余滴(2009年2月8日)

「ふさわしくないままで」
(コリントの信徒への手紙(1)11章27節)


聖餐式の際に,私たちは,使徒パウロによって,「ふさわしくないままで主のパンを食べたり,その杯を飲んだりする者は,主の体と血に対して罪を犯すことになります」(コリント(1)11:27)と教えられ,その,主なるお方については,『「キリスト・イエスは,罪人を救うために世に来られた」,という言葉は真実であり,そのまま受け入れるに値します』(テモテへの手紙(1)1章15節)と示される。「ふさわしくないままで」あり続けるしかない私たちには,それ故,聖餐に預かる前に懺悔と悔い改めとが求められる。だから私たちは,「ふさわしくないままで」,そのままで,神の前に立つことがゆるされていることに驚きつつ,胸を打ちながら悔い改める。そして,ゆるされた者として,和解のパンだねになるために主の食卓に連なる者とされる。
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105年前の伊勢原において,メソヂスト・プロテスタント教会の宣教師たちや教役者たちは,この地に教会を立てることを願った時に,自分たちがそのことに“ふさわしい”とか,教会こそがこの地に“ふさわしい”とか思っていたわけでは決っしてない。むしろ,自分たちの“わざ”が,本当に神の御旨であるのか,祈り続け,神に問い続けていたと思う。それでも日本への伝道を続けて行こうとするのは,「ふさわしくないままで」救いの只中にいる,というこの喜びを伝えようと願ったからだし,そのことは聖餐の恵みを通してしか伝えられないと知っていたからだといってよい。メソヂスト・プロテスタント教会の「式文」である『日本美普教會禮文』に収められている「晩?式」はごく短い。だが,聖餐に向き合う真摯で敬虔な信仰が表出している。
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美普教会は大きな教派ではない。日本各地への伝道においても先駆的というわけでもない。むしろ,幕末に,開国以前の日本に,熱い視線を送り,信仰を伝えようとした諸教派に比べれば,その海外宣教は後発的で地味なものだったといってもいい。
しかし,横浜に入港した宣教師たち,その後の日本人教役者たちによって,横浜第一美普教会(現在の横浜本牧教会),横浜第二,横浜第三(この二つは合同し,現在の蒔田教会),平塚美普(現・平塚),伊勢原美普(私たちの教会!),静岡美普(現・静岡草深),熱田美普(現・熱田),名古屋美普(現・中京),四日市美普(現・幸町)などの諸教会と,名古屋学院,横浜英和(横浜成美→横浜英和)などを残して行く。
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教会の歩みとは,人の歩みではない。教会の歩みとは,F.C.クラインから始まる宣教師たちが表敬される歩みではない。教会の歩みとは稲沼鋳代太牧師ら美普教会の教役者たちが顕彰される歩みではない。
教会の歩みとは,「ふさわしくないままで」主に捕らえられ,福音の内に入れられ,聖餐の恵みに与かる者とされた,その喜びを,市井に生きる信仰者として伝えて行く,そのことに尽きる。“キリストは,この私のために,世に来られた”,という言葉は真実であり,そのまま受け入れるに値します,との告白を生きる,こと。
「値します」と訳されている言葉は,本来は,天秤におもりを吊り下げること(玉川)。そこから,重要である,価値がある,という意味が出て,聖書の中では,「ふさわしい」とか「値する」というように用いられる。キリストは,罪人であるこの私を救うために,この私のために世に来られた。その言葉の真実の重みに自分を預けきる,ということが「値します」との聖句を己が言葉とするということ。そのことに人生を賭し続けてきた信仰の先達たちの歩みに,無名の一人として連なって行きたいと,それ故思う。