余yoteki滴 四旬節黙想 2017年3月12日

「ぶどう園に行きなさい」(マタイによる福音書20章7節)(その2)

「家の主人」は、私たち一人ひとりに声を掛けてくださる。

一人ひとりと、「約束」をしてくださる。

「家の主人」は、私と約定をかわす。それは、私の働きに応じての“評定”ではなく、「家の主人」の方から、神さまの方から、先に、“こうしよう”、と言ってくださる「約束」。

そういう「約束」を携えて、「家の主人」は、私のところに来られる。

そして語られる。しつこいくらいに何度。私と「約束」しよう、「ぶどう園に行きなさい」と。この私を、招かれる。

ところで、私の友人のご父君は、生前、年を重ねてから信仰へと歩み出した人だった。

彼は自分のことを「午後五時の労働者」と言っていた、と、葬儀の時に牧師が語っていたのを今でも思い出す。

友人の父君は、「午後五時」に、召しを聴いた、という、しっかりとした自覚に生きた。人生の後半生を(「午後五時」以降を)、“主の招きに応じた人”として歩んだ。

彼は、「ぶどう園に行きなさい」という御言葉に従って、

「何もしないで…立っている」人生をやめて、

「ぶどう園」へと歩み出す人生へと、

御言葉によって転換された。

彼は、そのことを自覚的に受けとめ、「ぶどう園」へと歩み出して行く。“私は、「午後五時の労働者」である”、と告白して。

確かに、私は、人生のある一瞬に、キリストと出会う。

私は、今、始めて、主に出会ったと思う。今、はじめてキリストの御言葉を聴いた、と思う。

でも、「家の主人」は、夜明けに、九時に、十二時に、三時に、五時にも、私のところに来られ、私に声を掛けてくださる。「ぶどう園に行きなさい」、私との「約束」に生きなさい、と。私がその声に聴き従うまでは、何度でも、私のために来てくださる。「何もしないで…立っている」生き方をやめて、私との「約束」の内を歩み出しなさい、と。

「家の主人」である神さまの呼びかけに応える、ということは、今、「立っている」、この場所を去る、ということ。

「何もしないで」も「立って」いられる、この安定をやめる、ということ。

安穏とした生活、神さまを必要としない生活から、神さまとの「約束」だけが頼りの歩みへと人生を大きく変えられる、ということ。それが、「天の国」の到来ということ。それが、到来している「天の国」に向かって歩み出すこと。そのように、「家の主人」は、私を招く。

そう、私は、いつでも、キリストから語りかけていただいている。

人生の始まりから、今、そして、終わりに至るまで。ずっと。(以下次回)

余yoteki滴 四旬節黙想 2017年3月5日

「ぶどう園に行きなさい」(マタイによる福音書20章7節)(その1)

イエスさまは、到来する「天の国」について示される。

この「天の国」は、遠くにあって、仰ぎ見るものではなく、声の届かない彼方にあるのでもない。行きつくことの出来ない深淵の向こう側にあるのでもない。この「天の国」は、あなた方のただ中に到来する、とイエスさまは、私たちに語りかけられる。

「天の国は…ある家の主人が、ぶどう園で働く労働者を雇うために、夜明けに出かけて行」(マタイによる福音書20章1節)くようなもの。

「天の国」が到来するということは、「主人」がみずから「夜明け」には出発して私たちのところに来てくださる、そういう来訪の仕方で、私たちの只中に到るものだ、とイエスさまは示される。

現実に、もし、ぶどう園を所有している大土地所有者が、「労働者を雇う」としたら、彼あるいは彼女は、自分の執事に命じ、執事は荘園長に命じ、荘園長はぶどう園の管理責任者に命じ、ぶどう園の管理責任者は、現場責任者に命じ…としているうちに、「家の主人」が決めた「気前のよい」一人あたま1デナリオンという賃金は、実に見事に中間で搾取され、「労働者」一人ひとりに手渡される時には、よくて半分、まあ、1/4程度にまで減っている、ということになる。

