【 余 yoteki 滴 】

どうしてそうなるのか、その人は知らない。

(マルコ福音書 4 章 26 – 27 節)

 

「人が土に種を蒔いて、夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長する」( マルコ4 : 26 – 27 )と、キリストはいわれる。ある意味、投げやり。昼も夜も、畑の様子を見ては、一喜一憂する、という方が、「百姓」の姿ではないのだろうか、と私は思ってしまう。

キリストが、「百姓」の苦労を知らなかった、ということではないと思う。むしろ日常の事としてよく知っていた、と思う。日照りにおびえ、冷夏を嘆き、イナゴの大軍の前に藁を焚いて抵抗する、そういう「百姓」を見てきた。ご自身は土地を持たない、嗣業の地を失った手間仕事をするテクノーン(通常「大工」と訳されるギリシア語)であったとしても、村で、旅先で、そういうさまざまな「百姓」を見てこられた。

だから、「そうしてそうなるのか、その人は知らない」などとは、一片も思ってはおられない。「百姓」の苦労をご存知でなお、キリストは、ある日芽を出し、収穫まで育つ作物の不思議を語られる。

最後は、神のみ旨であるから、と。

神の御国は、そういうものなのだ、とキリストは言われる。

人の思い、努力、予定をはるかに超えた形で、あなたの前に「神の国」はある、と。も知っておられる。

(2018年7月1日の「週報」掲載)

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