「枝の主日」
ご隠居さん、お迎えが来ました。
「おまえさんねぇ、いきなり“お迎えが来ました”、なんて声を掛けてはいけない。そうかなぁ、と思っちゃうじゃないか。何か用かね?」
嫌だなぁ、約束してたじゃないですか。花見ですよ、は・な・み! ですから長屋のみんなしてお迎えに来た、と、そう云う訳ですよ。
「ああ、そうだったな。でも、今日は行かれない」
どうしてですか? ちょうどいいあんばいに咲いていますよ。行くのだったら今日が一番、って感じですけど。
「今日はな、“棕櫚の主日”或いは“枝の主日”と云ってな、イエスさまがエルサレムに入城されたことを覚える日だな。そして今日からの一週間を、“受難週”とか“聖週”と呼ぶ。だから私も、斎戒して主のご受難を覚えて過ごす、とそういうわけだ」
へえぇ、でも、どうして今日のことを、“棕櫚の主日”って云うんですか?
「それはおまえさん、今日、イエスさまがエルサレムにお入りになったな。その時、人々が棕櫚の枝や自分の上着を敷いて、ろばの子に乗ったイエスさまをお迎えした、と聖書に書かれているからだ」
イエスさまが今日、エルサレムに入られたとすると、沿道はごった返していたでしょうねぇ。
「それでなくとも“過越しの祭”に人が集まっている時だ、エルサレムは人であふれていたな。人の波、というやつだな、歩くのも大変だ。道行く人たちに押されながら歩くようなものだ。その最中に、イエスさまがろばの子に乗ってご入城なさるわけだ。押すな押すな、の人だかりだな」
すごいものですねぇ、ところで、エルサレムに桜はないんですか?
「そうだな、この時期だと、同じバラ科のアーモンドの花とかが咲くな」
そうすると、イエスさまも花見はなさったのですかねぇ。
「お前さん、どうしてもあたしを花見に連れて行きたいみたいだな。イエスさまもきっとアーモンドの花は御覧になったと思うな。でも、花見気分ではなかっただろうな」
そうでしょうねぇ。ろばの子に乗っているんじゃぁ、なおさらだ。
「ん? どうして、ろばの子に乗っていると、花見にならないと思うんだね」
だってご隠居、人でごった返している時にろばの子に乗っているですよ、「子ロバ」ないようにするだけでも大変だ。
– お後がよろしいようで –