)

日本キリスト教団伊勢原教会は、創立112周年を迎えました。

飯田角蔵の、或いは、波濤を超えて明治期日本に、

福音伝道を願う北米合衆国の諸教会の祈りに支えられて来日した、

F.C.クラインをはじめとする宣教師たちの働きによって

「伊勢原美普教会」

(伊勢原教会は、「メソヂスト・プロテスタント教会(美普教会)」によって創建されました)は

設立されました。

そして、今日に至るまで御手のうちにこの教会をおき、導き、護られた主に感謝いたします。

この112年の間に、

教役者、教会員、その周辺におられた人たち、と多くの人々の祈りと献身とがあったことを覚えます。

キリストは、御言葉を、人の思い、人の手を通して実現されます。

主の御旨は、なにか中空に浮かんでいるような、非人格的な抽象概念ではありません。

主の御旨が成る、成就するということは、必ず、

私たち「人」を通して、その祈りを通して実現なさるのだと、私たちは知っています。

今日(2/14)、

「ローズンゲン」に示されている御言葉は、詩27篇1節から選ばれた、

「主はわたしの命の砦

わたしは誰の前におののくことがあろう」

です。

実に、創立記念日にふさわしい聖句だと思います。

主は、この伊勢原に「命の砦」をお建てくださった、私たちは、

はっきりそのように確信します。

詩編の詩人は、「わたしは誰の前におののくことがあろう」か、と言います。

主が、「わたしの命の砦」である以上、

いかなるものの前にも「おののかない」と詩人は歌うのです。

ですから詩27篇は、続けて2節以下で、

「さいなむ者が迫り…

彼らがわたしに対して陣を敷いても

わたしの心は怖れない…

わたしには確信がある」

と、

その信仰を宣言することが出来るのです。そして、

その信仰の確信のうちに、

「ひとつのことを主に願い、それだけを求めよう。

命のある限り、主の家に宿り

主を仰ぎ望んで喜びを得

その宮で朝を迎えることを」

と、

歌うことができるのです。

私たちも、112年目を迎えた伊勢原教会に集う者として、草創期、

多くの人たちの祈りが、この地に教会を建てたことを覚え続けて行きたいと思います。

主の御旨を確信して、ここに「命の砦」をたてた信仰の先達に、その系譜に連なる者として、

御言葉を証しして歩む群れとして強められて行きたいと、主に願い続けて参りたいと思うのです。

創立記念日は、新しい始まりです。

今日、この日から、私たちは、伊勢原教会の新しい一歩を、主の導きを確信しつつ歩み出して行きます。