余yoteki滴 2016年8月28日

「ねこのふわふわ」

– たより –

 

猫のふわふわは、旅する猫です。

或る日のこと、

猫のふわふわが、砂漠の中の小さなオアシスの、小さな井戸で、

静かに水を飲んでいると、

 

そこに、

きつねのルナールが、

やっぱり水を飲むために、やって来ました。

きつねのルナールは、言います。

 

「ちょうどいい。あなたにたよりがあります」

 

どんなたより? 猫のふわふわは、たずねました。

 

「そう、

猫のふわふわ、

あなたの、

ふわふわしたあたたかさと優しさとを、

必要としています。

戻って来てください。

って」

 

猫のふわふわは、

水を飲むのを、ちょっとやめて、

耳のうしろを少し撫でて、

 

「戻ることはできる。けれど、時間がかかるかなぁ」

 

とつぶやきました。

 

きつねのルナールは、そう、と言っただけで水を飲んでいます。

 

ふたりの話しを聞いていた、

井戸の中の、小さなさかなが、

 

「いいなぁ、他の人にたよりにされるのは」

 

と、つぶやきました。

 

すると、猫のふわふわと、きつねのルナールは、顔をみあわせ、

二人で、ふふ、っと笑うと、

声を揃えていいました。

 

「一番、たよりにされているのは、君だよ」

 

ちいさなさかなは、

ちょっと驚いて、

ピチャっとはねると、

あとはゆっくりと井戸の中を泳いでいます。

 

(2007年7月22日の礼拝での「こどもの祝福」より)

余yoteki滴 2016年8月21日

「ねこのふわふわ」

– 約束 –

 

猫のふわふわは、旅する猫です。

或る日のこと、

猫のふわふわが、町の中の、石畳の、小さな路地を、ゆっくりと歩いていると、

向こうからペトロさんが杖をつきながら歩いてきました。

 

「こんにちは、聖ペトロさま!」

 

猫のふわふわは、ちょっと緊張して、せいいっぱいのあいさつをします。

ペトロさんは、

 

「こんにちは、猫のふわふわ。元気ですか? 今日は、どこに行くの?」

 

と猫のふわふわに、尋ねました。

これと言って行くあてのなかった猫のふわふわは、

 

「いえ、どこにも。あの、ペトロさんが必要だと言われるのであれば、お供しますけど」

 

と答えてしまいました!

ペトロさんは笑って、それから、少し考え込んで、猫のふわふわを、じっと見て、

 

「では、猫のふわふわ、あなたに

お願いがあります。

あなたが出会う人で、あなたが、この人はさみしそうだな、と思う人の足元で、そっと少しだけ、寄りかかって、そして、

丸くなってあげてください」

 

猫のふわふわは、りっぱな耳をぴんと立てて、自慢のひげをふるわせると、

 

「はい」

 

と答えました。

それから、猫のふわふわは、ペトロさんに少しだけ、首の下と、耳のうしろをなぜてもらい、

 

「さようなら」

 

と言って、ペトロさんと別れました。

 

(2007年9月9日の礼拝での「こどもの祝福」より)

余yoteki滴    8月7日

「神に信頼する人は慈しみに囲まれる」(詩32篇10節)

 

8月6日、「広島平和祈念日」のローズンゲンから。

詩編の詩人は、困難な時代に生きている。

詩人は、

「されば神をうやまう者は、汝にあうことを得べき間に汝に祈らん」と

うたう(「交読文」10詩32篇)。

時代の差し迫りの中で、詩人は、

「あなたを見いだしうる」(6節)「間」が縮まっていることを実感している。

だから、

この時代にあって、

悩みのただ中にあって、

祈ることを勧めてやまない。

そう、

詩32篇を残した詩人の時代も、今も、

私たちは祈ることの緊急さを

教えられている。

主にある平和を希求することの可及的速やかさを

教えられている。