明くる日、すなわち、準備の日の翌日、祭司長たちとファリサイ派の人々は、ピラトのところに集まって、こう言った。「閣下、人を惑わすあの者がまだ生きていたとき、『自分は三日後に復活する』と言っていたのを、わたしたちは思い出しました」。 マタイによる福音書27章62-63節
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思い出した。
「三日後に復活する」そう云っていた。
まったく! この祝いの杯を飲み干そうというこの時に思い出すなんて!何といまいましい! これから、ピラトの所に行こう。
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そうです、閣下。
もしも、もしもです。万が一に、です。あり得ない話しですが、でも、三日後に奴の体がなければ、いや閣下、閣下は、気を悪くなさらいでいただきたい。もちろん仮定の話しです。仮に、いえ、閣下がこの聖なる都(エルサレム)にご滞在のその時に、かような不逞のやからが、閣下のご隷下で何事かをできるはずがないことは、私どもも努々(ゆめゆめ)承知をいたしております。ただ、万万が一という、そういう事でございます。はい。私どもは神殿衛士(えじ)を出しまする、ええ、もちろんです。でも、私どもの衛士(えじ)では、その装備が、はい、軽装でございます。ええ、承知しております。この時節に、閣下の直衛の軍団をお借りするのは、はい、もちろん無理は承知でございます。ただ、万万が一に、はい、仮に、本当に、仮に、でございますが、彼の者の墓が、閣下がおわしますその時に、墓がでございますよ、空(から)になるなどというような事がでございます、はい、もしも、そのような事が発生いたしますと、ええ、そしてその事がローマにまで聞こえまして、皇帝陛下のお耳をけがす、というようなことがございますと、です、いえ閣下、お怒りにならずに。あくまでも、もしも、でございます、はい。もちろんです。私どもは閣下と一心同体でございます。はい、私どもの口は、滅法固いのでございます。はい? 承知しております。ローマ帝国の軍団兵を警備にお出しいただくわけですから。はい、もちろんでございます。閣下には格段のご配慮を願うわけですから。はい。ご英断、感謝いたします。はい。サンヘドリンを代表して謝意を…、はい? あ、おたち…。
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サンヘドリンの年寄りどもめ。
臆病風に吹かれおって。自分たちで十字架上での死に追い込んでおきながら、亡霊に早くも怯えておるわ。政敵を死に追いやるなど日常茶飯事のローマの政局など、あれではとても生き抜けまい、笑止なことよ。
そうだ。
確か、あの十字架の時に、当番士官であった百人隊長がおったな。コルネリオとか云う大尉、あの者の隊に預けるか。
始まりも見たのだ、終わりも見させよう。
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なに? 例の百人隊長は、あの十字架の出来事の任務の後に、休暇に入った? あげく、除隊を申請して来て、それを認めた?
どうして? 言語明瞭意味不明です? どういうことだ? 何と、あの十字架を直近で目撃して、“かぶれた”、とな。ははっ!、ローマ帝国軍人ともあろう者がか! よいよい、除隊でよい。ああ、構わぬ。何、つまらぬ小遣い稼ぎだ、誰でもよい。そうだな、予備槍兵でも出しておけ。いや、待て。本当に復活したらどうしよう。ええい、何を弱気な事を。予備槍兵でよい。そうだ。それでよい。
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結局、金か。
ローマの高官と云いながら、むしり取れるだけむしり取りに来ているだけの者よ。話しをするとこちらの口が腐るわ。
何? こっちは銀30枚を返して来た? バカか。あのようなことに用いた金を、受け取れるわけがないわ。絶対に、神殿に入れるな。市井(しせい)で使え。今はそれどころではないのだ。
予備槍兵だと? ピラトは、ロートルをまわして来たのか。無礼な。
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だから云わんこっちゃない。彼の者の弟子たちが「復活なさった、復活なさった」と飛んで跳ねておるわ。全くいまいましい。
ピラトはどうした? 何? 祭りの後、すぐにカイサリアに帰っただと? 王は? アンティパス王も一緒に帰っただと? いつからつるむようになったのだ、あのタヌキとキツネは?
よいわ。金で黙らしておけ。判らぬか? 「事実(ほんとうのこと)」とはな、作るものよ。よいか、小難しい事をならべた「真理(ほんとうのこと)」なるものの前に、理解しやすい「事実(ほんとうのこと)」をぶらさげてやればよいのだ。“死者が復活した”、というのが「真理(ほんとうのこと)」ならば、“弟子たちが盗み出した”、という判りやすい「事実(ほんとうのこと)」を云い広めればよいのだ。この聖なる都(エルサレム)は、いつでもこのように「情報(ほんとうのこと)」を作り出して身を守るのだ、と知らしめてやれ。
ああ、これで本当に祭りの後だな。やっと街が静かになったわ。
◇
除隊した。
即応予備士官になった。
予備役編入も悪くないな。
さて、もうこの都市(エルサレム)には用がないな。
カイサリアにでも行って、のんびり暮らすことにしよう。
その内、あの「神の人」の弟子たちが、彼らが知った「福音」を告げに来る時がやって来よう。
私も見た、あの方の事を伝えに、な。
「神の人」の弟子たちの働きを見届けよう。
神は、私に、十字架の死という始まりを見せ給(たも)うたのだ、終わりもまた、きっと見させてくださるに違いないであろう。
◎ 参考聖書個所( – 標記以外 – )
・ マタイによる福音書28章11節以下
・ ルカによる福音書23章6節以下
・ 使徒言行録10章1節以下