余yoteki滴

主よ、わたしの言葉に耳を傾け つぶやきを聞き分けてください

(詩 5 篇 2 節)

 

詩人は、嘆きの内にある。

嘆かざるを得ない内容はわからない。詩人は深い嘆きの中にあるので、「朝ごとに、御前に訴え出て」(4節)祈らなければならない。詩人は、朝ごとの祈りを、神殿での祈りを、「わたしの王、わたしの神よ」(3節)と始める。

 

詩人は、「わたしの王、わたしの神よ」と祈る。

古代の詩編の編集者は、ヤハウェにこのように祈り得るのはダビデその人に違いないと思い、この詩に「賛歌。ダビデの詩」という詞書を与えたのだろう。

でも同時に、詞書に、「指揮者によって。笛に合わせて」と記されているように、この詩は、神殿で、朝の礼拝毎に歌われたのかも知れない。もしそうであるならば、この詩は、神殿で祈るものは、誰でも、ヤハウェを「わたしの王、わたしの神よ」と呼びかけることができる、と私たちに示す。

 

つまり、神の前に立つ者は、深い嘆きを抱えて、朝ごとに神の前に立とうと願う者は、誰でも、地上の王、権威、位階を越えて、ただ神のみを「王」とする神の秩序のうちに生きる者なのだ、とそのよう宣言されている。

そして私も、この世の秩序ではなく、神の秩序のうちに歩むのだと確信し、そのように歩み出す時に、神を「わたしの王、わたしの神よ」と呼ぶことができる、そのように招かれる。

 

詩人の祈りは、「つぶやきを聞き分けてください」というもの。

「つぶやき」は、口語訳では「嘆き」。文語訳では「わが思(おもひ)」。月本先生は「呻き」と訳すことを提案しておられる(「詩編の思想と信仰Ⅰ」)。

詩人の祈りは、明瞭な形にならない。

嘆きが深く、その祈りは、心の思(おもひ)は、十分に吟味された思索には程遠いまま口から出されて行く。思いは乱れ、よって言葉もまた「つぶやき」にしかならない。「呻き」にしかならない。

ハンナが「主の御前に心からの願いを注ぎ出しておりました」(サムエル記上1 章 15 節 )と言うように、心の思いを注ぎ出すような祈りは、「つぶやき」、声にならない「呻き」。

 

そして詩人は、そのような乱れた祈りに、神は耳を傾けてくださると、信じている。

そう、神は私の心の呻きを一番よく知っていてくださる。語り得ない、言葉にしないと決めた、声に出すことのできない「つぶやき」を、「呻き」を、主は聞いてくださる。

そしてハンナにエリが言うように、私たちは、私に語られる主の御声を聞く。「安心して帰りなさい。イスラエルの神が、あなたの乞い願うことを叶えてくださるように」(サムエル記上1 章 17 節 )。キリストは、そのように必ず語りかけてくださる、私に。

(2/1(金)の「ローズンゲン」の旧約日課から)

(2019/02/03週報掲載)

 

余yoteki滴

あけましておめでとうございます。

主の降誕2019年を主が御手の内においてくださり、その豊かな恵みの内を歩むことができますように!

 

伊勢原教会で湘北地区の新年合同礼拝がもたれるのは2011年以来のことだと思います。地区の牧師先生方にもずいぶんと変化がありました。また、教会・伝道所を取り巻く状況も、変わってきています。日本キリスト教団の教勢はずっと右肩下がりです。2019年度の教団予算は、とうとう収入が(伝道資金負担金を含んでなお、)3億円を下回ります。

 

そして、それぞれの教会・伝道所の財務的な内実も厳しい状況です。

でも、私たちの内に不安はありません。だって、教会はもっと大変な時代を経験してきました。教勢が伸び悩む、それどころか落ち込む、ということを、大なり小なり体験して来ました。そしてそれでもなお、教会は、御手の内を歩んで来たのですから。

 

今日、1月1日は12月25日から8日目です。

聖餐式の中の「特別序唱(特別叙唱)」には、「ことに、聖霊の働きによって,御子をおとめマリアから生まれさせ,まことの人としてくださいました。これは御子がその汚れない人性をもって,私たちのすべての罪をきよめてくださるためです」との祈りがあります。まだ、生まれて8日目のイエスさま、でも、無力なこのお方こそが、「私たちのすべての罪をきよめてくださる」方なのです。