だから、「家の主人」がみずから「労働者を雇うために」「出かけて行」くということ、そのことが、聴く者には驚き。

私たちの内に来る、来ている「天の国」は、神御自身が、みずから「夜明け」を待つようにして私のところへと来てくださる、そういう出来事なのだ、とイエスさまは、今日、私に、お告げになる。

そう、「家の主人」は、みずから私のところに来てくださる。

「家の主人」は、「夜明け」頃だけではなく、「九時ごろ」にも、続いて「十二時ごろと三時ごろ」にも私のところを訪れてくださる。さらに、「五時ごろにも」来てくださる。「天の国」は、このように到来する。神は、御自身の熱意をこのように示される、とイエスさまはいわれる。何度でも、限りなく、私のところに来てくださる、神さまの方から。 (以下次回)

余yoteki滴 2017年2月12日

「パンを持ってくるのを忘れ」

(マルコによる福音書 8 章 14 節)

☆ 弟子たちは、舟に乗るのにパンを持ってくるのを忘れた。

もっとも、向こう岸に渡るだけだから、どうしてもパンを持っていないといけない、ということではない。

でも、ペトロは、アンデレに始まって11人に、

「パンを持ってきたかい?」と尋ねると、

「水筒は持ってきた」とか、

「クッキーなら持っています」とか言うわりには、

誰もパンを持っていない。

弟子たちみんなに聞いてしまって、残っているのはイエスさまだけで、

「あのー、イエスさまは?」と言うと、

「パンなら1つある」とイエスさまがお答えになった。

そんな場面。

☆ そしてイエスさまは、弟子たちに、次の15節で、

「ファリサイ派の人々のパン種と、ヘロデのパン種に気をつけなさい」、と

そう言われる。

不思議。

弟子たちは、“今、パンを持っていない”、ということに気持ちの中心がある。

なのに、イエスさまは「パン種」の話しをなさる。

「パン種」は、今、ここでパンにすることができるわけではない。

「イエスさま、話しがずれています」

と、言いたくなるような、そういう雰囲気。

弟子たちが“パンがない”ということで頭がいっぱいの時に、

イエスさまは、弟子たちに「パン種」のことで注意を喚起する。

イエスさまは、私たちが、

自分の関心、自分の思いにだけとらわれて、にっちもさっちも行かなくなっている時に、

「どうしよう、あれがない」、「これができない」、「あれがないと無理」、

と思っている時に、

全然関係のないこと、と私たちが思ってしまうこと、を告げられる。

本質的なことを、弟子たちに、私に、告げられる。

そういうことではないかと思う。

☆ ところで、マルコによる福音書は、「ファリサイ派の人々のパン種」、「ヘロデのパン種」の意味をはっきりとは説明しない。

ここでは次のようなことが問われているのではないか、と私は思う。

それは、「ファリサイのパン種」、「ヘロデのパン種」では、

“満腹”はしない、

ということ。

弟子たちは、イエスさまとのこの後の会話で、パンが12のかごにいっぱいになったこと、あるいは7つのかごにいっぱいになったことばかりをイメージしている。イエスさまは、パンを増やしてくださったのだ、と。

☆ イエスさまが弟子たちに問われている本質は、そこではない。

イエスさまが、弟子たちに、そして私たちに問われるのは、パンを食べて

“満腹”したではないか、

ということ。

「ファリサイのパン種」、「ヘロデのパン種」では、“満腹”しない。

ただ、イエスさまのパンだけが、私たちを“満腹”させる。そのことに気づいているか、と問われている。

☆ と、

イエスさまが弟子たちにお話ししているうちに、

舟は向こう岸についてしまった。

やっぱり、舟の中で、パンを食べる、という時間はなかった。

☆ ところで、

文語訳は、8章14節をこう訳している。

「弟子たちパンを携(たずさ)ふることを忘れ、

舟には唯一(ただひと)つの他パンなかりき」。

イエスさまが「パンなら1つある」と言われたのは、ご自分のこと。

本当のパンが1つ、ここにある、ということ。

そのことに、短い舟でのこの道中で、気がつかないといけない。

イエスさまは言われる。

本当のパンが、食べれば絶対に、

“満腹”するパンが、

1つある、

そのパンは、この私の舟に、この私と一緒に乗っていてくださる、

ということに気がつかないといけない、と。

そのように、

イエスさまは、弟子たちにも、私にも、今日、語りかけてくださる。

(2017/02/05小礼拝での説教から)

