余yoteki滴 2016年8月28日

「ねこのふわふわ」

– ちいさなさかな –

 

砂漠の中に、小さなオアシスがあって、

ちいさなさかなが、

住んでいました。

 

或る日、神さまがそっと散歩されて、

井戸の脇を通られました。

 

ちいさなさかなは、神さまに申し上げました。

 

「神さま、私はちいさなさかなです。

誰からも、たよりにされることがありません。

ひとりぼっちで、誰かに何かしてあげることもなく、

このままなのでしょうか?」

 

と。

 

神さまは、ちいさなさかなに言いました。

 

「ちいさなさかな。

あなたは、たくさんのものたちから、たよりにされていますよ。

安心しなさい」

 

ちいさなさかな。よく判りませんでした。でも、

 

少しだけ安心して、そして、

 

毎日、井戸のそばに誰かが来ると、

井戸の中で、ぴちゃん、と小さくはねて、

井戸に水があることを、知らせています。

 

(2007年5月6日の礼拝での「こどもの祝福」より)

余yoteki滴 2016年8月28日

「ねこのふわふわ」

– たより –

 

猫のふわふわは、旅する猫です。

或る日のこと、

猫のふわふわが、砂漠の中の小さなオアシスの、小さな井戸で、

静かに水を飲んでいると、

 

そこに、

きつねのルナールが、

やっぱり水を飲むために、やって来ました。

きつねのルナールは、言います。

 

「ちょうどいい。あなたにたよりがあります」

 

どんなたより? 猫のふわふわは、たずねました。

 

「そう、

猫のふわふわ、

あなたの、

ふわふわしたあたたかさと優しさとを、

必要としています。

戻って来てください。

って」

 

猫のふわふわは、

水を飲むのを、ちょっとやめて、

耳のうしろを少し撫でて、

 

「戻ることはできる。けれど、時間がかかるかなぁ」

 

とつぶやきました。

 

きつねのルナールは、そう、と言っただけで水を飲んでいます。

 

ふたりの話しを聞いていた、

井戸の中の、小さなさかなが、

 

「いいなぁ、他の人にたよりにされるのは」

 

と、つぶやきました。

 

すると、猫のふわふわと、きつねのルナールは、顔をみあわせ、

二人で、ふふ、っと笑うと、

声を揃えていいました。

 

「一番、たよりにされているのは、君だよ」

 

ちいさなさかなは、

ちょっと驚いて、

ピチャっとはねると、

あとはゆっくりと井戸の中を泳いでいます。

 

(2007年7月22日の礼拝での「こどもの祝福」より)

余yoteki滴 2016年8月21日

「ねこのふわふわ」

– 約束 –

 

猫のふわふわは、旅する猫です。

或る日のこと、

猫のふわふわが、町の中の、石畳の、小さな路地を、ゆっくりと歩いていると、

向こうからペトロさんが杖をつきながら歩いてきました。

 

「こんにちは、聖ペトロさま!」

 

猫のふわふわは、ちょっと緊張して、せいいっぱいのあいさつをします。

ペトロさんは、

 

「こんにちは、猫のふわふわ。元気ですか? 今日は、どこに行くの?」

 

と猫のふわふわに、尋ねました。

これと言って行くあてのなかった猫のふわふわは、

 

「いえ、どこにも。あの、ペトロさんが必要だと言われるのであれば、お供しますけど」

 

と答えてしまいました!

ペトロさんは笑って、それから、少し考え込んで、猫のふわふわを、じっと見て、

 

「では、猫のふわふわ、あなたに

お願いがあります。

あなたが出会う人で、あなたが、この人はさみしそうだな、と思う人の足元で、そっと少しだけ、寄りかかって、そして、

丸くなってあげてください」

 

猫のふわふわは、りっぱな耳をぴんと立てて、自慢のひげをふるわせると、

 

「はい」

 

と答えました。

それから、猫のふわふわは、ペトロさんに少しだけ、首の下と、耳のうしろをなぜてもらい、

 

「さようなら」

 

と言って、ペトロさんと別れました。

 