 

私たちが信頼し、唯一と確信しているこの方は、今日、まだ命の8日目を歩んでおられます。

でも、その方は「私たちのすべて」なのです。この方が、のちのち偉大なお方になるから私たちは信頼しているのではないのです。

この方が、この方であるから、私たちはこの方に信頼をよせるのです。そのことの素晴らしさに気づいて行けたらと、今日、思うのです。

 

教会には、争いや分裂、悲しみや痛みがあります。でも、そういう全てを私に預けなさい、と言ってくださる方は、まだ生まれて8日目の赤ちゃんなのです。

そして、ここに真理があります。

私たちが誰かの庇護を得たいと思う時、その人は大きな力を持っている、と私たちに感じられる人なのでしょう。でも、本当に私たちが唯一頼りにする方は、無力の極みにおられるのです。

そうです。

私たちの人間としてのモノサシ、基準、判断を、私たちが知恵だと思っているものを、私たちが打ち捨てた時、私たちは、無力の極みにおられるこのイエスこそが、「私のすべて」なのだと気づくのです。人の思い、人の願い、人の思考によって霞んでる視野を、それらを打ち捨てて視界を開いていただく時、私たちは十字架以外何も知るまい、と祈る自由を与えられるのだと思うのです。

 

2019年、私たちが無垢な信仰を歩み、キリストを信じる真理へと深く、確実に、主によって招き入れていただく事を願って行きたいとこそ思うのです。

(2019/01/01湘北地区新春聖餐礼拝用書掲載)

余yoteki滴

求める心、探す勇気

求めなさい。そうすれば与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。

(マタイによる福音書7章7節)

「園だより」1月号より

 

1月のキ保連(「キリスト教保育連盟」の略称)の主題聖句は、マタイによる福音書7章からとられています。イエスさまは、まず私たちに「求める」心を持つように、と教えられます。

私たちは、苦労や、大変なことばかりだと、どうしても下を向いてしまいがちです。

うつむいてしまっている時、目線を上げて高く天を見上げて「求める」ということは、なんだかとても難しいことのように感じられてしまいます。目を上げたって無駄だと思ってしまいますし、そんなことに時間を使っている暇なんでない、と思ってしまいます。

でも、イエスさまは、困難な時、下を向かざるを得ない時に、そういう時にこそ、顔を上げなさい、首を伸ばしてごらんなさい、とおっしゃるのです。そして、山を越えてその向こう側を見ようとするかのように、神さまを訪ね求めなさい、と教えられます。

「求めなさい。そうすれば与えられる」(マタイによる福音書7章7節)。

なんと確信に満ちた言葉なのでしょう。求めるものは、必ず与えられる、と。

でも、現実の日々は決してそんなに甘くはありませんよ、と私たちは知っています。神さまにどんなに祈っても、私の願いは聴かれない、そういう経験を、私たちは積み上げて行きます。そして、ゆっくりと諦めて行きます。それが、「大人なのだ」、と思うようになります。そしてエスさまは、そういう私たちに、だからこそ、頭を上げなさい、と言われる。

「探しなさい。そうすれば与えられる」

イエスさまは続けてこう言われます。「探す」ということは、探すために動き回る、ということです。「捜す」ために出立する、ということです。「捜す」ものは、真理です。私たちの生き方の根幹です。本物の生きる指針を「捜す」ために、さあ、立ち上がって旅立ちなさい、とイエスさまは言われるのです。

(「園だより」に服部能幸教師が書いているコラムから。一部修正しています)

(2018/12/16週報掲載)

余yoteki滴

救い主を探しに

(マタイによる福音書2章1節以下)

「園だより」12月号より

 

キ保連(「キリスト教保育連盟」の略称)の12月の聖句は、マタイによる福音書2章からとられています。この個所は、東方の博士たちが、「ユダヤ人の王としてお生まれになった方」(マタイによる福音書2章2節)を礼拝するためにはるばるやって来たところです。

