余滴(2013年3月10日)

四旬節黙想
(2013/3/10)
「憐れに思い」
(ルカ福音書15:20)

キリストは、15章の3つの喩えの最後に「放蕩息子の帰還」を語られる。
帰って来るであろう息子を、一日千秋の思いで待っている父は、自分の時間が無情に流れて行くのを思う。あの子は、私が生きている内に帰って来ることができるだろうか。
実は、キリストがこの「物語り」を語るのを聞いている人たちは、父が生きている内に帰って来られなかった古い「物語り」を知っている(創世記27章以下のヤコブの物語り)。
だから聴き手は、父の存命中に戻れることの喜びを共有できる。父の喜びに共感できる。「孝行のしたい時に親は無し。さればとて石に布団は着せられぬ」とは江戸時代の「心学」の言葉だが(ちなみに、「石」とは墓石のこと)、最後の時に間に合う、この滑り込みセーフのような息子の幸運を、私たちも知っている。それ故キリストは、ではあなたは、いつ神の求める生き方へと立ち帰るのだ、と今日、私に問われる。十字架への歩みの途上で、はっきりと、私に向かって振り返られて。