2014年礼拝予定・行事予定

このページでは今後の礼拝予定と行事予定を、紹介しています。

1. 2014年度 礼拝予定

3月29日(日)棕櫚の主日礼拝
 聖書   イザヤ書 45章 21-25節
 説教   「救いを与える神」 新井美穂 牧師
 讃美歌  308、298、300、436、26

3月22日(日)四旬節第5主日礼拝
 聖書   ヨハネによる福音書 12章 20-33節
 説教   「イエスにお目にかかりたいのです」 服部能幸 牧師
 讃美歌  308、306、407、468、26

3月15日(日)四旬節第4主日礼拝
 聖書   ヨハネによる福音書 3章 14-21節
 説教   「荒れ野で蛇を上げたように」 服部能幸 牧師
 讃美歌  308、5252、305、186、26

3月8日(日)四旬節第3主日礼拝
 聖書   ヨハネによる福音書 2章 13-22節
 説教   「神殿を壊してみよ」 服部能幸 牧師
 讃美歌  308、300、433、411、26

3月1日(日)四旬節第2主日聖餐礼拝
聖書   マルコによる福音書 8章 31-38節
 説教   「イエスは振り返って」 服部能幸 牧師
 讃美歌  308、290、304、355、312、83、86、26

2月22日(日)四旬節第1主日
 聖書   マルコによる福音書 1章 9-15節
 説教   「野獣と一緒」 服部能幸 牧師
 讃美歌  308、284、297、452、26

2月15日(日)大斎節前主日(受難節前第1主日)
       創立111周年聖餐礼拝
 聖書   マルコによる福音書 1章 40-45節
 説教   「何も話さないように」  服部能幸 牧師
 讃美歌  283、288、417、460、509、83、86、29

2月8日(日)顕現後第5主日(受難節前第2主日)礼拝
 聖書   マルコによる福音書 1章 29-39節
 説教   「悪霊はイエスを知っていた」 服部能幸 牧師
 讃美歌  283、53、396、445、29

2月1日(日)顕現後第4主日(受難節前第3主日)聖餐礼拝
 聖書   マルコによる福音書 1章 21-28節
 説教   「評判は広まった」 服部能幸 牧師
 讃美歌  283、225、291、485、74、83、86、29

1月25日(日)顕現後第3主日礼拝 
 聖書   マルコによる福音書 1章 14-20節
 説教   「彼らは漁師だった」 服部能幸 牧師
 讃美歌  283、361、403、516、29

1月18日(日)顕現後第2主日礼拝
 聖書   サムエル記(上) 3章 1-20節
 説教   「主よ、お話ください」 服部能幸 牧師
 讃美歌  283、572、425、189、29

1月11日(日)顕現後第1主日礼拝
 聖書   マルコによる福音書 1章 7-11章
 説教   「あなたはわたしの愛する子」 服部能幸 牧師 
 讃美歌  283、290、278、277、29

1月4日(日)降誕後第2主日聖餐礼拝
 聖書   マタイによる福音書 2章 13-23節
 説教   「ヨセフは起きて」 服部能幸 牧師
 讃美歌  266、443、276、272、411、83、86、29

12月28日(日)降誕節第1主日(歳晩主日)礼拝
 聖書   ヨハネによる福音書 1章 1-18節
 説教   「恵みの上に恵み」 新井美穂 牧師
 讃美歌  266、257、259、273、29

12月24日(水)降誕前夜・Xmasイブ燭火礼拝  19:00~
 説教   「神に栄光、地に平和の約束」 新井美穂 牧師

12月21日(日)待降節第4主日Xmas聖餐礼拝
 聖書   ルカによる福音書 1章 26-38節
 説教   「お言葉どおり」  服部能幸 牧師
 讃美歌  

12月14日(日)降誕説第3主日礼拝
 聖書   ヨハネによる福音書 1章 19-34節
 説教   「わたしはこの方を知らなかった」 服部能幸 牧師
 讃美歌  182、232、237、238、28