(2007年9月9日の礼拝での「こどもの祝福」より)

余yoteki滴    8月7日

「神に信頼する人は慈しみに囲まれる」(詩32篇10節)

 

8月6日、「広島平和祈念日」のローズンゲンから。

詩編の詩人は、困難な時代に生きている。

詩人は、

「されば神をうやまう者は、汝にあうことを得べき間に汝に祈らん」と

うたう(「交読文」10詩32篇)。

時代の差し迫りの中で、詩人は、

「あなたを見いだしうる」(6節)「間」が縮まっていることを実感している。

だから、

この時代にあって、

悩みのただ中にあって、

祈ることを勧めてやまない。

そう、

詩32篇を残した詩人の時代も、今も、

私たちは祈ることの緊急さを

教えられている。

主にある平和を希求することの可及的速やかさを

教えられている。

「余yoteki滴」

「もう泣かない」

ナインの町にイエスさまが近づかれると、そこから葬列が出てきたのだ、とルカによる福音書は記します(7章11節以下)。

私がこどもの頃は、まだ、町で葬式に出会うことがありました。

あの頃は(っていつ頃なのかは、ご想像に任せておきますが)、まだ自宅から葬式を出す、というのがごく当たり前でしたから、こどもは、町で葬式によく出会ったものです。とにかく、葬式に出会うと、こども達は、親指を隠すように手を握ってその前をそそくさと通ったものでした。

 

でも最近は、自宅でご葬儀という事が本当に少なくなりましたから、たぶん、今のこども達は葬列に出会うということも、まず体験しないのでしょう。

 

さて、イエスさまは、葬列に出会った時には、親指を隠して手を握ったりしたのでしょうか。

私は、あるいはひょっとすると、イエスさまと違って弟子たちは、当時のユダヤのこども達がきっとしたであろう(それがどのようなものかは私には判りませんが)、因習じみた所作をしたのではないかなぁ、と想像したりしてみるのです。

 

そして、イエスさまはというと、その葬列に近づいて行って、しかも、泣いている母親に「もう泣かない」と声をかけたりなさるのです。

「死」は、圧倒的な現実です。

私たちは、「死」を体験したことがありませんから、「死」とはいつでも未知な領域の「モノ」なわけです。それ故、「死」はいつでも人を恐れへと巻き込みます。

イエスさまの弟子たちも、当然、「死」への恐れや、畏れに、この時、染まっていたでしょう。ですから、葬列と真っ正面から行き逢ってしまったときは、顔をしかめたりしたかもしれません。

 

ところが、イエスさまはその葬列の中ほどで、柩に付き添っていた母親に、「もう泣かない」と声をおかけになるのです。

母親は、耳を疑ったかも知れません。

或いは、悪い冗談を言う人だと思ったかも知れません。

泣き伏すしかない時に、涙の枯れるというのがあるのか、と思われるこの時に、この人は一体何を言うのだろうか、とそう感じたかも知れません。

だからと言うわけではないと思いますが、この母親は、イエスさまの語りかけに応答しません。もちろん、葬列もその歩みを止めません。

 

今や、イエスさまのその横を、この母親の息子を納めた柩が通り過ぎようとします。

その時、イエスさまはご自分の脇を通って行くその柩に手を掛けられるのです。

このイエスさまの行いは、町の門から町の外に、町の中から墓地の中へ、生者の地から死者の地へ、城郭都市という文明の巷から墓所という荒れ野へと、向かって歩むしかない「死」という現実を押しとどめるものです。

 

ルカは、ですから、この時の様子を、

①イエスさまが母親に声をかける、

②イエスさまが柩に手を触れられる、

③担いでいる人たち(葬列)が立ち止まる、

という順序で記すのです。

 

ルカはここにイエスさまの神の御子としての権威を見たのです。私たちには決して出来ない、「死」を押しとどめる権威です。

 

