余yoteki滴 四旬節黙想 2017年3月5日

「ぶどう園に行きなさい」(マタイによる福音書20章7節)(その1)

イエスさまは、到来する「天の国」について示される。

この「天の国」は、遠くにあって、仰ぎ見るものではなく、声の届かない彼方にあるのでもない。行きつくことの出来ない深淵の向こう側にあるのでもない。この「天の国」は、あなた方のただ中に到来する、とイエスさまは、私たちに語りかけられる。

「天の国は…ある家の主人が、ぶどう園で働く労働者を雇うために、夜明けに出かけて行」(マタイによる福音書20章1節)くようなもの。

「天の国」が到来するということは、「主人」がみずから「夜明け」には出発して私たちのところに来てくださる、そういう来訪の仕方で、私たちの只中に到るものだ、とイエスさまは示される。

現実に、もし、ぶどう園を所有している大土地所有者が、「労働者を雇う」としたら、彼あるいは彼女は、自分の執事に命じ、執事は荘園長に命じ、荘園長はぶどう園の管理責任者に命じ、ぶどう園の管理責任者は、現場責任者に命じ…としているうちに、「家の主人」が決めた「気前のよい」一人あたま1デナリオンという賃金は、実に見事に中間で搾取され、「労働者」一人ひとりに手渡される時には、よくて半分、まあ、1/4程度にまで減っている、ということになる。

だから、「家の主人」がみずから「労働者を雇うために」「出かけて行」くということ、そのことが、聴く者には驚き。

私たちの内に来る、来ている「天の国」は、神御自身が、みずから「夜明け」を待つようにして私のところへと来てくださる、そういう出来事なのだ、とイエスさまは、今日、私に、お告げになる。

そう、「家の主人」は、みずから私のところに来てくださる。

「家の主人」は、「夜明け」頃だけではなく、「九時ごろ」にも、続いて「十二時ごろと三時ごろ」にも私のところを訪れてくださる。さらに、「五時ごろにも」来てくださる。「天の国」は、このように到来する。神は、御自身の熱意をこのように示される、とイエスさまはいわれる。何度でも、限りなく、私のところに来てくださる、神さまの方から。 (以下次回)