余 yoteki 滴(3月22日)

四旬節黙想

「わたしの後ろに従いたい者は、」
( マルコによる福音書8:34 )

私が固執するものは、何か。“そんなことに?”、と人が言うような“細かい”、或いは、“意味のない”ことに私はこだわる。
正確に言うのであれば、私は、私が、何にこだわっているのかを知らない。そして、周囲からは、“おや、あんなことに固着するのだねぇ”、と思われていたりする。
私は執着する。キリストの目からは実に不要な、無意味な事柄に対して。
そしてキリストは、私をも叱ってくださる。あなたは、「人間のことを思っている」(同33節)と。

キリストは、主を戒めるペトロに、「わが後に退け」 (文語訳。新共同訳は「引き下がれ」) と言われるように、“私の後ろに従って来なさい”、と私にも声をかけてくださる。“人間的なこだわりを捨てて、そういう自分をかかえたまま、
私の後ろに従って来なさい”、と。十字架をしっかと見据えたまま、主は、私の傍らを通りかかる時に、そう、声をかけてくださる。さて私は、声をかけてくださる主にどうお応えすればいいのか。
(2014/3/30週報改)