余 yoteki 滴 2017年2月5日

食事が終わると

(ヨハネによる福音書21章15節)

☆ ペトロは、湖畔での食事が終わると、イエスと共に歩き始める。

イエスが、ぺトロの少し前を歩まれる。イエスの後を、ペトロは従って行く。

彼らは、主従の序に従って、ペトロの気持ちに即して言えば、この時、教える者と、教えを請う者との関係で歩み始めている。

そう、イエスとペトロは歩み出す。ペトロは、師イエスに従う者として、同じ湖畔で召し出されたあの時と同じ状況だ、と思い出しながら。

☆ しかし、キリストはそうではない。

イエスは、ペトロを弟子から使徒へとされるために、歩み出した“この時”、をお用いになる。

ややさがってつき従うペトロに、イエスは、『この人たち以上にわたしを愛しているか』と問われる。ペトロは、弟子としての心得を述べる。『はい、主よ。…あなたがご存知です』。キリストは3度、ペトロに問われ、ペトロは、3度キリストに応える。

☆ もっとも、ヨハネによる福音書21章15節は、「食事が終わると、イエスはシモン・ペトロに、『ヨハネの子シモン、この人たち以上にわたしを愛しているか』と言われた。ペトロが、『はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存知です』と言うと、イエスは、『わたしの小羊を飼いなさい』と言われた」と記すばかりで、彼らが、湖畔を歩み始めている、とはどこにも記されていない。

そのことは、21章20節になってはじめてあきらかになる。

「ペトロが振り向くと、イエスの愛しておられた弟子がついてくるのが見えた」。

キリストに従って歩み出していたペトロは、自分の後に、同じようにイエスに従って歩み出している者がいるのだと知る。

☆ 湖畔での、再度の召命は、“見えないキリスト”について行くということ。

3度、問われるのは、その生き方が、一時の熱情や、人の側の、弟子の側の、私たちの側の、感情や思いが問われているのではない、ということを示す。私たちは、弟子は、「はい、主よ。…あなたがご存知です」と応えるが、でもその前に、ただ、主の助けだけが、信仰的確信を生き続けることを得させるのだ、とヨハネによる福音書を残した信仰共同体は、深く理解している。

入信の時の、なみなみならない熱意など、またたくまにさめるのだから。

☆ ヨハネによる福音書を残した信仰共同体は、3度、問いかけられるキリストの前から脱落して行く信仰の友の多いことを知っている。むしろ、はっきり言えば、大半の仲間は、離脱して行くし、現に亡散している。

なぜなら、イエスをキリストと告白して行く生活は、とても生きにくいものだから。

ヨハネの共同体が、ユダヤ教社会の中にあるのか、それとも、多神教的異教社会の中に存在しているのか、私は知らない。しかし、どちらであったとしても、イエスをキリストであると言い表して行く歩みは、生きにくさを通り越して、生きて行くことそのものを阻害しかねない。そういう社会の現実の中で、告白に生きようとする、それがヨハネの共同体。絶対的な少数者を生ききろうとする告白に生きる群れ。

☆ それだから、17節には「悲しくなった」という言葉が挟まれる。

「イエスが三度も『わたしを愛しているか』と言われたので、悲しくなった」。

ここでの“悲しみ”は、キリストが3度も「愛しているか」と3度も問われたことが“悲しい”と言っているのではない。

むしろ、3度、問われることに耐えきれずに、この世へと脱落して行く、そういう“友”の多いことへの嘆き。時代の只中で、キリスト者を生き、信仰を生きる、ということが必然的に生み出す“悲しみ”の先取り。

 

だから、弟子から使徒へと、“見えるイエス”の後に従っていた者から、“見えないキリスト”に押し出されて福音の使者とされて行く者は、皆、この“悲しみ”を覚えて、前に進み行かなければならないのだ、とペトロの使徒としての召命の出来事を通して、この福音書を残した人々は、語りかける。私たちに。今日も。この時代も。

(2017 / 01 / 22 婦人会での聖研から)