実は、この巻頭言(この文章は、「湘北地区報」に掲載するために書かれました)に四苦八苦している時に、ある方の帰天の連絡をいただきました。

その方は、若い時に、当時、「横浜合同教会」と呼ばれていた、現在の横浜上原教会で、聖金曜日(受難日)の礼拝において高柳伊三郎先生から洗礼を受けました。

戦後間もなくの事でした。

 

「洗礼式が、なぜ聖金曜日だったのかと、言うと」、とその方はよく語ってくれました。

受難日の礼拝での洗礼式をお願いしたのは、洗礼を決心したその頃、まだ若かったんだねぇ、主の十字架での全き犠牲は自分のためだと得心がいったのだが、ご復活ということがまだ充分に判らなかったので、どうしても十字架の金曜日に洗礼式をとお願いしたのだ、と。

 

そして、その話しを聞いている若かりし頃の私は、そうか受難日礼拝で洗礼式を、とお願いする手があったのか! と(イースターに洗礼を受領したばかりだったので)、ちょっと自分になぞらえて残念に思ったりしていたりしました。

 

伊勢原教会の前を、近くの県立高校の生徒たちが通って行きます。そして掲示されている説教題を見て、首を傾げたり、ささやきあったりします。

ある時、「わたしは始めであり終わりである」という説教題が掲示されていました。

高校生たちが、「始めであり終わりである、ってどういう意味だ?」と会話しながら歩いて行きます。すると一人の子が、「始めで終わりということは、一代で滅んだ、っていうことじゃねぇ」、と応じました。

 

この会話は、下校時でしたから、彼らは登校する時にも、この看板を見たわけです。

そしてたぶん、なんだこりゃ、と思っていたのでしょう。

そして歴史の授業でもあったのでしょう。

「始めであり終わり」、とは何代も続かずに、たった一代で、一人だけで終わった王朝のことように理解できる、と会得したのでしょう。

 

私はその受け答えの秀逸ぶりに思わず笑ってしまいました。

イエスさまは、始めであり終わりである方、たったお一人で、高校生達の言葉を借りれば、「一代」で私たちの救いを成就なさる方です。

教会は、その事のみを宣言します。先に述べた信仰の先輩は、そのことを信仰の生活の中で深く知って行った事でしょう。

むしろ、疑問から始まった問いですから、その方にとって、救いとご復活とは、深い生涯のテーマになって行った事と思います。十字架のキリストが、「死」を滅ぼし、新しい命の始まりとなられた、ということを、戦後の日本の歴史とほぼ重なる、70年になんなんとする信仰から信仰への歩みの中で、じっくりとご自身のものとされたのだと私は思うのです。

 

さて、イエスさまがナインのやもめに「もう泣かない」と声をお掛けになった時のことを観想したいと思います。

イエスさまが柩に手をおかれた時、この世の当然の理(ことわり)は打ち砕かれます。

そして知る事ができます。私の「いのち」もまた、イエスさまの手に触れていただけるのだ、ということを。

 

イエスさまは、ご自身の方から私に近づいてくださる方。そして、「もう泣かない」と、声をかけてくださる方。私が何も言わないのに、私の言葉にならない祈りを聞いてくださる。そして、「死」に打ち勝つ権威をお示しになります。

 

今や、私をこの世の理(ことわり)は縛りません。

ナインのこの一人の母親に、イエスさまは息子を「お返しになった」のですが、私にも自分の「いのち」を生きるようにと、「死」の理(ことわり)ではなく、キリストに連なる「いのち」の理(ことわり)の内に生きるようにと招かれるのです。

 

さらに、イエスさまが私と出会ってくださるのは、ナインという町の外、門の外なのです。

キリストは、宿営の外で私を待っていてくださいます。私がはみ出して行く時、その行く手に、キリストはいてくださるのです、必ず。

(2016/6/26 神奈川教区湘北地区「地区報」の巻頭言を加筆訂正)

【余yoteki滴】

創立112周年をおぼえて

– 主はわたしの命の砦 -(詩27篇)