東方の博士たちは、ただ「星」だけを頼りに、まだ見たことのないイエスさまを尋ねる旅に出ました。もちろん、彼らの行動には、彼らなりの論理がありました。でも、周囲から見れば、それはものすごく無謀なことと映ったことでしょう。遠くユダヤまで? 生涯をかけて? 今での積み上げてきた名声も、権威も投げ捨てて? どうしてそこまでするの? その旅に意味はあるの? そう、周りは思い、博士たちの行動を止めようとしたかもしれません。でも博士たちは、親しい人たちの反対を押し切って、旅に出ました。「星」だけを頼りにして。

ところが博士たちは、ユダヤに入ったあたりで、自分たちを導いてくれていた「星」を見失ってしまいました。そこで、彼らはヘロデの王宮に行き、「王としてお生まれになった方」はどこにおられるのか尋ねることにしました。彼らの決断は勇気のあるものでしたが、同時に、大変危険なものでした。彼らは、現職の王であるヘロデに、地上の権威者であるヘロデに、未来の、そして本当の権威である王はどこにおられるのか、と尋ねたのです。

マタイによる福音書2章は、「これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった」(3節)と記しています。救い主が来られるということが、王を、エルサレムの人々を「不安」にさせる、のです。

東方の博士たちは、キリストのご降誕に出会うために、そしてそのお方を礼拝するために、生涯を傾けて、キリストとの出会いを求めている人たちです。イエスさまに出会う、ということは、私たちの人生が、それまでの私の歩みが、根底から覆って行く、そういう出来事です。クリスマスという出来事に出会うということは、私たちを、今までとは違う生き方へと招くのです。

(「園だより」に服部能幸教師が書いているコラムから。一部修正しています)

(2018/12/16週報掲載)

余 yoteki 滴

バタバタと忙しい。会議、ミーティング、打ち合わせに沢山の時間を使っている。そういう日々で与えられたみ言葉。「そのころ、イエスは祈るために山に行き、神に祈って夜を明かされた」(ルカによる福音書6章12節)。11月7日のテゼの日課。日課自体は、6章12節から19節まで。イエスが弟子を選び、その弟子と共に「山から下りて、平らな所にお立ちになっ」(17節)て癒しの御わざをなさるとこと。しかし、それらのすべての前にイエスは祈るのだ、と記されている。さて、では私は、と深く思う。

(2018/11/11週報掲載)

余yoteki滴

「あなたがたはキリストのもの、キリストは神のものなのです」

(コリントの信徒への手紙 (1) 3 章 23 節 )

 

上記の聖句は、10月6日(土)のテゼ共同体の日課。

この日、私は幼稚園の運動会を見ながらこの聖句の意味について思い巡らしていた。パウロは言う。「(あなたがたは)だれも自分を欺いてはなりません」(コリントの信徒への手紙 (1) 3章18節)。

私は、(何とか自分だけは)欺きたい、と思ってしまう。自分の事を鏡で見ないで、自分の事を客観的に見ないで、私は、私が理想とする自分であると(何とか自分だけは)欺きたい、と思ってしまう。

だって、周囲は、私に欺かれないから。等身大の私しか見ていないから。でも私は、(何とか自分だけは)欺きたい、と思ってしまう。

パウロだって、いっぱしの学者になりたいと精進した自分を知っている。博学を誇りたいと願った自分を知っている。でも、キリストと出会った時に、そんな自分の小ささを認めざるを得なかった、という事を知っている(それでも書簡は、充分に衒学的だけれども)。

神の前に何者でもない自分を見つけてしまった。いや、知ってしまった。

だから彼は、「めしいて」しまう。キリストはご覧になっている。傲慢な私も、自分勝手な私も、人との競争に打ち勝つことにのみ価値を置いている私も、セコくて、みっともなくて、失敗だらけの私も、キリストはそのままご覧になっている、と知ることになる。だから彼パウロは、そんなキリストのまなざしに耐えられないと思い、「めしいて」しまう。

そして、キリストを信じるという生き方は、「自分を欺かない」という生き方なのだ、と気づかされた時に(時間はかかったと思うけれども)、「目から鱗」の経験をする。キリストは私を受けとめていてくださっている、既に。あとは、私を、私が受けとめる事、と気づく時に、パウロは「目から鱗」を経験する(そこに至れるのは、すごいことだと思う)。

簡単なことなのに、本当に簡単なことなのに、この道は遠い、と気づく。「まっすぐな道」を行けば簡単にたどり着けるのに、私は、その道を行こうとしない。だから「まっすぐ」にキリストにたどり着けない。本当に簡単なことなのに。