【余滴】(2016年10月9日【三位一体後第20主日】の説教から)

「九人は何処(いずこ)に在(あ)るか」

列王記(下)5章15-19節

ルカによる福音書17章11-19節

 

☆ 今朝、私たちは二つの癒しの物語に出会いました。

一つは、列王記(下)5章にあるナアマンの物語です。

ナアマンは「重い皮膚病」を患っていて、エリシャのところに行くのです。するとエリシャは、ナアマンに、川で、七度身を清めなさい、と言うのです。それを聞いたナアマンは、激怒するのです。それでもナアマンは言われた通りにするわけです。

そうすると彼の体は元に戻り、小さい子供の体のようになった、というのです。今日は、その先からが読まれました。

 

☆ ナアマンは、エリシャのところに戻り、「らば二頭に負わせることができるほどの土」を求めるのです。礼拝をするためのようです。

ナアマンが受け取って行く「土」は、彼の祈りの場なのかもしれません。

らば二頭分の土は、そこに小さなイスラエルを出現させる、ということなのでしょう。

 

☆ 祈りの場を、どのように生活の中で持つか、ということを、このナアマンの物語りは私たちに教えているのではないかと思うのです。

御言葉を開いて祈るための「椅子」というものがあったら、生活は本当に豊かになる、と言ったらいいでしょうか。御言葉を開いて祈るためだけの、ちいさな「机」というものがあれば、私たちは神の前に祈る、そういう生活ができる、とナアマンの物語りは、私たちに教えてくれるのだと思うのです。

 

☆ さて、「九人は何処に在るか」という説教題をつけました。

(「世界共通日課表」に従っていますので)2010年には、この箇所に「一人」という説教題をつけていました。それは、イエスさまのところに帰ってくるのは「一人」だからです。

今回は、“9人”です。

私は、「九人は何処に在るか」とキリストが問われる時、叱責されている、という気がずっとしてきたのです。そして、たぶん私は“9人”の中に在る。たぶん帰りませんね。

 

☆ 皆さん、医者に行きます。お薬をもらいます。そして、治ったからと言って医者に行きません。ドクターのところに「先生、治りました」と、報告には、たぶん行きません。そういうものです。治ったら行きません。ですから私も、“9人”の中にいます。イエスさまのもとには帰りません。

でも、イエスさまはこの“9人”を叱っているとは思えなくなって来ている。

むしろイエスさまは、この“9人”を心配しておられる、と思う。帰って来ないのが当たり前だと、イエスさまも思っておられるのではないか、と思うのです。

 

☆ ナアマンは、戻って来ました。「随員全員を連れて」と書かれています。ナアマンは、これからの自分の祈りの生活というものをどのようにしていったらいいのか、神の人エリシャと相談する、という目的があった。

ナアマンがエリシャと話したのは、清くされたことへの感謝とともに、将来のことです。これから自分は、“清くされたもの”としてどう生きるのか、というのがナアマンのテーマです。帰って来る、というのはそういう事である、と聖書は伝えている、と思うのです。

 

☆ 10人は、サマリアとガリラヤの間を通ってエルサレムに上って行かれる途中のイエスさまと出会います。

ここは、ガリラヤなのか、サマリアなのか判らない境界線上です。サマリアだとも言えるし、ガリラヤだとも言える、曖昧な場所です。国境といったらいいでしょうか。「境目」なわけです。

しかもイエスさまは「ある村」に入って行って、通り抜けて行こうとされる。イエスさまはただひたすら、まっすぐにエルサレムに向かって歩まれます。

そうすると、10人は、イエスさまに向かって「声を張り上げ」るのです。ただこの箇所の原語は「大声をあげる」とは書かれてはいない。むしろ声を揃えて、「先生、私たちを憐れんでください」というのです。

 

☆ イエスさまは、今、二つの視線を浴びています。

一つはここに出て来ている視線です。イエスさまは、10人が声を揃えて、「あわれんでください」という声を聞いています。その視線を感じておられます。そしてそれは、村の外からイエスさまに向けられている視線です。熱い視線と言ってもよいかも知れません