12月7日(日)降誕節第2主日聖餐礼拝
 聖書   マルコによる福音書 1章 1-7節
 説教   「その方が」  服部能幸 牧師
 讃美歌  182、55、236、410、390、83、86、28

11月30日(日)降誕節第1主日
 聖書   マルコによる福音書 13章 24-37節
      イザヤ書 63章 19(b) – 64章 8節
説教   「御前に山々が触れ動く」 服部能幸 牧師
讃美歌  182、240、243、536、28

11月23日(日)収穫感謝祭・終末主日・全体礼拝
 聖書   出エジプト記 20章 1-3節
 説教   「一人じめじゃなくて」 新井美穂 牧師
 讃美歌  40(21-171)、101(21-なし)、102(21-なし)、24-2(21-64)、25(21-24)
  CSの子どもたちと一緒に礼拝します。讃美歌の番号は、CS讃美歌(讃美歌21の番号)です。

11月16日(日)終末前主日
 聖書   マタイによる福音書 25章 14-30節
 説教   「隠しておきました」 服部能幸 牧師
 讃美歌  577、572、502、127、88

11月9日(日)終末前々主日礼拝
 聖書   マタイによる福音書 25章 1-13節
 説教   「皆、眠り込んでしまった」 服部能幸 牧師
 讃美歌」 577、230、339、468、88

11月2日(日)三位一体後第20主日・召天者記念日聖餐礼拝
 聖書   マタイによる福音書 23章 1-12節
 説教   「仕える者になりなさい」  服部能幸 牧師
 讃美歌  3、461、390、380、411、83、86、88

10月26日(日)三位一体後第19主日礼拝
 聖書   マタイによる福音書 22章 34-46節
 説教   「主なる汝の神を愛すべし」 服部能幸 牧師
 讃美歌  3、459、378、358、88

10月19日(日)三位一体後第18主日礼拝
 聖書   マタイによる福音書 22章 15-22節
 説教   「神のものは神に」 服部能幸 牧師
 讃美歌  3、450、343、297、88

10月12日(日)三位一体後第17主日礼拝
 聖書   マタイによる福音書 22章 1-14節
 説教   「婚筵(こんえん)」 服部能幸 牧師
 讃美歌  3、357、446、517、88

10月5日(日)三位一体後第16主日聖餐礼拝
 聖書   マタイによる福音書 21章 33-43節
 説教   「本国は天」  新井美穂 牧師
 讃美歌  3、205、424、559、423、83、86、88

9月28日(日)三位一体後第15主日礼拝
 聖書   マタイによる福音書 21章 28-32節
 説教   「先に神の国に入る」  服部能幸 牧師
 讃美歌  3、394、401、480、88

9月21日(日)三位一体後第14主日礼拝
 聖書   マタイによる福音書 20章 1-16節
 説教   「約束」    服部能幸 牧師
 讃美歌  3、512、419、392、88

9月14日(日)三位一体後第13主日礼拝
 聖書   マタイによる福音書 18章 21-35節
 説教   「帳消し」   服部能幸 牧師
 讃美歌  3、236、390、440、88

9月7日(日)三位一体後第12主日聖餐礼拝
 聖書   ローマの信徒への手紙 12章 9-21節
 説教   「希望をもって、喜び、忍ぶ」 新井美穂 牧師
 讃美歌  3、429、473、481、499、83、86、88

8月31日(日)三位一体後第11主日礼拝
 聖書   マタイによる福音書 16章 21-28節
 説教   「弟子たちに打ち明け始められた」 服部能幸 牧師
 讃美歌  3、560、466、300、88

8月24日(日)三位一体後第10主日礼拝
 聖書   ローマの信徒への手紙 11章 25-36節
 説教   「栄光が神にありますように」 溝部 昂 牧師  
 讃美歌  3、165、506、464、88

8月17日(日)三位一体後第9主日礼拝
 聖書 ヨハネの手紙(一)1章 5-10節
 説教   「光の中を歩む」 小西淳牧師(松崎教会担任教師)
 讃美歌  3、484、470、509、88