パウロはその事を何とかして伝えたいと願う。

人生は単純で、キリストがご覧になっている私を、そのありのままの私を、キリストの前に受け入れる。「まっすぐな道」を歩む事なのだ、と。

次の日(10/7)の主日日課で、イエスさまは私に言われる。「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである」(マルコによる福音書10章14節)。そう、私が、私を、妨げている。私がキリストのところに行く事を、私が、妨げている。

運動会は、午前中のクライマックスに差し掛かっていて、年長の子どもたちが旗体操をしている。

子どもたちがグラウンドに登場した曲が終わって、子どもたちは、それぞれの場所にじっとしている。そして次の曲までの「間」が静かに続いている。音楽はなく、子どもたちは動かない。時間だけが流れて行く。緊張した良い時間。不安になっているのは、大人たちであって、練習をしてきた子どもたちではない。そして、楽曲の始まりとともに、子どもたちの演技が始まる。大人たちの、ほっと息を吐く気配が続く。

私は、子どもの無邪気さを生きられない。だから、「まっすぐ」に歩むことは、難しい。

でも今日、私は、「まっすぐ」に歩むことの難しさを知っている、という歩みへと踏み出させてもらえる。「あなたがたはキリストのもの」と、パウロが招いている言葉によって。「わたしのところに来なさい」とのキリストの招きによって。大人の心配をよそに、じっと「間」を待つ子どもたちの姿によって。

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*引照していない聖句は、使徒言行録9章1節以下に記されているパウロの出来事です。新共同訳は「直線通り」ですが、口語訳は「真(ま)すぐ」、文語訳は「直(すぐ)という街(ちまた)」という訳です。

(2018/10/14週報掲載)

【 余yoteki滴 】

「床を担いで歩きなさい」

(ヨハネによる福音書 5 章 1 – 18 節)

 

キリストと出会う人は、「38年も病気で苦しんでいる人」(5節)と紹介される。

ヨハネ福音書は、彼が「38年も」ベトサダの池の畔にいた、とは書かない。彼についてヨハネが知っているのは、ただ「38年も病気で苦しんでい」た、ということ。

だから、どういう経緯があって、いつ頃から、彼が、ベトサダの池の畔にいることになったのかは、もはや判らない。

彼には頼るべき人は、誰もいない。

だから彼は、「主よ、水が動くとき、わたしを池の中に入れてくれる人がいないのです」(7節)という。

彼には、介護するものも、介助するものもいない。それが「38年」、という年月なのだ、とヨハネは私たちに告げる。

いわゆる「長血の女」が、「財産を使い果たし」、今や、供もなく、たった一人でイエスに後ろから近づくように(マルコによる福音書5章25節以下)、彼はただ一人、ベトサダの池の畔にある。

キリストは、この「38年も病気で苦しんでいる人」に、「良くなりたいか」と問われる。

実は、私は、この「お話し」が嫌い(よく考えてみると、福音書の中の「お話し」は、嫌いなものばかりだ)。特に、イエスさまが、「良くなりたいか」(6節)とお尋ねになるこの個所が嫌い。

「健(すこやか)にならんことを欲するや」(永井直治訳「新契約聖書」)との言葉をイエスさまの口の中に入れる、ヨハネによる福音書を残した信仰共同体が持っている、“病気は治った方がいい”、という思想が嫌い。「病気」はそんなに簡単に治らない。そう、昔も今も。

「病気」は、私の一部。というよりも「病気」である私が、私。

付言しておくが、私は、病気である状況を達観しなければならない、と言っているわけでも、思っているわけでもない。病気の進行を止められないのは、もどかしいし、進んで行く状況を納得するのは本当に難しい。

それでも、「なんぢ癒えんことを願うか」(文語訳)という発想のうちにある健康至上主義が、私は嫌い。

「起き上がりなさい。床を担いで歩きなさい」(8節)とキリストは命じられる。

ヨハネ福音書研究の先生方がどうおっしゃるのか、私には判らないが、キリストは、この人に確かにこう言われたのだと思う。イエスは、「38年も」病いと共にある人に、「よくなりたいか」などとは言われない。自明のことだし、無神経でもある、そのようなことを。