それに対して、たぶんの村の入り口に立っている人たちは、これがガリラヤの村なのかサマリアの村なのか判りませんが、歓迎しない目線で見つめていると思うのです。冷たい視線が、ルカは記しませんが、一方にある、ということです。そして彼らも、キリストには近づいてきません。

 

☆ その中で、イエスさまは、この「重い皮膚病」の人たち、共同体から疎外されている人たちに向かって、こう言われるのです。

「見て」とルカは記しますが、イエスさまは彼らを「見て」、「祭司たちのところに行って、体を見せなさい」と言われるのです。ギリシア語は、「行け」、「示せ」、「自らを」、「祭司に」という順で書かれている。ですから、永井直治訳は、「往きて己自らを祭司に見(あら)はせ」、です。

イエスさまの御言葉と出会う、という事は、自らをイエスさまに現す、という事なのだ、と言ってよいと思う。

 

☆ 「重い皮膚病」だったと書かれています。

彼らは自分自身を見るのが一番嫌な時にイエスさまに出会うのです。

私も、鏡を見てて、ああ、今日も悪いな、と思うわけですよ。でもそういう自分と向き合え、とイエスさまは言うのです。自分の見たくないところを見ない限り、イエスさまの言葉は届かない、と。

イエスさまは、祭司のもとに行け、と言われますが、それは、神の前に、と言い換えてもよいと思うのです。己自らを神の前に、と言われている。

私は、神の前にほんの少しの隠し事もできない、ということに気づかなければならない。そのように、「重い皮膚病」の10人に言われるイエスさまの言葉が、今日、私に、響かなければならない。

 

☆ 「彼らはそこに行く途中で清くされた」。彼らは、まだ祭司のところで「己自らを見(あら)は」していません。

しかし、私たちは、私が包み隠さず、私の全てを神の前にあらわす、という決意を、キリストの言葉を聞いてするのであれば、「行く途中」で清くされるのだ、ということに出会うのです。

翻って言えば、私が一向に良くならないのは、そういう決意に至らないからです。決意は行動を促す、とルカは言うのです。それが御言葉の働きだと言うのです。御言葉の前に立つものは、御言葉によって生き方が変えられて行く、というのです。

祭司に会いに行くためには、彼らが追い出されて来た、彼らを疎外した、彼らを迫害した村落共同体の中にもどらなければいけない、ということを含んでいるからです。ですから、彼らは白眼視のただ中に入って行く、ということです。

 

☆ 矢内原忠雄はこの箇所で、彼らは“食い逃げした”と書きます。

でも私たちの信仰も、たいてい“食い逃げ”です。聞いて帰って忘れるのですから。

朝、読んだ御言葉を、夜、覚えていないのですから。私たちは、いつでも御言葉の前に“食い逃げ”なのです。

そして、イエスさまは、この“9人”を責めてはおられない。“食い逃げ”でもよいから、あなたは私の前に来なさい、あなたは、私の言葉で変えられなさい。あなたは、私の言葉を聞いて、次の一歩を、今来た道ではない方向に、歩み出しなさい、と今朝も、私に、語りかけておられるのです。

この“9人”でしかない私は、「9人はどうした」と言ってくださるイエスさまに、深い慰めを感じてよいのだと思うのです。キリストが、私の消息を問うていてくださる、それが、キリストの言葉と出会う、という事だと思うからです。

 

☆ イエスさまは、戻って来た、このサマリアの人にこう言われます。「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った」。

「起きろ」と言われるのです。イエスさまは、新しい命への「よみがえりなさい」と言われるのです。そして「行きなさい」と言われる。

 

☆ 彼はきっと、行く場所がなかったのです。そして、“9人”には帰るべき場所があったのですよ。

ナアマンは戻ってきましたが帰る場所がありました。そして、帰るべき場所を、らば二頭分の土で小さな聖所にすることで、彼は帰るべき場所をつくることができました。でもこの「一人」には帰る場所がなかった。

そして、その人に、イエスさまは言われるのです。「帰りなさい」と。

御言葉によって変えられた者は、御言葉によって新しい命にいきるべく「よみがえらされた」者は、新しい場所に、信仰によって歩み出して行きなさい、と言われるのです。

 

