「余yoteki滴」
「もう泣かない」
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ナインの町にイエスさまが近づかれると、そこから葬列が出てきたのだ、とルカによる福音書は記します(7章11節以下)。
私がこどもの頃は、まだ、町で葬式に出会うことがありました。
あの頃は(っていつ頃なのかは、ご想像に任せておきますが)、まだ自宅から葬式を出す、というのがごく当たり前でしたから、こどもは、町で葬式によく出会ったものです。とにかく、葬式に出会うと、こども達は、親指を隠すように手を握ってその前をそそくさと通ったものでした。
でも最近は、自宅でご葬儀という事が本当に少なくなりましたから、たぶん、今のこども達は葬列に出会うということも、まず体験しないのでしょう。
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さて、イエスさまは、葬列に出会った時には、親指を隠して手を握ったりしたのでしょうか。
私は、あるいはひょっとすると、イエスさまと違って弟子たちは、当時のユダヤのこども達がきっとしたであろう(それがどのようなものかは私には判りませんが)、因習じみた所作をしたのではないかなぁ、と想像したりしてみるのです。
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そして、イエスさまはというと、その葬列に近づいて行って、しかも、泣いている母親に「もう泣かない」と声をかけたりなさるのです。
「死」は、圧倒的な現実です。
私たちは、「死」を体験したことがありませんから、「死」とはいつでも未知な領域の「モノ」なわけです。それ故、「死」はいつでも人を恐れへと巻き込みます。
イエスさまの弟子たちも、当然、「死」への恐れや、畏れに、この時、染まっていたでしょう。ですから、葬列と真っ正面から行き逢ってしまったときは、顔をしかめたりしたかもしれません。
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ところが、イエスさまはその葬列の中ほどで、柩に付き添っていた母親に、「もう泣かない」と声をおかけになるのです。
母親は、耳を疑ったかも知れません。
或いは、悪い冗談を言う人だと思ったかも知れません。
泣き伏すしかない時に、涙の枯れるというのがあるのか、と思われるこの時に、この人は一体何を言うのだろうか、とそう感じたかも知れません。
だからと言うわけではないと思いますが、この母親は、イエスさまの語りかけに応答しません。もちろん、葬列もその歩みを止めません。
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今や、イエスさまのその横を、この母親の息子を納めた柩が通り過ぎようとします。
その時、イエスさまはご自分の脇を通って行くその柩に手を掛けられるのです。
このイエスさまの行いは、町の門から町の外に、町の中から墓地の中へ、生者の地から死者の地へ、城郭都市という文明の巷から墓所という荒れ野へと、向かって歩むしかない「死」という現実を押しとどめるものです。
ルカは、ですから、この時の様子を、
①イエスさまが母親に声をかける、
↓
②イエスさまが柩に手を触れられる、
↓
③担いでいる人たち(葬列)が立ち止まる、
という順序で記すのです。
ルカはここにイエスさまの神の御子としての権威を見たのです。私たちには決して出来ない、「死」を押しとどめる権威です。
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実は、この巻頭言(この文章は、「湘北地区報」に掲載するために書かれました)に四苦八苦している時に、ある方の帰天の連絡をいただきました。
その方は、若い時に、当時、「横浜合同教会」と呼ばれていた、現在の横浜上原教会で、聖金曜日(受難日)の礼拝において高柳伊三郎先生から洗礼を受けました。
戦後間もなくの事でした。
「洗礼式が、なぜ聖金曜日だったのかと、言うと」、とその方はよく語ってくれました。
受難日の礼拝での洗礼式をお願いしたのは、洗礼を決心したその頃、まだ若かったんだねぇ、主の十字架での全き犠牲は自分のためだと得心がいったのだが、ご復活ということがまだ充分に判らなかったので、どうしても十字架の金曜日に洗礼式をとお願いしたのだ、と。
そして、その話しを聞いている若かりし頃の私は、そうか受難日礼拝で洗礼式を、とお願いする手があったのか! と(イースターに洗礼を受領したばかりだったので)、ちょっと自分になぞらえて残念に思ったりしていたりしました。
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伊勢原教会の前を、近くの県立高校の生徒たちが通って行きます。そして掲示されている説教題を見て、首を傾げたり、ささやきあったりします。
ある時、「わたしは始めであり終わりである」という説教題が掲示されていました。
高校生たちが、「始めであり終わりである、ってどういう意味だ?」と会話しながら歩いて行きます。すると一人の子が、「始めで終わりということは、一代で滅んだ、っていうことじゃねぇ」、と応じました。
この会話は、下校時でしたから、彼らは登校する時にも、この看板を見たわけです。
そしてたぶん、なんだこりゃ、と思っていたのでしょう。
そして歴史の授業でもあったのでしょう。
「始めであり終わり」、とは何代も続かずに、たった一代で、一人だけで終わった王朝のことように理解できる、と会得したのでしょう。
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私はその受け答えの秀逸ぶりに思わず笑ってしまいました。
イエスさまは、始めであり終わりである方、たったお一人で、高校生達の言葉を借りれば、「一代」で私たちの救いを成就なさる方です。
教会は、その事のみを宣言します。先に述べた信仰の先輩は、そのことを信仰の生活の中で深く知って行った事でしょう。
むしろ、疑問から始まった問いですから、その方にとって、救いとご復活とは、深い生涯のテーマになって行った事と思います。十字架のキリストが、「死」を滅ぼし、新しい命の始まりとなられた、ということを、戦後の日本の歴史とほぼ重なる、70年になんなんとする信仰から信仰への歩みの中で、じっくりとご自身のものとされたのだと私は思うのです。
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さて、イエスさまがナインのやもめに「もう泣かない」と声をお掛けになった時のことを観想したいと思います。
イエスさまが柩に手をおかれた時、この世の当然の理(ことわり)は打ち砕かれます。
そして知る事ができます。私の「いのち」もまた、イエスさまの手に触れていただけるのだ、ということを。
イエスさまは、ご自身の方から私に近づいてくださる方。そして、「もう泣かない」と、声をかけてくださる方。私が何も言わないのに、私の言葉にならない祈りを聞いてくださる。そして、「死」に打ち勝つ権威をお示しになります。
今や、私をこの世の理(ことわり)は縛りません。
ナインのこの一人の母親に、イエスさまは息子を「お返しになった」のですが、私にも自分の「いのち」を生きるようにと、「死」の理(ことわり)ではなく、キリストに連なる「いのち」の理(ことわり)の内に生きるようにと招かれるのです。
さらに、イエスさまが私と出会ってくださるのは、ナインという町の外、門の外なのです。
キリストは、宿営の外で私を待っていてくださいます。私がはみ出して行く時、その行く手に、キリストはいてくださるのです、必ず。
(2016/6/26 神奈川教区湘北地区「地区報」の巻頭言を加筆訂正)