日本キリスト教団伊勢原教会は、創立112周年を迎えました。

飯田角蔵の、或いは、波濤を超えて明治期日本に、

福音伝道を願う北米合衆国の諸教会の祈りに支えられて来日した、

F.C.クラインをはじめとする宣教師たちの働きによって

「伊勢原美普教会」

(伊勢原教会は、「メソヂスト・プロテスタント教会(美普教会)」によって創建されました)は

設立されました。

そして、今日に至るまで御手のうちにこの教会をおき、導き、護られた主に感謝いたします。

この112年の間に、

教役者、教会員、その周辺におられた人たち、と多くの人々の祈りと献身とがあったことを覚えます。

キリストは、御言葉を、人の思い、人の手を通して実現されます。

主の御旨は、なにか中空に浮かんでいるような、非人格的な抽象概念ではありません。

主の御旨が成る、成就するということは、必ず、

私たち「人」を通して、その祈りを通して実現なさるのだと、私たちは知っています。

今日(2/14)、

「ローズンゲン」に示されている御言葉は、詩27篇1節から選ばれた、

「主はわたしの命の砦

わたしは誰の前におののくことがあろう」

です。

実に、創立記念日にふさわしい聖句だと思います。

主は、この伊勢原に「命の砦」をお建てくださった、私たちは、

はっきりそのように確信します。

詩編の詩人は、「わたしは誰の前におののくことがあろう」か、と言います。

主が、「わたしの命の砦」である以上、

いかなるものの前にも「おののかない」と詩人は歌うのです。

ですから詩27篇は、続けて2節以下で、

「さいなむ者が迫り…

彼らがわたしに対して陣を敷いても

わたしの心は怖れない…

わたしには確信がある」

と、

その信仰を宣言することが出来るのです。そして、

その信仰の確信のうちに、

「ひとつのことを主に願い、それだけを求めよう。

命のある限り、主の家に宿り

主を仰ぎ望んで喜びを得

その宮で朝を迎えることを」

と、

歌うことができるのです。

私たちも、112年目を迎えた伊勢原教会に集う者として、草創期、

多くの人たちの祈りが、この地に教会を建てたことを覚え続けて行きたいと思います。

主の御旨を確信して、ここに「命の砦」をたてた信仰の先達に、その系譜に連なる者として、

御言葉を証しして歩む群れとして強められて行きたいと、主に願い続けて参りたいと思うのです。

創立記念日は、新しい始まりです。

今日、この日から、私たちは、伊勢原教会の新しい一歩を、主の導きを確信しつつ歩み出して行きます。

【余 yoteki 滴】

中高生と一緒にマタイによる福音書27 章 32 – 44 節を読む


イエスさまは、十字架におかかりになる。イエスさまを真ん中にして、三本の十字架がたっている。
イエスさまの左右の十字架についている人も、周りの人と一緒になって(イエスさまのことを)ののしった、って書いてある。
自分も死んでいこうとしているのに、一緒に死のうとしている者をののしる。こういうことも、人間には起こるのだ、ということも心に留めておいて欲しい。

ゴルゴタという丘に行くまで、
イエスさまは、十字架の横木を担いで行くのだけれども、途中、もう持っていられなくなってしまって、キレネ人シモンに担がせた。
彼は、たまたま通りかかった「お上りさん」だろうか?
このキレネ人シモンという人が、

今年は過越の祭りさ行くべぇ。荷物もつくったし、笠もかぶったし。行くべぇ。
ついたべぇ。ははっ、ここがエルサレムの町か。大きいねぇ。
この橋を渡るのか。何、小銭を払うのか、財布から、こうやって、小銭さ出して。へい、これが渡りちんでございますだ。何ですって? 橋番さま、「渡りちん」ではなくて、「橋税」と言え、ですか。へいへい、さようでございますか。では、めえります(参ります)で。
ここが神殿か。ははっ、大きいねぇ。スマホで撮るべぇ。

ってやって来た、のだろうか。
もちろん、この日は、すっごく「お上りさん」が多い日。
過越の祭りの日なのだから。だから、
たまたま、“担がさせられちゃった”、ということもあるかも知れない。でも、
不思議でしょ?

