余yoteki滴

七夕

 

本日、七夕です。

星を信仰の対象とするのは、古代社会で普遍的なことです。新約聖書でも、東方の占星術の博士たちは、星に導かれてキリストの元に来ます。

星の輝きは、いつでも不思議なことなのだと思います。

 

そして、去年は、西日本を豪雨が襲いました。

私が、教区の問安使として岡山・倉敷を訪れたのは7月の末でしたが、本来であれば稲刈りを迎えていたと思われる水田が、干からびた土砂の中に埋もれていました。

備州は江戸時代には既に有数の穀倉地帯です。ですからその光景は、この列島に生まれた者としては、何とも言い難い、悲しみに満ちた光景でした。水田の再建は難しいかも知れません。

そして、その水田と共に、多くの建売住宅なのでしょうか、新しい雰囲気の家が、二階まで水没した様子がありありと伺える状況でした。その中で、大庄屋なのでしょうか、古くからの家が、高く土塁を組み、その上にさらに屋敷の周りに白壁を巡らして水害を免れているのは象徴的でした。古くからの土地の人たちが持っている見識が受け継がれていなかったことにも、残念な気持ちが強く押し寄せてきました。私たちは、「文明」という名の下に、何を失ってきたのか、考えさせられる時でした。

 

それにしても、都会の空は星を見分けることもできないくらいになってしまいました。

世界の全てを作られた全能の神を信じる私たちにとって、神さまは、星をも作られた方ですから、もう少し夜空の美しい生活を取り戻しても良いのではないかな、と思います。さて、でも今日、彦星、織星は輝いてくれるでしょうか。天気は御手の内です。

(2019/07/07週報掲載)

 

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