☆ そして、彼には一緒にいやされた“9人”の魂への責任がある。信仰共同体というのは、そういうものだ、とルカによる福音書は思っている。

私たちは、10人のうち、たったひとり残って来た、「一人」なのです。私たちのこの礼拝の外に、帰って来ない“9人”がいるのです。

ですから、私たちは、教会は、“9人”の魂のために祈り続けなければいけないのです。

残り“9人”の安否を、主が問うておられるのですから、私たちは、「残りの者」として集められた教会の役割、責任として、ここにいる一人ひとりが、ここにいない多くの信仰の友のために祈り続けなければならない。そういう祈りの群れへと主によって深めていただかなければいけないのです。

余yoteki滴 2016年8月28日

「ねこのふわふわ」

– ちいさなさかな –

 

砂漠の中に、小さなオアシスがあって、

ちいさなさかなが、

住んでいました。

 

或る日、神さまがそっと散歩されて、

井戸の脇を通られました。

 

ちいさなさかなは、神さまに申し上げました。

 

「神さま、私はちいさなさかなです。

誰からも、たよりにされることがありません。

ひとりぼっちで、誰かに何かしてあげることもなく、

このままなのでしょうか?」

 

と。

 

神さまは、ちいさなさかなに言いました。

 

「ちいさなさかな。

あなたは、たくさんのものたちから、たよりにされていますよ。

安心しなさい」

 

ちいさなさかな。よく判りませんでした。でも、

 

少しだけ安心して、そして、

 

毎日、井戸のそばに誰かが来ると、

井戸の中で、ぴちゃん、と小さくはねて、

井戸に水があることを、知らせています。

 

(2007年5月6日の礼拝での「こどもの祝福」より)

余yoteki滴 2016年8月28日

「ねこのふわふわ」

– たより –

 

猫のふわふわは、旅する猫です。

或る日のこと、

猫のふわふわが、砂漠の中の小さなオアシスの、小さな井戸で、

静かに水を飲んでいると、

 

そこに、

きつねのルナールが、

やっぱり水を飲むために、やって来ました。

きつねのルナールは、言います。

 

「ちょうどいい。あなたにたよりがあります」

 

どんなたより? 猫のふわふわは、たずねました。

 

「そう、

猫のふわふわ、

あなたの、

ふわふわしたあたたかさと優しさとを、

必要としています。

戻って来てください。

って」

 

猫のふわふわは、

水を飲むのを、ちょっとやめて、

耳のうしろを少し撫でて、

 

「戻ることはできる。けれど、時間がかかるかなぁ」

 

とつぶやきました。

 

きつねのルナールは、そう、と言っただけで水を飲んでいます。

 

ふたりの話しを聞いていた、

井戸の中の、小さなさかなが、

 

「いいなぁ、他の人にたよりにされるのは」

 

と、つぶやきました。

 

すると、猫のふわふわと、きつねのルナールは、顔をみあわせ、

二人で、ふふ、っと笑うと、

声を揃えていいました。

 

「一番、たよりにされているのは、君だよ」

 

ちいさなさかなは、

ちょっと驚いて、

ピチャっとはねると、

あとはゆっくりと井戸の中を泳いでいます。

 

(2007年7月22日の礼拝での「こどもの祝福」より)

余yoteki滴 2016年8月21日

「ねこのふわふわ」

– 約束 –

 

猫のふわふわは、旅する猫です。

或る日のこと、

猫のふわふわが、町の中の、石畳の、小さな路地を、ゆっくりと歩いていると、

向こうからペトロさんが杖をつきながら歩いてきました。

 

「こんにちは、聖ペトロさま!」

 

猫のふわふわは、ちょっと緊張して、せいいっぱいのあいさつをします。

ペトロさんは、

 

「こんにちは、猫のふわふわ。元気ですか? 今日は、どこに行くの?」

 

と猫のふわふわに、尋ねました。

これと言って行くあてのなかった猫のふわふわは、

 

「いえ、どこにも。あの、ペトロさんが必要だと言われるのであれば、お供しますけど」

 

と答えてしまいました!