キリストの言葉は、むしろもっと直接。キリストは、私に、「起きよ、汝の床を取り上げよ、且つ歩め」(永井訳)、そう言われる。

キリストが私に命じられるのは、「起きよ」ということ。健(すこやか)になったからなのではない、癒やされたから歩みだせ、というのではない。

キリストは、私に、あなたのそのままで、今のままのあなたのままで、「起きよ」とお命じになる。

変化は、病状や体調ではない。

変化は、キリストの命令を聞いて、それを行う、ということ。

ぶざまな、不甲斐ない、劣悪になりつつある状況のままで、「起きよ」との御言葉に従う、ということ。

彼は歩き出す。

「この人はすぐに良くなっ」たとヨハネは記す。何度も言うが、「良くなる」ことが歩き出すことの前提だと思っているヨハネ福音書が、私は嫌い。そういう「健康な発想」が、私は嫌い。

ところで、どうも、6月中のあれこれの疲れが、どっと来て(教区総会もあって、慣れない“仕事”をしたので。“仕事”がちゃんと出来るようなら、牧師にはなってはいない。あっ、これは私の場合であって、世の中の牧師先生方は違います。念のため)、こりゃあ、ちっと休まないと無理かな、と思っていたら、どうしても幼稚園に顔を出さなければならなくなって、「お預り」で残っていた子たちと折り紙をして遊んでしまった。そうしたら、治りかけていた気管支炎の上に、彼ら彼女らから鼻が出る風邪までちゃんといただくこととなってしまった。

確かに私も生まれた時からの病いを抱えてはいるが、でも、「38年」も病いと共にあるこの男性と私は、全然違う。彼の苦しみを、私は十全に理解することができないし、彼の悲しみを言い表す言葉を持ってはいない。

私がわかるのは、この人は、歩き出したのだ、ということ。彼は歩き出す。「床を担いで歩きだした」。

彼は、どこに向かって「歩きだした」のだろうか。「長血の女」に、もはや財産も家も家僕もないように、この人にも、家も、友も、帰るべき処も、もはやない。彼は行くべき目的地を思いつかない。そして、彼にあるのは、「床」だけ。

彼に命じられているのは、彼が持っているものの全てである「床」を担いで歩み出せ、ということ。彼が抱えている病いを、そのまま傍らに抱きかかえたままで、歩みだしなさい、ということ。それでは、彼は、“どこに”、向かって歩み出すのか。

彼は、ヤケになって歩く。「ユダヤ人たち」と接触し、自分がどうして歩いているのか、その意味を考えさせられる。そして彼は、自分が歩み出すきっかけになったその人を知らない、と気づく。「だれであるか知らなかった」(13節)。

知らないのだ。私たちは。

キリストに出会っている、ということを知らないのだ、私たちは。

床を担いで、ベトサダの池(つまり自分を健康にしてくれる「何か」)と決別して、“どこか”に向かって歩みだしたのに、私がそのように始めたのは、自分で決断したからだと思っているので、「その人」に依拠した結果なのだ、と気づくことができないのだ、私たちは。

彼は、“どこに”、行くのか。

彼は、キリストを求める歩みへと踏み出して行く。

彼は、同胞である「ユダヤ人たち」がキリストを知らない、ということを見極める。「律法」は、自分が行く“どこか”ではない、と気づく。

彼は、キリストと出会うまで歩む。そして神殿で出会う。正確には、キリストは彼を見つけてくださる。「イエスは、神殿の境内でこの人に出会って」くださる(14節)。

そして、彼の生き方が変わる。

彼は「この人は立ち去って、自分をいやしたのはイエスだと、ユダヤ人たちに知らせた」(15節)。

彼には、今や、“どこに”行くのか知っている。

彼が行くのは、「自分をいやしたのはイエスだ」と知らせるため。

その知らせを必要としている“どこか”に向かって歩みだす。

そのために、今いる場所を「立ち去って」行く人へと変えられる。

彼は、自分の床を担いだまま、変えられる。彼は、私が床を担いで歩いているのは、私を癒してくれたのはイエスだ、と告げ知らせるためなのだ、と語る人へと変えられる。

そして私は、床を担いで歩く勇気もなく、園児たちにいただいた「風邪」を持て余して布団に入り、体温計がピピッと鳴るのを待っている。

 