8月10日(日)三位一体後第8主日礼拝
 聖書   マタイによる福音書 14章 22-33節
 説教   「夕方になっても、ただひとり」  服部能幸牧師
 讃美歌  3、166、187、456、88

8月3日(日)平和主日・三位一体後第7主日聖餐礼拝
 聖書   マタイによる福音書 14章 13-21節
 説教   「人里離れた所」   服部能幸牧師
 讃美歌  3、286、371、535、513、83、86、88

7月27日(日)三位一体後第6主日礼拝
 聖書   マタイによる福音書 13章 31-33 44-49(a)節
 説教   「人を義とされるのは神」 服部能幸牧師
 讃美歌  3、491、363、201、88

7月20日(日)三位一体後第5主日礼拝
 聖書   マタイによる福音書 13章 36-43節
 説教   「刈り入れる者は天使」 服部能幸牧師 
 讃美歌  3、491、363、201、88

7月13日(日)三位一体後第4主日礼拝
 聖書   マタイによる福音書 13章 18-23節
 説教   「心の中に蒔かれたもの」  服部能幸牧師
 讃美歌  3、453、518、541、88

7月6日(日)三位一体後第3主日聖餐礼拝
 聖書   マタイによる福音書 11章 25-30節
 説教   「わたしの軛は負いやすく」 服部能幸牧師
 讃美歌  3、408、435、468、81、83、86、88

6月29日(日)三位一体後第2主日礼拝
 聖書   マタイによる福音書 10章 34-42節
 説教   「冷たい水一杯でも」  服部能幸牧師
 讃美歌  3、342、485、535、88

6月22日(日)三位一体後第1主日礼拝
 聖書   マタイによる福音書 10章 16-33節
 説教   「あなたがたを遣わす」
 讃美歌  3、51、491、540、88

6月15日(日)(三位一体主日)花の日こどもの日全体礼拝
          全体礼拝ですので、am9:00から始まります。
 聖書   マタイによる福音書 4章 18-22節
 説教   「わたしについて来なさい」
 讃美歌  (こ)114、(こ)94、(こ)118、(こ)24-2、(こ)32

6月8日(日)聖霊降臨祭(ペンテコステ)聖餐礼拝
 聖書   コリントの信徒への手紙(1) 12章 4-13節
 説教   「同じ唯一の霊の働き」
 讃美歌  331、344、347、406、411、83、86、28

6月1日(日)昇天後主日(ききたまえ)聖餐礼拝
 聖書   使徒言行録 1章 8-14節
 説教   「エルサレムに戻って来た」
 讃美歌  331、225、291、397、79、83、86、28

5月25日(日)復活後第5主日(いのれ)礼拝
 聖書   ヨハネによる福音書 15章 1-8節
 説教   「弟子となる」
 讃美歌  331、227、288、460、28

5月18日(日)復活後第4主日(うたえ)礼拝
 聖書   ヨハネによる福音書 14章 1-14節
 説教   「道を知る」
 讃美歌  331、322、323、505、28

5月11日(日)復活後第3主日(よろこべ)礼拝
聖書   ヨハネによる福音書 10章 1-10節
説教   「羊その声を知る」 
讃美歌  331、97、148、290、28

5月4日(日)復活後第2主日(主のあわれみ)聖餐礼拝
聖書   ルカによる福音書 24章 13-35節
説教   「一行は目指す村に近づいた」
讃美歌  331、287、334、513、81、83、86、28

4月27日(日)復活後第1主日(新生)礼拝
聖書   ヨハネによる福音書 20章 16-31節
説教   「聖霊を受けなさい」
讃美歌  331、324、325、326、28

4月20日(日)復活祭(イースター)聖餐礼拝
聖書   ヨハネによる福音書 20章 1-10節
説教   「見て、信じた」
讃美歌  331、325、322、316、76、83、86、28

4月13日(日)棕櫚の主日(四旬節第6主日)礼拝
聖書   マタイによる福音書 27章 50-56節
説教   「遠くから見守っていた」
讃美歌  16、1篇131、1篇137、296、84