ペトロさんは笑って、それから、少し考え込んで、猫のふわふわを、じっと見て、

 

「では、猫のふわふわ、あなたに

お願いがあります。

あなたが出会う人で、あなたが、この人はさみしそうだな、と思う人の足元で、そっと少しだけ、寄りかかって、そして、

丸くなってあげてください」

 

猫のふわふわは、りっぱな耳をぴんと立てて、自慢のひげをふるわせると、

 

「はい」

 

と答えました。

それから、猫のふわふわは、ペトロさんに少しだけ、首の下と、耳のうしろをなぜてもらい、

 

「さようなら」

 

と言って、ペトロさんと別れました。

 

(2007年9月9日の礼拝での「こどもの祝福」より)

余yoteki滴    8月7日

「神に信頼する人は慈しみに囲まれる」(詩32篇10節)

 

8月6日、「広島平和祈念日」のローズンゲンから。

詩編の詩人は、困難な時代に生きている。

詩人は、

「されば神をうやまう者は、汝にあうことを得べき間に汝に祈らん」と

うたう(「交読文」10詩32篇)。

時代の差し迫りの中で、詩人は、

「あなたを見いだしうる」(6節)「間」が縮まっていることを実感している。

だから、

この時代にあって、

悩みのただ中にあって、

祈ることを勧めてやまない。

そう、

詩32篇を残した詩人の時代も、今も、

私たちは祈ることの緊急さを

教えられている。

主にある平和を希求することの可及的速やかさを

教えられている。

「余yoteki滴」

「もう泣かない」

ナインの町にイエスさまが近づかれると、そこから葬列が出てきたのだ、とルカによる福音書は記します(7章11節以下)。

私がこどもの頃は、まだ、町で葬式に出会うことがありました。

あの頃は(っていつ頃なのかは、ご想像に任せておきますが)、まだ自宅から葬式を出す、というのがごく当たり前でしたから、こどもは、町で葬式によく出会ったものです。とにかく、葬式に出会うと、こども達は、親指を隠すように手を握ってその前をそそくさと通ったものでした。

 

でも最近は、自宅でご葬儀という事が本当に少なくなりましたから、たぶん、今のこども達は葬列に出会うということも、まず体験しないのでしょう。

 

さて、イエスさまは、葬列に出会った時には、親指を隠して手を握ったりしたのでしょうか。

私は、あるいはひょっとすると、イエスさまと違って弟子たちは、当時のユダヤのこども達がきっとしたであろう(それがどのようなものかは私には判りませんが)、因習じみた所作をしたのではないかなぁ、と想像したりしてみるのです。

 

そして、イエスさまはというと、その葬列に近づいて行って、しかも、泣いている母親に「もう泣かない」と声をかけたりなさるのです。

「死」は、圧倒的な現実です。

私たちは、「死」を体験したことがありませんから、「死」とはいつでも未知な領域の「モノ」なわけです。それ故、「死」はいつでも人を恐れへと巻き込みます。

イエスさまの弟子たちも、当然、「死」への恐れや、畏れに、この時、染まっていたでしょう。ですから、葬列と真っ正面から行き逢ってしまったときは、顔をしかめたりしたかもしれません。

 

ところが、イエスさまはその葬列の中ほどで、柩に付き添っていた母親に、「もう泣かない」と声をおかけになるのです。

母親は、耳を疑ったかも知れません。

或いは、悪い冗談を言う人だと思ったかも知れません。

泣き伏すしかない時に、涙の枯れるというのがあるのか、と思われるこの時に、この人は一体何を言うのだろうか、とそう感じたかも知れません。

だからと言うわけではないと思いますが、この母親は、イエスさまの語りかけに応答しません。もちろん、葬列もその歩みを止めません。

 

今や、イエスさまのその横を、この母親の息子を納めた柩が通り過ぎようとします。

その時、イエスさまはご自分の脇を通って行くその柩に手を掛けられるのです。

このイエスさまの行いは、町の門から町の外に、町の中から墓地の中へ、生者の地から死者の地へ、城郭都市という文明の巷から墓所という荒れ野へと、向かって歩むしかない「死」という現実を押しとどめるものです。

 

ルカは、ですから、この時の様子を、

①イエスさまが母親に声をかける、

②イエスさまが柩に手を触れられる、

③担いでいる人たち(葬列)が立ち止まる、

という順序で記すのです。

 