【 余 yoteki 滴 】

どうしてそうなるのか、その人は知らない。

(マルコ福音書 4 章 26 – 27 節)

 

「人が土に種を蒔いて、夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長する」( マルコ4 : 26 – 27 )と、キリストはいわれる。ある意味、投げやり。昼も夜も、畑の様子を見ては、一喜一憂する、という方が、「百姓」の姿ではないのだろうか、と私は思ってしまう。

キリストが、「百姓」の苦労を知らなかった、ということではないと思う。むしろ日常の事としてよく知っていた、と思う。日照りにおびえ、冷夏を嘆き、イナゴの大軍の前に藁を焚いて抵抗する、そういう「百姓」を見てきた。ご自身は土地を持たない、嗣業の地を失った手間仕事をするテクノーン(通常「大工」と訳されるギリシア語)であったとしても、村で、旅先で、そういうさまざまな「百姓」を見てこられた。

だから、「そうしてそうなるのか、その人は知らない」などとは、一片も思ってはおられない。「百姓」の苦労をご存知でなお、キリストは、ある日芽を出し、収穫まで育つ作物の不思議を語られる。

最後は、神のみ旨であるから、と。

神の御国は、そういうものなのだ、とキリストは言われる。

人の思い、努力、予定をはるかに超えた形で、あなたの前に「神の国」はある、と。も知っておられる。

(2018年7月1日の「週報」掲載)

余 yoteki 滴

「イスラエルの人々は主の命令によって旅立ち、主の命令によって宿営した。雲が幕屋の上にとどまっている間、彼らは宿営していた」

(民数記9 章 18 節)

 

先日、ドクターに「体重をはかりましょう」と言われた。

はかってみたけれどもそんなに体重は減っているわけではない。ドクターは、まじまじと私の顔を見て、「やつれているわね」。

確かにアトピーはかなりひどい。これ以上ひどくすると、面差しが変わってしまう。その自覚はある。しかし、やつれていると、言われるとは。

 

で、民数記9:18(5月29日(火)のローズンゲンが上記の聖句)。

「イスラエルの人々は主の命令によって旅立ち、主の命令によって宿営した。雲が幕屋の上にとどまっている間、彼らは宿営していた」。

 

「旅立ち」とは、“始まり”であろう。

人生にはいろいろな“始まり”(旅立ち)がある、と思う。

入学、社会人一年生、婚約、転職。時には「献身」などという“始まり”もある。

 

そして「宿営」とは“ひとつの終わり”であろう。

あるいはそれは、“休止”であるかもしれないし、“終止符”であるかもしれない。ちょうどそれは、「卒業」が次の「入学」や、あるいは、「就職」などの「始まりへの終わり」なのだとすれば、「宿営」もまた、始まりを内に含んでいる終わり、ということになろうか。“終わり”と“始まり”とは、だから、実は同義なのだ、と私は知る。

 

話しはもどるが、先日の血液検査の結果は優等生。

基準値のうちに収まっている。

中性脂肪なんて表彰されてもいい。

でもドクターは続けて言う。「本人が鏡で見るよりも、実際はもっとやつれているわよ」。

そうなのだ。最近続けざまに、疲れてませんか、とか、早く帰ってください、とか言われてしまう。明日一日潰れているのと、一ヶ月入院されてしまうのとでは、明日一日潰れている方がいいです、とか、言われてしまっています、とドクターに言うと、ほら、という顔をされた。

そして「能力で仕事をせずに、肌の状態で仕事しないと無理ね」、と言う。

 

そんなに一所懸命、あれこれとやっているのだろうか私は。

そう、すべての出来事が、“始め”であるとともに“終わり”であるのだとすれば、一つの“終わり”に向かって、つまり次の“始め”に向かって進み続けて行けばよい、それだけのことであろう。

 

民数記は、続く19節をこう記す。

「雲が長い日数、幕屋の上にとどまり続けることがあっても、イスラエルの人々は主の言いつけを守り、旅立つことをしなかった」。

だから、始まりの時も、始まりに至らない日常も、私ではなく主なる神がお決めくださるのだ、と確信して歩みたい。

余yoteki滴

「あなたがたは、キリストにおいて満たされているのです。

キリストはすべての支配や権威の頭です」

(コロサイの信徒への手紙2章10節)(その2)

