余滴

四旬節黙想(2)
「わたしの後ろに従いたい者は、」
( マルコによる福音書8:34 )

私が固執するものは、何か。
“そんなことに?”、と人が言うような、“細かい”、或いは、“意味のない”ことに私はこだわる。
正確に言うのであれば、私は、私が、何にこだわっているのかを知らない。
そして、周囲からは、“おや、あんなことに固着するのだねぇ”、と思われていたりする。

私は執着する。
キリストの目からは実に不要な、無意味な事柄に対して。
そしてキリストは、私をも叱ってくださる。
あなたは、「人間のことを思っている」(同33節)と。

キリストは、主を戒めるペトロに、「わが後に退け」(文語訳。新共同訳は「引き下がれ」)と言われるように、
“私の後ろに従って来なさい”、と私にも声をかけてくださる。
“人間的なこだわりを捨てて、そういう自分かかえたまま、私の後ろに従って来なさい”、と。
十字架をしっかと見据えたまま、主は、私の傍らを通りかかる時に、そう、声をかけてくださる。

さて私は、声をかけてくださる主の眼差しに応えることができるのか。