ルカはここにイエスさまの神の御子としての権威を見たのです。私たちには決して出来ない、「死」を押しとどめる権威です。

 

実は、この巻頭言(この文章は、「湘北地区報」に掲載するために書かれました)に四苦八苦している時に、ある方の帰天の連絡をいただきました。

その方は、若い時に、当時、「横浜合同教会」と呼ばれていた、現在の横浜上原教会で、聖金曜日(受難日)の礼拝において高柳伊三郎先生から洗礼を受けました。

戦後間もなくの事でした。

 

「洗礼式が、なぜ聖金曜日だったのかと、言うと」、とその方はよく語ってくれました。

受難日の礼拝での洗礼式をお願いしたのは、洗礼を決心したその頃、まだ若かったんだねぇ、主の十字架での全き犠牲は自分のためだと得心がいったのだが、ご復活ということがまだ充分に判らなかったので、どうしても十字架の金曜日に洗礼式をとお願いしたのだ、と。

 

そして、その話しを聞いている若かりし頃の私は、そうか受難日礼拝で洗礼式を、とお願いする手があったのか! と(イースターに洗礼を受領したばかりだったので)、ちょっと自分になぞらえて残念に思ったりしていたりしました。

 

伊勢原教会の前を、近くの県立高校の生徒たちが通って行きます。そして掲示されている説教題を見て、首を傾げたり、ささやきあったりします。

ある時、「わたしは始めであり終わりである」という説教題が掲示されていました。

高校生たちが、「始めであり終わりである、ってどういう意味だ?」と会話しながら歩いて行きます。すると一人の子が、「始めで終わりということは、一代で滅んだ、っていうことじゃねぇ」、と応じました。

 

この会話は、下校時でしたから、彼らは登校する時にも、この看板を見たわけです。

そしてたぶん、なんだこりゃ、と思っていたのでしょう。

そして歴史の授業でもあったのでしょう。

「始めであり終わり」、とは何代も続かずに、たった一代で、一人だけで終わった王朝のことように理解できる、と会得したのでしょう。

 

私はその受け答えの秀逸ぶりに思わず笑ってしまいました。

イエスさまは、始めであり終わりである方、たったお一人で、高校生達の言葉を借りれば、「一代」で私たちの救いを成就なさる方です。

教会は、その事のみを宣言します。先に述べた信仰の先輩は、そのことを信仰の生活の中で深く知って行った事でしょう。

むしろ、疑問から始まった問いですから、その方にとって、救いとご復活とは、深い生涯のテーマになって行った事と思います。十字架のキリストが、「死」を滅ぼし、新しい命の始まりとなられた、ということを、戦後の日本の歴史とほぼ重なる、70年になんなんとする信仰から信仰への歩みの中で、じっくりとご自身のものとされたのだと私は思うのです。

 

さて、イエスさまがナインのやもめに「もう泣かない」と声をお掛けになった時のことを観想したいと思います。

イエスさまが柩に手をおかれた時、この世の当然の理(ことわり)は打ち砕かれます。

そして知る事ができます。私の「いのち」もまた、イエスさまの手に触れていただけるのだ、ということを。

 

イエスさまは、ご自身の方から私に近づいてくださる方。そして、「もう泣かない」と、声をかけてくださる方。私が何も言わないのに、私の言葉にならない祈りを聞いてくださる。そして、「死」に打ち勝つ権威をお示しになります。

 

今や、私をこの世の理(ことわり)は縛りません。

ナインのこの一人の母親に、イエスさまは息子を「お返しになった」のですが、私にも自分の「いのち」を生きるようにと、「死」の理(ことわり)ではなく、キリストに連なる「いのち」の理(ことわり)の内に生きるようにと招かれるのです。

 

さらに、イエスさまが私と出会ってくださるのは、ナインという町の外、門の外なのです。

キリストは、宿営の外で私を待っていてくださいます。私がはみ出して行く時、その行く手に、キリストはいてくださるのです、必ず。

(2016/6/26 神奈川教区湘北地区「地区報」の巻頭言を加筆訂正)