今日の箇所(マタイによる福音書27章32-42節)に出て来る登場人物は、まずシモン。それからイエスさま。それに、兵士たち、左右につけられる「強盗」、祭司長たち、群衆たち。つまり、
この場面には、たくさんの人たちが出てくる。ところが、
この箇所で、名前が出てくるのは、(イエスさま以外では、)このキレネ人シモンだけ。
ねっ、ただの「お上りさん」だろうか?
ひょっとすると、イエスさまに会いに来た人?

ヨハネによる福音書(12章20節以下)には、
(「過越の祭」の前に、)ギリシア人が何人か会いに来た、ということが書いてある。この人も、
“イエスさまに会いたい”、と思っていたから、
イエスさまが十字架の横棒を担いで歩いておられた時に、思わず群衆の前に出てしまったのかなぁ、と私は、
思ったりする。

彼が、この後どうなったか、聖書はなにも書きません。でも、
マタイによる福音書は、“十字架と出会う”、とは、こういうことなのだ、と言っているのだと思う。
“イエスさまと会う”、ということは、
“イエスさまの十字架に出会う”ということなのだ、って。
ほんの一時(いっとき)なのだけれども、
イエスさまのかわりに十字架を担う、ということが、
“イエスさまに会う”、ということなのだ、
と聖書は教えている、と思う。私たちも、
このキレネ人シモンのように、
“イエスさまに会いたい”、と願って、そして、
イエスさまの十字架の、ほんの一端でもいいから担わせていただけたら、いいなぁ、と思うのです。

(祈り)
主イエス・キリスト。あなたは、私たちのために十字架についてくださる方。
主イエス・キリスト、あなたは、十字架を担げ、とお命じになる方。
十字架におかかりくださるキリスト、あなたを仰ぎ見て、あなたに会いたいと願いつつ、歩ませてください。
(2015/11/15「小礼拝」での奨励から)

【余 yoteki 滴】

“中高生と一緒に、マルコによる福音書2章1-12節を読む”


直前の、マルコ福音書1章45節、
イエスさまは、「重い皮膚病」の人を癒しされた後、「町の外の人のいない所におられた」。
イエスさまは、町に入る事ができない状況になっていた。
それから「数日後」、(少しは、ほとぼりが冷めたのだろうか?)
イエスさまは、カファルナウムの、“ある家”におられた。
が、こんどは「戸口の辺りまですきまもないほど」になってしまった。それで、その集まって来た人たちを前にして、
イエスさまは、「御言葉を語っておられた」(2章2節)。


「重い皮膚病」を癒してもらった人は、
「そこを立ち去ると、大いにこの出来事を人々に告げ、言い広め始めた」と書いてある。
この1章45節の「出来事」と、2章2節の「御言葉」は、同じ単語。
イエスさまが「御言葉」を語るというのは「出来事」なのだ、ということ。
イエスさまが来られたということが、「出来事」そのもの、なのだということ。
イエスさまが「御言葉を語っておられた」というのは、「福音」を語っておられた、ということであり、
イエスさまが来られたという「出来事」そのものが、「福音」なのだ。だから、
イエスさまと出会うという「出来事」が、私なら私の身に起こる、
キリストと出会うという「出来事」が事実になる、というのは、
「御言葉」としての「福音」に出会うという「出来事」が、私に、
起こっているのだ、ということ。


2章1節からの人は「中風」(体の自由が利かない状態)だったと書いてある。
四人の人に床(とこ)ごと、連れて来てもらう。彼は、
イエスさまに会いたい、と思った。だけれども、人があふれていて行かれない。
遅れてやってきたのかなぁ。
もう、とっても家には入れない。
そうすると、彼らは何をするのかと言うと、
イエスさまがいるあたりの屋根を壊した、と書いてある。この下に、
イエスさまがいる、と狙い定めて屋根をはがした。そうして、
イエスさまのいるところに彼を降ろす。


