教会暦・行事暦より

「主の幼年物語」
(ルカによる福音書2章22-52節)

 「主の幼年物語」と総称される、「降誕」以降の、「主の命名」、「主の奉献」と、その後の12歳までの出来事は、ルカ福音書にのみ記されています。
 ルカが記す「主の幼年物語」は、「ナザレに帰り、両親に仕えてお暮らしになった」(2章51節)という言葉に象徴されるように、ナザレで両親と共に暮らす
日々です。この間、マリアはイエスの言葉の意味は分からないまでも(50節)、その「すべてを心に納めて」(51節)歩みます。
 古代の教会著作者たちは、弟子たちが母マリアから聞いていた語しをルカが採取して、「幼年物語」を構成したのであろう、と推測しました。
 確かに、古代の信仰者たちと一緒に、マリアの語りがルカ福音書の2章の背景にある、と考えるのは感動的です。「主の奉献」の際の、特にマリアに向かって老
アンナが語る出来事、12歳での宮詣の際のイエスの言葉、それらは、母マリアしか知り得ない出来事です。
(- もっともだからこそ、マリアの語りに仮託したルカの創作、それも実にロマンチックな! という理解も可能なわけです。近代の批判的解釈学者たちはその
ように理解しています- )。
 ルカは、「両親に仕えて」暮らすイエスと、そのイエスの出来事を「すべてを心に納めて」日々を過ごすマリアとを、私たちに示しています。
 イエスの地上でのご生涯とは、「公生涯」と呼ばれる宣教の日々だけでなく、生まれたばかりの時から、12歳という当時の人にとって“一人前”として扱われ
るようになる時期までをも含む、まさに「人」としての歩みなのだ、とルカは私たちに語りかけています。
 イエスは、何か、超人的な仕方で成長を遂げたわけではありません。
 むしろ、喜怒哀楽にとんだ職人の家庭での日々の生活をおくられたのです。
 父ヨセフに従って「大工」としての仕事を覚え、ごく簡単な図面で大伽藍を建てるような勘と経験の積み重ねをしたことでしょう。
 また、「稼ぎ」を得ることの大変さを、身をもって知ったことでしょう。主はそのように日々を送り、マリアは、「剣(つるぎ)、汝(なんじ)の心をも貫(つ
らぬ)くべし」(35節。文語訳)とはどういう意味なのかと、折々に思い起こしては,心の内にひそやかな不安を感じつつも、でも、あのガブリエルが伝えた言
葉に励まされて、毎日を朝星(あさぼし)の刻限から、夜星(よぼし)の時まで働いて過ごしたのでしょう。
 実に、主の幼年時代とは、十字架を遥かに仰ぎつつ、「剣、汝の心をも貫くべし」との覚悟の前に、つかの間、ヨセフとマリアそしてイエスという家庭に訪れた
安らぎの時であったのだ、と言うこともできると思うのです。