4月6日(日)四旬節第5主日(ユディカ)聖餐礼拝
聖書   ヨハネによる福音書 11章 38-44節
説教   「石を除けよ」
讃美歌  16、Ⅰ篇128、295、486、77、83、86、84

余滴

(イースター黙想)
「走って行って」
(ヨハネによる福音書20 : 2 )

復活の朝早く、ヨハネ福音書では、マグダラのマリアだけが走る 。
マリアは、
十字架の上でキリストが、
「成し遂げられた」と言われて死なれた、あの時(ヨハネ福音書19 : 30 )、
葬りのための充分な時間が取れなかったので、
安息日が明け、夜が明けるのを、じりじりと待って、
エルサレムから、あの「園」 ( 19 : 41 )の 新しい墓まで走り、
誰よりも早く、墓に着いた。

誰よりも早く、だったのに、
でも、
墓の石は既に、何者かによって「取りのけて」あった ( 20 : 1 )。

マリアは、
再び走って、
ペトロと主の愛弟子とに、
「見た」ことを告げる。

そして、
さらに走って、
ヨハネやペトロと共に墓に戻る。

マリアは、主に追いつこうと思って走ってきた。
キリストの後ろ姿に向かって、その背中に追いすがろうと思って、
その背中を目指して走ってきた。
だからこの時、「身をかがめて墓の中を見る」。

彼女は、
自分の視線の前方にキリストがおられる、と思っている。
「墓の中に」、私の視線が見極めようとするその先に、キリストがおられる、と思って、
「墓の中を見る」。

確かに信仰とは、
キリストの十字架を仰いで己が馳せ場を行くこと。
マグダラのマリアも、そのようにキリストを追う。
その走りは立派。信仰ゆえの、あっぱれな、確実な足の運び。
キリストのみを目指して馳せ行く見事な走法。
でもそれは、
“キリストの背中に追いつきたい”という、彼女の思い。
そう、マルアは、“自分の思い”で走る。

そして、行き着いた「墓」で、
誰よりも早く来たはずの「墓」で、
人の思いを越えた神の御心が実現しているのを見る。

既に、
墓の石は、神の御旨によって取りのけられている。
でも、人はそのことを悟り得ない。
マリアもまた理解できない。

そして、自分の前にのみキリストを見いだそうと、ひたすら走って来たマリアに、
否、私に、
主は、後ろから近づいてくださる ( 14、16節)。
マリアは「振り返って」キリストと出会う。

今日、
キリストの復活に出会った者は、
マグダラのマリアも、
また私も、
後ろから近づいて来られるキリストの証言者になる。
前方、キリストの十字架を仰ぎ、人の計画 ( プラン ) に先立って、
神さまの摂理 ( ヴィジョン ) が実現することを確信し、
後方、近づいて来てくださるキリストに背中を押していただいて、
「わたしは主を見ました」( 18節 ) と
語り、伝えて行く者とされる。

そう、
復活の朝に、キリストに出会うために走る者は、皆。

余滴

四旬節黙想(2)
「わたしの後ろに従いたい者は、」
( マルコによる福音書8:34 )

私が固執するものは、何か。
“そんなことに?”、と人が言うような、“細かい”、或いは、“意味のない”ことに私はこだわる。
正確に言うのであれば、私は、私が、何にこだわっているのかを知らない。
そして、周囲からは、“おや、あんなことに固着するのだねぇ”、と思われていたりする。

私は執着する。
キリストの目からは実に不要な、無意味な事柄に対して。
そしてキリストは、私をも叱ってくださる。
あなたは、「人間のことを思っている」(同33節)と。

キリストは、主を戒めるペトロに、「わが後に退け」(文語訳。新共同訳は「引き下がれ」)と言われるように、
“私の後ろに従って来なさい”、と私にも声をかけてくださる。
“人間的なこだわりを捨てて、そういう自分かかえたまま、私の後ろに従って来なさい”、と。
十字架をしっかと見据えたまま、主は、私の傍らを通りかかる時に、そう、声をかけてくださる。

さて私は、声をかけてくださる主の眼差しに応えることができるのか。