その四人の信仰を見て、とは書いていないのだけれども(聖書は「その人たちの信仰」)、
イエスさまは、四人の信仰(信頼)を見て「子よあなたの罪は赦される」と言われる。
山室軍平はここのところの説教題に、「四隅の務め」とつけておられる(『民衆の聖書』)。
四隅にこそ意味がある、重要なのは、中央にではない、ということ。
乱暴この上ないんだけれども、この四人は、イエスのもとに連れて行く、ということに忠実。


この四人も、イエスさまのところに降りて来た一人も、名前が記されていない。
無名の人たち。
この四人は誰なのだろうかって、ちょっと気になる、私は。
この家は、たぶん、ペトロの家だと思う。そして、
ペトロが、誰か判らない、彼が知らない四人の男達が、自分の家の屋根をべりべりと壊し始めたら、はたして、気の短いペトロとアンデレが黙ってみていただろうかねぇ。だから私は、
この四人は、ペトロとアンデレとヤコブとヨハネだったのではないかなぁ、と思う。
二組の兄弟は、屋根に上がると、
「イエスさまは、きっとここだよ、大丈夫」なんて、ごにょごにょと相談してね、
「大丈夫、俺んちだから壊しちまえ」、ってね、ごそごそって壊し始めてね、
落っことしちゃいけないんだからって、するするって水平を保って、
イエスさまのところに「中風」の友達を、自分では動けない友を、自分からは動くことが出来なくなった友人を、降ろして行く。
四人は落とさないように、そっと、
乱暴に屋根をぶち抜いたあとだけれども、そっと、
イエスさまのところに降ろして行く。
1章40節以下に出て来た「重い皮膚病」の人は、「律法」という、彼を縛っていたものを
打ち砕いて、押し破って、
イエスさまの前に出て来る。
そして、今日の彼らは、「屋根」という現実のものなのだけれども、
打ち壊して、降って行く。四人で一人を降ろして行く。
イエスさまのいる低みに、一人を降ろして行く。


イエスさまって、ホコリをかぶってくださる方だなぁって、私は、本当に思う。
イエスさまのところに、屋根の部材と、大量のホコリとが舞い降りて来た。
イエスさまは、ホコリだらけになって、待っていてくださる。
イエスさまのところに行く、というのは、普通(どちらかと言えば)、のぼって行くイメージ。
天の御国へ、
エルサレムへ、
十字架のキリストのもとへ、私たちは、
目を上げて従って行く。ところが、
イエスさまに近づく、イエスさまのところに行く、というのは降って行く、という事なんだって、ここでは教えられる。
イエスさまが、いちばん底辺にいる。その、
いちばんホコリをかぶってくださるイエスさまのところに降って行く。それが、
イエスさまと出会う、という事なのだ、とマルコ福音書は言う。


キリストと出会う、ということは、低く低く、一番の低みまで降ろされて行く、ということ。
そして、一番の低みまで降ろされて、
イエスさまに出会う、という「出来事」を経験すること。その時、私たちは、
立ち上がることができる。
イエスさまと出会う、という「出来事」は、今まで、
動いてはいけないんだ、と思っていた束縛から解放される、ということ。
この人を、私を、縛っている結び目を、いちばん下で待っていてくださる
イエスさまがほどいて、自由にしてくださる、っていうこと。
いちばん下にいてくださる、
一番の低みにいてくださる主イエス・キリストに出会って、
「御言葉」に出会って、一番の低みから歩み出して行く、そういう者と私たちも
されて行きたい、と思う。
(2015/11/01「小礼拝」での奨励から)

【余yoteki滴】

“中高生と一緒に、マルコによる福音書1章40-45節を読む”


昨日の「道灌祭り」(今年は10/17-18)での出来事です。
午後、街を歩いていると、
「先生、今日はもう召し上がっているんですか」、
って言われてしまいました。
「召し上がっている」と言っても、別にお汁粉ではなくて、「(ビールやお酒などのアルコール類を)一杯、飲んでますか」という意味です。

