余yoteki滴 2017年4月9日

「枝の主日」

 

ご隠居さん、お迎えが来ました。

 

「おまえさんねぇ、いきなり“お迎えが来ました”、なんて声を掛けてはいけない。そうかなぁ、と思っちゃうじゃないか。何か用かね?」

 

嫌だなぁ、約束してたじゃないですか。花見ですよ、は・な・み! ですから長屋のみんなしてお迎えに来た、と、そう云う訳ですよ。

 

「ああ、そうだったな。でも、今日は行かれない」

 

どうしてですか? ちょうどいいあんばいに咲いていますよ。行くのだったら今日が一番、って感じですけど。

 

「今日はな、“棕櫚の主日”或いは“枝の主日”と云ってな、イエスさまがエルサレムに入城されたことを覚える日だな。そして今日からの一週間を、“受難週”とか“聖週”と呼ぶ。だから私も、斎戒して主のご受難を覚えて過ごす、とそういうわけだ」

 

へえぇ、でも、どうして今日のことを、“棕櫚の主日”って云うんですか?

 

「それはおまえさん、今日、イエスさまがエルサレムにお入りになったな。その時、人々が棕櫚の枝や自分の上着を敷いて、ろばの子に乗ったイエスさまをお迎えした、と聖書に書かれているからだ」

 

イエスさまが今日、エルサレムに入られたとすると、沿道はごった返していたでしょうねぇ。

 

「それでなくとも“過越しの祭”に人が集まっている時だ、エルサレムは人であふれていたな。人の波、というやつだな、歩くのも大変だ。道行く人たちに押されながら歩くようなものだ。その最中に、イエスさまがろばの子に乗ってご入城なさるわけだ。押すな押すな、の人だかりだな」

 

すごいものですねぇ、ところで、エルサレムに桜はないんですか?

 

「そうだな、この時期だと、同じバラ科のアーモンドの花とかが咲くな」

 

そうすると、イエスさまも花見はなさったのですかねぇ。

 

「お前さん、どうしてもあたしを花見に連れて行きたいみたいだな。イエスさまもきっとアーモンドの花は御覧になったと思うな。でも、花見気分ではなかっただろうな」

 

そうでしょうねぇ。ろばの子に乗っているんじゃぁ、なおさらだ。

 

「ん? どうして、ろばの子に乗っていると、花見にならないと思うんだね」

 

だってご隠居、人でごった返している時にろばの子に乗っているですよ、「子ロバ」ないようにするだけでも大変だ。

 

– お後がよろしいようで –