 

この聖句を一年間かかげて、伊勢原教会は、2018年度をはじめます(3/18の総会で年間聖句として決議。なお、年間標語は、「主こそが私たちの信頼の源泉(みなもと) - 神とともに。喜びのうちに -」)。

2018年度、伊勢原教会は「厳しい」出発をします。現住陪餐会員は、80名を割り込みました。高齢化の波は教会を飲み込もうとしています。日本キリスト教団がゆっくりと長期低落傾向を続けて来たのと同じように、伊勢原教会もまた、困難な右肩下がりの時代を歩もうとしています。予算規模も、年々縮小しています。教会の「実力」というものを示す数字は、おしなべて小さくなってきています。では、それらの事実は、教会が「衰退」している、ということを現している、ということでしょうか。もちろん、教会の現実は「厳しい」です。☆

日本の教会は、何度も「衰退期」を経験してきました。明治20年代以降の国粋化の時代、第二次世界大戦後のキリスト教ブームが去った時代、70年代の「万博・東神大問題」で大きく揺れ疲弊した時代を歩みました。いつの時代も、今までにない危機でした。もちろん解散し、消滅した教会も多くあります。合併し福音の証しを続ける道を選んだ教会も、幾つもあります。分裂し、別々の道を歩む選択へと至った教会もあります。

では、衰退し、危機にある教会は、何をしたらいいのでしょうか。新しい人を教会に誘う、イベントを打って集客する、広告を出す、どれも打つべき手なのかも知れません。でも、それらは教勢を回復させる一時的なカンフル剤にはなるでしょうけれども、永続的な打開策とはならない、と思われるのです。例えば、「ひとりがひとりを誘う」というフレーズを掲げたとしても、たぶん、礼拝出席の増加は、目に見えるほどではないと思います。むしろ、“誘わなければいけない”という呪縛が、教会員を縛ってしまう、そのような悪影響の方が大きいかも知れません。

パウロがシラスと共にフィリピで投獄されていた時、彼らは、ただ、「真夜中ごろ、…賛美の歌をうたって神に祈って」いました(使徒言行録16:25)。パウロたちには、この時、一緒に牢にいる人たちに福音を告げ知らせよう、という積極的な意図はなかったのです。むしろ、パウロとシラスは、困難の只中にあって、全てのことを主にゆだね、主の栄光を讃美することだけを目的として歌い、祈っていました。周りの日人々の為ではなく、もちろん、自分たちの為であるわけもなく、ただひたすら、神の栄光と恵みに感謝をして、歌い、祈っていました。だから、その神への讃美の純粋さのゆえに、「ほかの囚人たちはこれに聞き入っていた」(同節)のでした。

ルカはその時「突然、大地震が起こり、…たちまち牢の戸がみな開き、すべての囚人の鎖も外れてしまった」(26節)、と記します。本当に真心から神の栄光を歌う時、その祈りを主は無になさらない、とルカは記すのです。

私たちは、ここで伝道の不思議さとでもいうものを視ることになります。というのは、この時、パウロたちの有りようを、見て、洗礼を受けたのは、静かにパウロたちの歌と祈りに「聞き入っていた」囚人たちではないのです。「聞き入っていた」囚人たちではなかったのです。むしろ、パウロの祈りと讃美を聞かずに寝入っていて、地震が起こってはじめて「目を覚ました」(27節)看守とその家族でした(33節)。看守が救いへと入れられて行くのです。実に神さまのご計画は不思議です。

実に神さまのご計画は、私たちには悟り得ないものです。パウロたちは「聞き入って」もらう為に祈り、歌っていたのではありません。パウロたちは、聞こうとしない看守の救われることを、もちろん願っていないわけではないと思いますが、でも、第一として、いたわけではないと、そのように言うことができると思うのです。そして、そのような一思いを超えて、神さまの御旨はなるのだ、と使徒言行録は語ります。そのような神さまにのみ信頼する旅が、教会の旅なのだと。

私たちが、この「厳しさ」の中で、いえ、「厳しさ」の中であるからこそ、神さまに信頼して旅し続けるという信仰の本質を深く思って行くことができるとすれば、その時、この「厳しい」時こそが、深い主の恵みと時であると知り得るのだと、思うのです。

(2018年4月1日の「週報」に記載)