実は、このところ体調が悪いんです。ブタクサ(の花粉)とかが飛んでいるらしい。先日、ドクターに「薬が合わないわねぇ」って言われてしまって、「処方を変えましょう」っていうことになったんです。
ただ、漢方だから、効果が出るのが早いか、ブタクサの花粉が飛ぶのがやむのが早いか、というと、これはちょっと、難しい。
そんなわけで、
「先生、もう召し上がっているんですか」
と言われても、いちいち、体調が、とか、アトピーが、とか、喘息が、とか話すのが面倒になってしまって、えへへ、とか言っているだけなんです。

ここ(マルコによる福音書1:40-45)には、「重い皮膚病」の人が出て来ます。
「重い皮膚病」とは一体、どんな「病い」か、ということも(重要な問題として)あるけれども、律法には、旧約聖書には、「重い皮膚病」になったら隔離しなさい、というようなことが書いてある。
ですから、この人は、
“生きているけれども生きていない”
んです。
その彼が、律法を乗り越える覚悟をして、イエスさまの前に出て来て、ひざまずいて、「御心ならば」と祈ります。相当に勇気がいる行動です。
また、イエスさまも、この人と相対して、しかも「深く憐れんでその人に触れ」るわけですから、あきらかな律法違反ということになります。

「重い皮膚病」の人を共同体の外に出す、というのは、人々を守る、共同体を守る、ということ(のための処置)です。それは、生きているその人を、生きているままで殺すことで、その(「重い皮膚病」の)人以外の共同体を助けることができる、という考え方です。
感染は防げるけれども、その人は、
“生きていても死んだ人になる”
ということです。

この人は、その人の立場から言うと、
“触れてもらってはいけない”、
そういう生き方をしなさい、と律法によって言われている、ということになる。
ところが、彼は、
触れてもらうために出て来る。
イエスさまも、彼に「触れ」たって書いてある。
律法に従って生きて来た人たちは、本当にびっくりしたと思います。もっとも、この人が近づいて来た時に、お弟子さん達も含めて、誰も彼も、クモの子を散らすように逃げてしまっていたことでしょう。
イエスさまだけが彼を待っていた。
ただお一人、そこの場に、彼が出て来るところにいてくださる。

「触れる」、ということは共同体への回復です。
“生きているけれども死んでいる”、という状態から、
“生きているから生きている”という状態に、
この人を、イエスさまが、回復してくださる、ということです。

ところで、私は、一向に清くしてもらえないなぁ、と思うんです。どうしてだろうねぇ。不思議ですよね
たぶん、ボクはね、イエスさまの前に跪いていないんだと思います。彼は、跪いて祈るわけです。ところがボクは、(跪いたとしても、)せっかく跪いたんだから、あれもこれもお願いして、と思うわけです。でも、そうじゃない、と聖書は、言うんです。
ここが、信仰の難しいところだと思います。
この人は、律法というものを押し破って、「御心ならば」と祈るわけです。ただあなたの御旨なら、と祈るんです。
そして、キリストは、その彼に手をおいて癒してくださる。
そのような、待っていてくださるキリストを信じる、というのが信仰なのだろうと思うのです。

祈ります。主よ、あなたの御前に、まっすぐ歩み出して行くことができますように。
(2015/10/18「小礼拝」説教から抜粋)

【「祈りと行いのために」 – 時代への祈り – 】

主よ、
あなたが来られたのは、世界の平和と和解のためです。
教会は、
そのことを覚え、
主の栄光を讃えます。

今、
教会は、私たちが暮らすこの列島での政治的情勢を、
深く直視して行く、時代に対する責任を、
主に求められています。

それ故、
私たちは、祈りと行いとをもって、
主よ、
あなたに御旨を尋ねます。

主よ、
あなたのまことの平和のために祈り続けさせてください。

祈り続けるすべての人と連帯させてください。

行いをもって信仰を示すすべての人と連帯させてください。

祈りと行いとを強め、
教会の信仰を支えてください。

繰り返し祈ることを、

繰り返し行うことを、

無力だと感じさせるサタンの誘惑を、
取り除けてください。

主が、
教会の祈りと行いとを豊かに支えてください。

教会と私たちが、
祈りと行いとをもってこの世に証しして行くことを、
主が得させてくださいますように。

主イエス・キリストの御名によって アーメン。